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日本人の物語00840【建武期】箱根・竹ノ下の戦い 菊池千本槍

     竹ノ下の戦いは新田軍が一時的に優勢に見えましたが、後半になると足利軍が盛り返して来ました。その原因の一つには、佐々木道誉の裏切りがありました。
     佐々木道誉は手越河原の戦いに敗北し、新田軍に帰順したはずです。ところが記録によると、竹ノ下の戦いの記録ではなぜか足利軍の方に名前が載っているのです。これは、一旦新田方に寝返った道誉が、今度は足利方に寝返ったということでしょう。
     佐々木道誉がどのような思いで二度の裏切りをしたのか分かりませんが、大河ドラマ『太平記』では、陣内孝則演じる道誉が新田方が不利と見抜くや否や、
    「佐々木判官、思うところあり。寝返り御免!」
    と一言叫ぶが早いか、あっという間に足利方に寝返ってしまうという痛快な演出がなされていました。
     このときの道誉の行動については、
    「二度裏切ることで元の鞘に収まった」
    とも解釈できますし、
    「徹頭徹尾尊氏に仕えようとしているものであって、一旦新田に降伏したふりをしただけ」
    と捉えることもできそうです。
     こうして脇屋義助率いる新田軍は劣勢となり、西へと逃げて行きました。
     一方、箱根の方では新田義貞と足利直義の戦いが続いていました。
     この箱根の戦いで新田勢に参加していた菊池武重は、直義軍に押されて弓や薙刀の大半を失い、敗走寸前の状況に陥りました。ところが武重は怯むことなく、
    「竹藪から各自手頃な竹を切って、腰に差している短刀の先に結びつけよ」
    と命じました。これによって即席の槍が出来上がりました。槍を使って菊池勢は反撃に出て、窮地に陥っていたはずの菊池勢はたった1千人の兵で3千人の敵を敗走させることができました。
     この逸話は「菊池千本槍」と呼ばれ、劣勢のときに創意工夫でもって優勢に持ち込んだ例としてよく引用されるようになりました。ところが、この逸話が作られたのはどうやら明治時代のようなのです。『太平記』や『梅松論』でさえ創作が多いのに、明治時代の創作とはずいぶん新しい話ですね。
     話を『太平記』の記述に戻します。足利軍と新田軍が戦っている中、使者が来て
    「竹ノ下では新田勢が敗れましたぞ」
    と戦況を伝えて来ました。新田義貞は迷ったものの
    「陣を西に退いて、退却しながら戦おう」
    と決断します。

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    ただの歴史好き。完結できるかどうか分からない連載を書き続けてる人。連載を始めて5年目。やっと16世紀に入ったところです。先は長いですが優しく見守って下さい。 これから歴史を動かすような大仕事をして、この連載の令和時代の記述にさりげなく自分を実名で登場させるという夢を持っています。

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