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日本人の物語01105【南北朝中期】赤坂城陥落

    もっと図を使ったりして読みやすいものを提供したいと思いつつ、そうした工夫を加える余裕がありません。毎日更新なので。

     幕府方の今川範氏(いまがわのりうじ:1316~1365)と六角氏頼は、
    「龍泉寺城の戦に加われなかったとは、実に面白くない」
    と言って悔しがっていました。他に功名をあげられる機会はないものかと考え、龍泉寺城が陥落した日の夕方、500騎で平石城(ひらいわじょう:大阪府河南町)に攻撃を開始します。
     この城は高い崖に守られた要害ではあったものの、盾を梯子代わりにして、他の兵の兜の上に足を乗せながら崖を上り詰めていくと、僅か数時間で城は陥落し、南朝方の兵たちは我先にと逃げていきました。
     龍泉寺城、平石城と2つの城が簡単に陥落したので、北朝方は水を得た魚のように元気付き、逆に南朝方の楠木正儀・和田正武らは戦意を失ってしまいました。いよいよ残るは敵の本城・赤坂城です。言わずと知れた、あの鎌倉幕府軍を相手に楠木正成が籠城した天下の名城で、あれから約30年ぶりの戦いです。
     正平15/延文5(1360)年5月3日、北朝方20万騎は赤坂城を取り囲みました。
     城中にいた楠木正儀と和田正武はどうすべきか話し合いますが、議論がまとまりません。というのも、楠木正儀はよくいえば合理的、悪くいえば気概がなく、
    「これほどの大軍と戦うことは難しい。ここは金剛山へ退却して、敵が減ったところに出ていって戦おう」
    と提案するのですが、和田正武はよくいえば勇猛、悪くいえば無計画であり、
    「敵を前にして退却などという恥ずかしい真似はできぬ。ここは夜討ちを決行すべきだ」
    と主張します。
     結局、和田の提案に沿って夜討ちを行うこととなり、5月8日夜、南朝軍300人が北朝方の陣に密かに近づき、細川勢に斬りかかっていきました。
     勇猛な和田正武は真っ先に敵陣に深く入っていきます。一時間も斬り合ううち、北朝方の細川清氏軍が徐々に盛り返してきたので、不利とみた南朝方はすっと帰っていきました。
     さっと戦ってさっと退く。これこそ楠木勢特有のゲリラ作戦です。楠木正儀と和田正武は意見の不一致があったものの、その中間をとるとちょうどよいのかもしれません。
     しかし楠木勢の奇襲はさほどの打撃を与えられませんでした。赤坂城でこれ以上戦うのは危険と考えた楠木・和田は、赤坂城に自ら火をかけて金剛山へと逃亡していきました。
     かつて大軍を相手に数ヶ月間も持ちこたえた赤坂城ですが、今回はすんなりと敵に明け渡すこととなりました。なお、今回陥落したこの城が「上赤坂城」「下赤坂城」のいずれを指すのかは定かではありません。

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    ただの歴史好き。完結できるかどうか分からない連載を書き続けてる人。連載を始めて5年目。やっと16世紀に入ったところです。先は長いですが優しく見守って下さい。 これから歴史を動かすような大仕事をして、この連載の令和時代の記述にさりげなく自分を実名で登場させるという夢を持っています。

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