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日本人の物語01716【戦国/東国/長享の乱】佐竹義舜暗殺未遂

    これまた、水戸で購入した郷土史の本に載っていたエピソードです。地元に伝わる伝説だそうです。

     今川氏親の遠江侵攻と並行して行われた佐竹・山入百年戦争について取り上げておきましょう。佐竹家の家督と太田城(茨城県常陸太田市)を乗っ取った山入氏義と、孫根城(茨城県城里町)に逃れていた佐竹義舜との間の対立です。
     以下に述べるのは佐竹家に伝わる話であり信憑性は低いですが、山入氏義が佐竹義舜の暗殺を謀ったという伝説があります。
     明応8(1499)年のある日。太田城の山入氏義は女中たちに囲まれて酒宴を楽しんでいました。その場で氏義は突飛な発言をして周囲を驚かせました。
    「誰かわしに一片の肉を馳走してくれる者はいないか。わしはかねてより若い女の肉を食らってみたいと思っていたのだ」
     女中たちは肝をつぶして黙り込んでしまいましたが、楓(かえで)という女中が
    「私が献じましょう」
    と言って進み出ました。氏義は脇差を抜いて楓に近づきましたが、楓は全く動じる様子もなく、ただ斬られるのを待っています。氏義は大声で笑って
    「座興だ。許せ」
    と言って脇差を仕舞いました。
     しばらくして、楓(かえで)と郎党の岩間勘兵衛(いわまかんべえ)の二人の姿が太田城から消え、行方知れずとなりました。
     翌明応9(1500)年1月。孫根城の門前に行き倒れの父娘の姿がありました。与平(よへい)・志乃(しの)と名乗ったその父娘は佐竹家に保護され、志乃はそのまま佐竹義舜の侍女となりました。義舜は志乃をひどく気に入り、どこへ行くにも連れていくようになりました。
     春になり、義舜が志乃を連れて近くの山野に散策に出かけたところ、不意に大樹の陰から与平が刀を振りかざし、義舜を殺そうと図ります。志乃が身を挺して義舜を助け、身代わりに斬られてしまいます。
     義舜が志乃を抱き起こすと、志乃は自らが山入氏義に送り込まれた刺客で、本名は楓ということ、義舜を斬ろうとしたが斬れなかったことを打ち明け、そのまま息絶えました。
     暗殺に失敗した山入氏義は、もはや直接攻撃しかないと考え、7月に軍勢を引き連れて孫根城を襲撃しました。これで和睦は完全に破られたことになります。佐竹義舜は、側近の小場義積(おばよしずみ)が身代わりとなって討たれることで辛うじて脱出し、東金砂城(ひがしかなさじょう:茨城県常陸太田市)へと逃れました。
     宿敵を取り逃がした山入氏義は、行きがけの駄賃にと松平城(茨城県常陸太田市)の松平久高(まつだいらひさたか:?~1500)を滅ぼし、太田城へと帰っていきました。

    このあたりにも松平という地名があるとは驚きです。恐らく三河の松平とは無関係でしょう。

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    ただの歴史好き。完結できるかどうか分からない連載を書き続けてる人。連載を始めて5年目。やっと16世紀に入ったところです。先は長いですが優しく見守って下さい。 これから歴史を動かすような大仕事をして、この連載の令和時代の記述にさりげなく自分を実名で登場させるという夢を持っています。

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