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日本人の物語00139【人代後期】一言主神

     さらに、雄略天皇のエピソードとしては一言主神(ひとことぬしのかみ)の話を飛ばすわけにはいきません。
     雄略天皇4(460)年2月。雄略天皇が葛城山(奈良県御所市)に登った際、天皇の行列と全く同じ装束を着た行列がいました。これを見た雄略天皇は激怒します。豪華な館を見つけただけで激怒した雄略天皇ですから、豪華な行列を見るとなおのこと頭に来たのでしょう。
     雄略天皇は弓矢を構え、照準を合わせながら、
    「お前たちは誰か」
    と尋ねました。すると相手は、
    「凶事も吉事も一言で言い分ける一言主神だ」
    と名乗りました。相手は神様だったのです。雄略天皇は恐縮してひざまずきました。
     この一言主神というのは、奈良県御所市の一言主神社で祀られています。この神社では
    「一言でお願いをすると叶う」
    という信仰があります。しかし、どこからどこまでを一言とみなすのかがよく分かりません。一文なのでしょうか。一単語なのでしょうか。
     ちなみに、司馬遼太郎が『街道をゆく』第1巻の中で一言主神社を訪れたときの記述は、なかなか興味深いものがあります。
     司馬遼太郎は、一言主神と対立した役小角(えんのおづぬ)という7世紀の修験者の伝説に興味を持って一言主神社を訪れたといいます。
     役小角は葛城山と吉野山に橋を架けようと思い立ち、一言主神を脅して土木工事を命じます。一言主神は仕方なく働きますが、夜しか働かなかったため、役小角は一言主神を折檻して昼も働けと命じます。溜まりかねた一言主神は、
    「役小角が謀反を企んでいる」
    と天皇に直訴し、役小角を流罪に追いやったというのです。それを恨んだ役小角は、一言主神を谷底に突き落とします。
     人間である役小角が神である一言主神をこき使ったとは、ずいぶん変わった伝説です。しかも一言主神は雄略天皇がひれ伏すほどの神だというのに。
     司馬遼太郎が、一言主神社の神職さんにこの話を持ちかけたところ、神職さんは
    「あれはいけませぬ。あれはこの下の方の茅原(ちはら)という在所の者ですが、こればかりは腹が立ちます」
    と、役小角が今もその辺をうろついている人間のように言われ、否定されたというのです。
     一言主神社の神職さんとしては、一言主神をこき使った役小角への怒りは今も続いているということなのでしょう。

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    ただの歴史好き。完結できるかどうか分からない連載を書き続けてる人。連載を始めて5年目。やっと16世紀に入ったところです。先は長いですが優しく見守って下さい。 これから歴史を動かすような大仕事をして、この連載の令和時代の記述にさりげなく自分を実名で登場させるという夢を持っています。

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