メインコンテンツへスキップ
見出し画像

マグマをよけたことはありますか

    また増えた。
    私の足は日に日に痣が増えていく。明日からはエレベーターで行こう。そう思ったのは階段が増えだしてから数日後だった。

    痣だらけの足で売り場に立つ。私の仕事は販売だった。商業ビルの5階にある店舗まで運動を兼ねて階段を使っていた。階段が増えだすまでは。

    その日も店の片隅にくるくるパーマの少年が立っている。目鼻立ちのはっきりとした欧米風の顔立ちだ。言葉はない。
    接客をし終え片隅を見ると、くるくるパーマの少年は姿を消していた。

    休憩時間に入り、ひとりバックヤードでお茶を飲む。
    「すいません」
    「はい!」咄嗟に振り返るが、そこは私一人のバックヤード。
    「すいません」
    声は止まない。そこでやっと気付く。

    あぁ、またか。


    エレベーターを使うようになり、転ばなくなった私の足からは痣が徐々に消えていった。だがくるくるパーマの少年は今日もそこに立っている。会釈をし、前を通る。
    視界は常にどこかが波打っている。立っていられず壁を触るとぐにゃりと曲がった。

    これが今日(こんにち)まで続く、最も多く軽い症状である。

    頭が割れるように痛い。たまらず薬を飲みレジに立つ。と、突然目の前に巨大な渦が現れた。1メートルもあるだろうか、周りの世界をぐるぐると飲み込んでいく。正直、映画でもこんなシーン見たことがない。
    私は「いらっしゃいませ」と時折言いながら、体をよじって必死でレジカウンターにしがみついていた。渦にのみ込まれちゃう!
    「どうしたの?」
    そりゃそうだ。私の体勢は明らかに不自然である。
    「ちょっとお腹が痛くて。でも大丈夫です」
    こういう頑張ってしまうところ、最高に日本人だなぁとつくづく思う。
    私はなるべく直立し、レジカウンターから片手は離さずゆっくりレジを打っていた。
    「ありがとうございました」
    目の前のお客様が立ち去ると、渦は小さくなっていた。ほっと肩を撫で下ろす。

    今日のは凄かったな。
    理性ではそれは起こり得ないと理解している。だが事実、見えるのだ。私はいつしか自分の目に映るものを楽しむようになっていた。


    しかし体調は急降下していった。売り場で過呼吸で倒れるようになり、朝ベッドから起き上がれなくなった。仕事は辞めざるを得ず、日が沈む頃ベッドから転げ落ち、はいはいで移動する生活が始まった。

    昼夜逆転の生活。夜は調子がいい。衝動的に創作意欲に駆られることが多く、インターネットで材料を買いあさり作れるものを片っ端から作った。
    今でも使っているものがある。ミトンやエプロン、エコバッグやスリッパ。ミシンの使い方も分からなかったのに、型紙作りから縫製まで、日が昇るまで没頭した。消しゴムはんこの作り方もそのときに覚えた。

    メンタルの面もあるだろうが、暑さのせいもあるのか食欲が全くなかった。あるときふと「インドの人って何食べてるんだろう」と思った。暑い国=インドというなんとも安直な考えである。インドの人が食べているものなら今の私も食べられるかもしれない。
    今度はインターネットでスパイスを買い、夕方涼しくなってからスーパーへ走った。
    「アルーゴビ」これが私とインド料理との出会いだった。アルーはじゃがいも、ゴビはカリフラワーである。なんて美味しいのだろう。素材のもつ力を油とスパイスが引き出している。味付けは塩だけ。それからインド料理にはまり、世界各国の料理を作るようになる。

    調子が悪いと外に出られず運転なんて到底できない。病院に行くことも薬を貰うことも困難になった。こんなものを飲まないと私は「普通」に暮らすことすらできないのか。何度も何度も自分を責めた。でも体は一向に言うことを聞かない。悩んだ挙句、自分でどうにかできないかとアロマテラピーを学び始めた。もちろん独学である。元来アトピー肌のこともあり、今でもリップと痒み止めは自分で作っている。


    私は少なくとも、ミシンと消しゴムはんこ、インド料理にアロマテラピーをこのとき全て独学で学んだ。これらを私は【鬱の賜物】と呼んでいる。
    現在の私を形成しているとても重要な部分はこのときに生まれた。「私」の誕生である。


    幻覚はおともだち。
    幸い私の幻覚たちは私を襲ってきたりはしない。
    自分を受け入れ、アロマでなんとかしのぎつつ次の職を探した。
    障害福祉。ここがかなり寛容な職場だったのだ。

    入社当時、慣れない仕事に過呼吸と幻覚がひどく、職場で何度も倒れた。
    「そんな状態で来なくていい。」
    辞めろという意味ではない。自分の体調と向き合えというポジティブな意味だった。こんな職場に巡り合えたことは幸運である。


    その後、縁あり同僚と結婚し一児をもうけた。
    ところが幸せどころか他人との共同生活になじめず、体調はますます悪化した。初めての育児がそれに更に拍車をかけた。
    「薬は自分のためじゃなくて家族のために飲むものなのよ」
    上司から言われた言葉だ。
    私は病院が苦手だ。薬を飲まないと「普通」にすら生きていけない自分が嫌いだった。薬をもらっても全部捨てたり全部飲んでしまったりする。
    だが家族を持ち、状況が変わった。夫に付き添ってもらい数年ぶりの受診。
    統合失調症。薬は夫に管理してもらうことにした。
    どうしてもひとりで受診しなければならないときにはナカザキさん(くまのぬいぐるみ)を連れて行った。頭にはゾウやイヌのヘアピンをつける。私はおともだちに囲まれている。大丈夫だ。うん、大丈夫。


    画像



    この体質は、この人生は、まるでジェットコースターのようにアップダウンを繰り返す。
    体調が悪くなると外に行けず買い物ができない。冷蔵庫が空っぽ、なんて何度経験したかわからない。
    あるときやっとの思いでスーパーへ行くと、床面に10cmほどのマグマがそこら中に湧いていた。まるで何かのゲームの中のようだ。私は絶対に落ちないようにと細心の注意をはらいながらマグマをよける。

    またあるときは部屋でひとり床に座っていると、目の前のフローリングが2m程めくれ上がり、自分の目の前でぼろぼろと崩れ落ちた。
    「わぁ‥」思わず声が出た。そんなことが日常的にある。

    忙しい笑、と思うことにしよう。
    私は恵まれている。なぜなら他の人には見えない世界を見ることができるのだから。
    それまで味わったどん底の体調には二度と戻りたくないとは思うが、私は今の私が好きであると共に、過去の自分を否定したりはしない。

    現在は12年勤めた障害福祉の職を離れ、フリーランスの日本語教師をしている。新しい環境は私の体調に大いに響く。だが適度に休むこと、何より自分ファーストで生きることを身につけた。


    頭や胸元をおともだちでいっぱいに飾り、好きな格好をして自分の信念と共に働く。働くことを諦めないのは、人と繋がっていたいからである。
    44年生きてきた集大成が現在の私だ。こんなに生きてきたのにやりたいことや学びたいことがありすぎて、時間が無くて困っている。

    今日も壁がぐにゃりと曲がり、波打つ道を歩いている。頭痛が止まない。だがこれが私の「普通」なのだ。服薬を受け入れ、体調が悪い時には休憩し、人にいっぱい迷惑をかけて生きている。
    「人に迷惑をかけるな」
    子供の頃によく言われた言葉だ。だが私はそうは思わない。人に迷惑をかけるとそこに関係性が生まれる。それってむしろ素敵なことではないだろうか。弱っているときは誰だって助けが必要である。だから私も助けが必要な人を見かけたら手を差し伸べるようにしている。お互いに迷惑を掛け合って「ありがとう」と言い合いながら生きていけばいいじゃないか。人間関係ってそうやって築いていくものなのではないだろうか。











    #創作大賞2026 #エッセイ部門

     
     
    にほんごのせんせいです。 絶賛駆け出し中! ↑もう日本語おかしいw online lessonやchattingのイベントをしながら日本語ボランティアもしています。 日本の古いアニメや相撲、サッカーが大好き! 各国料理を作るのも得意です。

    あなたへのおすすめ