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日本人の物語00659【鎌倉中期】北条時頼の逸話

     寛元4(1246)3月23日、北条時頼は、兄の経時から執権職を譲り受けました。この時頼もまた、泰時と同様に人格者であったとするエピソードが豊富に残っています。
     泰時が3代執権であった仁治2(1241)年11月29日の話です。三浦一族と小山一族が酒宴で喧嘩になり、それぞれの縁者が駆けつけて大騒動となりました。兄・経時は武装させた従者を三浦側の加勢に駆け付けさせた一方、弟・時頼は何もしませんでした。翌日、泰時は兄・経時の軽率を叱責し、時頼を褒めました。執権職を預かる北条家たるもの、御家人の騒動に加わってはならないというわけです。
     さらに、時頼が執権に就任した後のエピソードとして、時頼の母・松下禅尼(まつしたぜんに)の話があります。安達義景が時頼を訪ねていくと、松下禅尼が自ら障子の貼り替えをしていました。安達義景にとって松下禅尼は姉に当たるので、
    「そんなことは家来にやらせればいいじゃないか」
    と気軽に話しかけたところ、松下禅尼は
    「家来を連れてきたとしても、絶対私の方が上手なのよ」
    と答えます。さらに義景が
    「障子全体をまとめて貼り替えた方が楽じゃないか」
    と尋ねると、松下禅尼は
    「破れたところだけを修理して、使えるところは使うということを若い人に見習ってもらいたいから」
    と答え、作業を続けたといいます。この母に育てられた時頼は、生涯質素倹約を旨としたといいます。
     その時頼が実際に質素倹約に努めていたとするエピソードがあります。ある夜、大仏宣時(おさらぎのぶとき:1238~1323)のもとに時頼の使いが来て、
    「一緒に飲まないか」
    と呼ばれます。宣時が時頼邸に駆け付けると、銚子を持った時頼が
    「一人で酒を飲むのが寂しいので来てもらったが、これといった肴もない」
    というので、宣時が台所を探します。少しの味噌しか見つけられませんでしたが、時頼は
    「これでいい」
    と言って二人で味噌だけを肴に酒を飲んだといいます。
     一国の最高権力者とは思えない質素な酒の飲み方ですね。

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    ただの歴史好き。完結できるかどうか分からない連載を書き続けてる人。連載を始めて5年目。やっと16世紀に入ったところです。先は長いですが優しく見守って下さい。 これから歴史を動かすような大仕事をして、この連載の令和時代の記述にさりげなく自分を実名で登場させるという夢を持っています。

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