
第三十話 「人は変わるのではない。選び直すのだ」
観測者
会議室には、
穏やかな空気が流れていた。
相談者の表情も、
最初とは変わっていた。
迷いが消えたわけではない。
恐れがなくなったわけでもない。
ただ、
一つだけ変わったものがあった。
自分から、
目を逸らさなくなっていた。
相談者は静かに言った。
「分かりました」
誰も口を挟まない。
「私は変われなかったんじゃない」
「変わる代わりに、
周りが変わることを待っていました」
沈黙。
「会社が変われば。」
「上司が変われば。」
「景気が良くなれば。」
「家族が理解してくれれば。」
「自信がつけば。」
相談者は苦笑した。
「全部、
自分以外でした。」
会議室は静まり返る。
その時、
アドラーが静かに微笑んだ。
アドラー
「あなたは大切なことに気づきました」
相談者が顔を上げる。
「人は、
昨日までの自分を責める必要はありません」
穏やかな声だった。
「その時のあなたは、
その時の最善を選んでいました。」
「だから」
少し間を置く。
「必要なのは後悔ではありません」
「選び直すことです」
相談者は黙って頷いた。
その時、
ブッダが静かに口を開いた。
ブッダ
「過去は変えられません」
誰も否定しない。
「ですが」
「過去との関係は変えられます」
会議室が静まる。
「昨日の自分を責める人は」
「今日の自分も責めます」
「昨日の自分を許せる人は」
「今日の自分も前へ進めます」
相談者の表情が、
少し柔らかくなった。
その時、
ヘーゲルが静かに続けた。
ヘーゲル
「人生は面白い」
誰も口を挟まない。
「人は、
大きく変わろうとする」
「だから苦しむ」
静かな声だった。
「だが実際は」
「人は毎日少しずつ変わっている」
会議室が静まる。
「一日の選択が変われば」
「一年後には別人だ」
私は思った。
変化とは、
劇的な出来事ではない。
今日という一日の積み重ねなのだ。
その時、
老子が窓の外を見ながら言った。
老子
「川は」
誰も口を挟まない。
「昨日と同じ水ではない」
静かな声だった。
「だが」
少し笑う。
「川は川のままだ」
会議室が静まり返る。
私はその言葉に、
思わず笑ってしまった。
人も同じなのかもしれない。
変わっていく。
それでも、
自分であり続ける。
その時、
ソクラテスが静かに尋ねた。
ソクラテス
「では聞こう」
相談者が笑った。
「最後の質問ですね」
ソクラテスも笑う。
「君は明日、
何を変える」
相談者は考えた。
長くは考えなかった。
「人生ではありません」
会議室が静まる。
「明日の選択です」
誰も何も言わなかった。
その答えは、
もう十分だった。
最後に、
ニーチェがゆっくり立ち上がった。
ニーチェ
「人は」
静かな声だった。
「生まれ変わることはできん」
相談者が顔を上げる。
「だが」
少し間を置く。
「何度でも」
「生き方は選び直せる」
沈黙。
「昨日まで臆病だった者が」
「今日勇気を出せば」
「それはもう昨日の人間ではない」
会議室が静まり返る。
「人生とは」
「自分を作り直すことではない」
「自分を選び直し続けることだ」
長い沈黙。
誰も、
その言葉に付け足すものはなかった。
観測者
帰り道、
私はいつもの道を歩いていた。
景色は昨日と同じだった。
空も。
風も。
信号も。
何も変わっていない。
それなのに、
昨日とは少し違う世界に見えた。
私は、
人生を変えようとしていた。
違った。
今日という一日を、
選び直せばよかったのだ。
人は、
ある日突然変わるのではない。
今日の選択が、
昨日と少し違う。
その積み重ねを、
人は「変わった」と呼ぶ。
そして私は思う。
人生とは、
一度きりの大きな決断でできているのではない。
何度でも繰り返される、
小さな選び直しでできている。
だから、
今日を選び直そう。
明日ではない。
いつかでもない。
今日という一日だけを。
その積み重ねの先で、
きっと誰かが言う。
「あの人は変わった」と。
だが本人だけは知っている。
変わったのではない。
ただ、
毎日少しずつ、
自分を選び直してきただけなのだ。
私は長い間、人生を変えようとしていた。
違った。
変えられるのは人生ではない。
今日の選択だけだ。
そして人生とは、
その選択の積み重ねに、後から付けられた名前なのだ。
(賢者会議 第一部 完)