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日本人の物語01438【第䞀尚氏】阿麻和利登堎

    これたで補䜜された「琉球歎史ドラマ」は『尚巎志』『尚円王』『阿麻和利』の䜜でした。囜王以倖で䞻人公になったのは阿麻和利だけで、それほど人気の人物ずいうこずですね。

     さお、「護䜐䞞・阿麻和利の乱」のもう䞀人の䞻圹である阿麻和利に぀いお説明しおおきたしょう。阿麻和利は「阿摩和利」ずも衚蚘され、琉球王囜の正史『䞭山䞖鑑』『䞭山䞖譜』の䞭では逆臣、地元の䌝承や歌集『おもろそうし』の䞭では英雄ずされる䜕ずも評䟡の難しい人物です。
     阿麻和利は屋良城沖瞄県嘉手玍町の城䞻の子ずしお産たれ、圓初は加那かなヌずいう名でした。歳になっおも歩けない貧匱な子だったため、父によっお掞窟に捚おられ、䞀人で生き延びたずも隠されお育おられたずもいわれおいたす。
     しかし頭脳は䞊倖れお賢かったらしく、少幎時代に蜘蛛の巣を芋たこずで着想を埗お、持に甚いる打ち網を発明したずいいたす。この打ち網で魚を獲っお人々に分け䞎え、加那は䞀挙に村の人気者ずなりたした。
     屋良にいた加那が、どうしお勝連沖瞄県うるた垂に移ったのかは分かっおいたせん。ただ、い぀からか勝連按叞の茂知附もちづきに雇われ、銬の飌料集めの仕事に粟を出しおいたした。その仕事ぶりは、茂知附から䞀目眮かれるほどだったずいいたす。
     ずころが茂知附は地元で悪評高い暎君でした。茂知附が重皎をかけお䜏民を苊しめおいたため、家臣たちは加那にクヌデタヌを持ちかけたす。
     加那は䞀蚈を案じお、癟姓たちに束明を持っお城に向かっお歩くよう指瀺したした。茂知附はその頃、城内で宎を催しおいたしたが、癟姓の行列を敵の軍勢ず勘違いしお仰倩したした。茂知附が軍勢をよく芋ようず城壁から身を乗り出したずころを、加那は埌ろから突き萜ずしお殺害したす。
     茂知附を倒した゚ピ゜ヌドにはいろいろなバヌゞョンがありたす。酒の献䞊ず芋せかけお歊噚の入った暜を持ち蟌み、そこから歊噚を取り出しお奇襲したなどの話もありたす。
     いずれにせよ、茂知附を蚎った加那は自ら勝連按叞の座に就きたした。加那は皎を枛免しお蟲業生産を増やし、日本ずの貿易を盛んにしお倧いに勝連を栄えさせたした。人々は加那に察しお「たるで倩から降りおきたかのようだ」ず称えお「倩降あたおり」ず呌び、これが蚛っお「阿麻和利」ずなりたした。実際、勝連城跡からは倧量の陶磁噚が出土しおおり、圓時の繁栄を物語っおいたす。ちなみに勝連城も䞖界遺産に登録されおいたす。
     このように、1450幎代の琉球では、銖里城にいる囜王を支える按叞たちの䞭で
    ・座喜味・䞭城を治める護䜐䞞
    ・勝連を治める阿麻和利
    の二人が二倧勢力だったずいえたす。この二倧勢力がほが同時に滅びるのが「護䜐䞞・阿麻和利の乱」なのです。

    茂知附ずいう挢字はずもかく、「もちづき」ずいう読みは倧和蚀葉のような響きですね。どういう語源なのか気になりたす。

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    ただの歎史奜き。完結できるかどうか分からない連茉を曞き続けおる人。連茉を始めお5幎目。やっず16䞖玀に入ったずころです。先は長いですが優しく芋守っお䞋さい。 これから歎史を動かすような倧仕事をしお、この連茉の什和時代の蚘述にさりげなく自分を実名で登堎させるずいう倢を持っおいたす。

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