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日本人の物語00644【鎌倉中期】鎌倉中期概観

     北条義時が死去して泰時が執権職を継ぐ元仁元(1224)年から、北条時宗が死去する弘安7(1284)年までを「鎌倉中期」としてまとめます。この時代の天皇は次のとおりです。
    ・第86代後堀河(ごほりかわ): 在位1221~1232
    ・第87代四条(しじょう): 在位1232~1242
    ・第88代後嵯峨(ごさが): 在位1242~1246
    ・第89代後深草(ごふかくさ): 在位1246~1259(持明院統)
    ・第90代亀山(かめやま): 在位1259~1274(大覚寺統)
    ・第91代後宇多(ごうだ): 在位1274~1287(大覚寺統)
     南北朝時代には天皇が北朝と南朝に分かれてしまうわけですが、その萌芽となる「持明院統(後の北朝)」「大覚寺統(後の南朝)」がこの時代に生まれます。詳しくは後述します。
     一方、歴代将軍は次のとおりです。
    ・4代九条頼経: 在職1226~1244
    ・5代九条頼嗣: 在職1244~1252
    ・6代宗尊親王: 在職1252~1266
    ・7代惟康親王: 在職1266~1289
     源氏が絶えた後、当初は九条家(藤原家)から招致した公家が将軍として君臨していましたが、その後は皇族から招致することとなります。いずれにせよ、実権のない傀儡に過ぎません。
     実際に政務を担っていたのは執権です。歴代執権は
    ・3代北条泰時: 在職1224~1242
    ・4代北条経時: 在職1242~1246
    ・5代北条時頼: 在職1246~1256
    ・6代赤橋長時: 在職1256~1264
    ・7代北条政村: 在職1264~1268
    ・8代北条時宗: 在職1268~1284
    であり、長時や政村は時宗が成長するまでの「つなぎ」といった位置付けではありますが、執権として権勢を振るったと考えられています。(執権が傀儡と化すのはもう少し先の時代です。)
     北条家は、初代時政・2代義時の時代に謀略によって有力者を次々と葬ってきましたが、泰時・時頼の時代には徳をもって統治する時代となり、幕政が比較的安定してきました。そこに世を揺るがす蒙古の襲来があり、辛くも勝利するところまでを描きます。

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    ただの歴史好き。完結できるかどうか分からない連載を書き続けてる人。連載を始めて5年目。やっと16世紀に入ったところです。先は長いですが優しく見守って下さい。 これから歴史を動かすような大仕事をして、この連載の令和時代の記述にさりげなく自分を実名で登場させるという夢を持っています。

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