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日本人の物語00121【人代前期】14代仲哀天皇

     成務天皇60(190)年6月11日に成務天皇は崩御しました。
     仲哀天皇元(192)年1月11日。ヤマトタケルの子である仲哀天皇が即位しました。
     これまで初代神武天皇から第13代成務天皇まで、ずっと先代の子が即位してきました。しかし今回は、「成務天皇の兄の子」が次代の天皇になったわけです。古事記には、成務天皇の子の名前が1人だけ書かれているのですが、若くして亡くなったのかもしれません。
     それにしても仲哀天皇というのはおかしな名前です。漢字に「哀」の字が入っているのは歴代126代中、仲哀天皇だけです。仲哀天皇はその名のとおり、悲劇的な最期を遂げることになります。
     仲哀天皇の時代、ヤマト政権にとって最大の問題は熊襲の鎮定でした。既にヤマトタケルがクマソタケルを討ったはずですが、それでもなお熊襲は大和に帰属しなかったようです。
     仲哀天皇は、熊襲を討つために長門国(山口県)に豊浦宮を築き(現在の下関市忌宮神社)、さらに、筑紫国(福岡県)に香椎宮を築きました(現在の福岡市内)。
     ここに滞在中、仲哀天皇は神意を得るために儀式を執り行いました。仲哀天皇自ら琴を弾き、神功皇后に神霊を乗り移らせ、その言葉を大臣・武内宿禰に聞かせようというのです。
     神がかりとなった神功皇后が神の声を伝えます。
    「西の方に国がある。その国を帰属させなさい」
     これを聞いた仲哀天皇は訝しげに
    「西に国などないではないか。ただ海があるだけだ。これは偽りの神だ」
    と言って、琴を弾くのをやめてしまいました。
     すると神は
    「ここはお前が治める国ではない」
    と怒り出し、
    「汝は一道に向ひたまへ」
    と言いました。「一道」とは何でしょうか。おそらく黄泉の国に一路まっしぐらに行ってしまえという意味でしょう。
     大臣の武内宿禰が慌てて
    「やはり琴をお弾きになった方が」
    と進言し、仲哀天皇は再び琴を弾き始めました。しかしその音がふと途切れてしまいます。
     不審に思った武内宿禰が灯りをつけてみると、なんと仲哀天皇は事切れていました。神の怒りに触れ、呪い殺されてしまったのです。仲哀天皇9(200)年2月5日の出来事でした。
     琴の音が途切れ、灯りをつけて初めて天皇の死が判明する……ホラーな展開です。古事記の作者はなかなかのストーリーテラーですね。

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    ただの歴史好き。完結できるかどうか分からない連載を書き続けてる人。連載を始めて5年目。やっと16世紀に入ったところです。先は長いですが優しく見守って下さい。 これから歴史を動かすような大仕事をして、この連載の令和時代の記述にさりげなく自分を実名で登場させるという夢を持っています。

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