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日本人の物語00966【南北朝初期】婆娑羅大名土岐頼遠 邂逅

    本日から始まるのが土岐頼遠の極悪エピソードです。婆娑羅大名といえば
    ①高師直②佐々木道誉③土岐頼遠
    の3人がいるのですが、③だけはなぜか知名度が低いですよね・・・。とんでもない奴なんですがね。

     この時代には「婆娑羅(ばさら)」という言葉が流行しました。
     00837回でも解説しましたが、「婆娑羅」とはWikipediaでは
    「身分秩序を無視して実力主義的であり、公家や天皇といった権威を軽んじて嘲笑・反撥し、奢侈で派手な振る舞いや、粋で華美な服装を好む美意識」
    と解説されています。
     そもそもバサラとは、サンスクリット語でダイヤモンドを意味する「vajra」から派生した言葉で、「ダイヤモンドのような硬さで常識を打ち破る」というイメージから生まれたものです。
     この時代の婆娑羅の代表格とされている武士は高師直、佐々木道誉、土岐頼遠の3名です。高師直の顔世御前をめぐる非道ぶり、佐々木道誉の妙法院焼き討ちについては既に紹介したので、ここからは(史実かどうか不明ですが)土岐頼遠のエピソードを紹介していきましょう。
     興国3/康永元(1342)年9月3日。その日は伏見上皇の命日ということで、光厳上皇が伏見殿へ行幸することとなっていました。この伏見殿という離宮は、かつては珍しい木や石の集まった見所の多い庭園でしたが、今や管理する者がいなくなり、すっかり荒れ果てていました。
     夜、光厳上皇の乗った牛車が五条を通っていると、ちょうど近くの馬場で笠懸をして来た帰りの土岐頼遠・二階堂行春(にかいどうゆきはる)とすれ違いました。
     上皇方の役人が
    「何者か。無礼であるぞ。馬から下りなされ」
    と大声で言うと、二階堂行春は馬から飛び降り、傍らにかしこまって座したのですが、一方の土岐頼遠は
    「この頼遠を馬から下ろすことのできる者が洛中にいようとは思われないが、そのように言うのはいかなる馬鹿者か」
    と大声で叫び、なんと下馬を拒否したのです。
     鎌倉時代前期には、後鳥羽上皇を始めとする3上皇が遠島に流されたものの、それでも鎌倉武士たちは公家や天皇の権威を十分に重んじていました。ところが南北朝時代になると皇室が2つに分裂したことで皇室の権威はすっかり失墜し、まして北朝の皇族は将軍尊氏のおかげで即位できたということもあり、武士らは全く皇位を軽んじるようになったようです。

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    ただの歴史好き。完結できるかどうか分からない連載を書き続けてる人。連載を始めて5年目。やっと16世紀に入ったところです。先は長いですが優しく見守って下さい。 これから歴史を動かすような大仕事をして、この連載の令和時代の記述にさりげなく自分を実名で登場させるという夢を持っています。

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