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日本人の物語01734【戦国/西国/京兆専制】唐橋在数殺害事件

    今度、友人たちの前で「昭和史講座」みたいなものを披露することになったのですが、一体どんな内容が良いのか迷い続けております。

     船田合戦とその関係エピソードを見てきましたが、改めて京の状況に話を戻しましょう。
     船田合戦のさなかである明応5(1496)年1月7日、宮中を揺るがす事件が発生しました。公卿・九条政基が殿上人・唐橋在数(からはしありかず:1448~1496)を殺害するという前代未聞の大事件です。
     そもそもの原因は、応仁の乱により貴族の多くが財政難に陥ったことにありました。乱のさなか、九条政基は近江坂本(滋賀県大津市)に避難していましたが、朝廷での行事に必要な200貫文を捻出できず、九条家に仕える家司・唐橋在数に立て替えてもらいました。この200貫文の借金をなかなか返済する目途が立たず、九条政基は自らが領有する和泉国日根荘(ひねのしょう:大阪府泉佐野市)の入山田村(いりやまだむら)の年貢を、一定期間だけ在数に引き渡すという約束をしました。
     ところが、その年貢がなかなか納付されません。
     唐橋在数もまた決して生活が楽だったわけではなく、日根荘からの年貢を抵当として根来寺(和歌山県岩出市)から借金をしますが、その返済ができなくなり、根来寺が抵当権を実行すると言い出しました。政基の荘園の所有権が危うくなる事態です。政基と在数は、それぞれ責任を互いに押し付け合ってひどい口論となりました。
     そして運命の明応5(1496)年1月7日、唐橋在数は九条邸を訪問し、九条政基・尚経(ひさつね:1469~1530)父子に借金の返済を迫りました。これに腹を立てた政基父子が、なんと在数を殺害してしまったのです。主犯は息子の尚経の方だったとのことです。
     下賤の家人であれば、一人殺したところで特に問題視されない時代だったと思われますが、唐橋在数は九条家に仕える一介の家司というわけではなく、あの菅原道真を輩出した菅原氏に属する公家の一員であり、正四位下で大学頭及び大内記の職にある殿上人でしたから、この事件は朝廷を揺るがす大問題となりました。
     1月13日。同じ菅原氏に属する東坊城和長(ひがしぼうじょうかずなが:1460~1530)が後任の大内記に任じられ、九条政基・尚経父子を弾劾にかかります。
     東坊城和長は菅原氏に属する公家たちを集め、1月24日には北野長者である高辻長直(たかつじながなお:1441~1522)を筆頭とした連名の告発状を提出しました。ちなみに「北野長者」とは、菅原氏における「氏の長者」のことで、菅原道真を祀る北野天満宮に由来する呼び名です。

    大河ドラマ「豊臣兄弟!」は多くのアンチを生み出しているようで、残念です。民放の他の歴史劇に比べると大河ドラマは全て相当なハイレベルだと思うので、あまりいじめないで欲しいと思うのですが。

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    ただの歴史好き。完結できるかどうか分からない連載を書き続けてる人。連載を始めて5年目。やっと16世紀に入ったところです。先は長いですが優しく見守って下さい。 これから歴史を動かすような大仕事をして、この連載の令和時代の記述にさりげなく自分を実名で登場させるという夢を持っています。

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