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日本人の物語00270【平安前期】在原業平と藤原高子

     応天門の変が起こったのと同じ年の貞観8(866)年、16歳となった清和天皇のもとに、24歳の藤原高子(ふじわらのたかいこ:842~910)が入内しました。高子は良房の姪に当たります。
     8歳年上の女御が天皇のもとに入内すること自体、珍しいことですが、高子には過去に世間を賑わせたスキャンダルがありました。それは、在原業平(ありわらのなりひら:825~880)と駆け落ちをしたというものでした。
     在原業平は、阿保親王の子です。つまり、薬子の変で失脚した平城上皇の孫ということになります。天皇即位への道を閉ざされた皇族で、当初は「業平王」と呼ばれていました。天長3(826)年に臣籍降下し、「在原」の姓を名乗るようになりました。
     公式歴史書『日本三代実録』には、
    「在原業平は美男子で勝手きままな人物。和歌の才能があった」
    と書かれています。数々の恋歌を詠み、様々な女性と恋愛を楽しみ、その生涯は『伊勢物語』というタイトルで歌物語として語り継がれています。
     伊勢物語のうち、特に有名なエピソードが、藤原高子との駆け落ちです。
     業平は高子と駆け落ちして、芥川(大阪府高槻市)というところにやって来ました。草の上におりていた露を見た高子は、「光っているあの玉は何?」と尋ねます。
     その後、業平が少し目を離した隙に、高子は鬼に食われてしまいます。絶望した業平は、
    「白玉か 何ぞと人の 問ひし時 露と答へて 消えなましものを」
    (あの人が光る玉は何かと尋ねたとき、露だよと答えて、私もその露のように消えてしまえばよかったのに)
    と詠み、その後、都を離れ東国に下ることとなりました。
     もちろん、鬼に食われたというのは創作で、実際には、
    「高子の兄弟が高子を奪い返そうとし、業平との間で高子の奪い合いとなり、業平は髻(もとどり)を切られてしまったので、髪がまた生えてくるまでの間、業平は東に下って歌枕(和歌によく詠まれる場所のこと)を見に行くこととなった」
    というのが事実のようです。
     さて、東国を旅する業平は、武蔵国(東京都)にやって来ます。そこで都鳥を見て
    「名にし負はば いざ言問はむ 都鳥 わが恋ふ人は ありやなしやと」(その名を都鳥と呼ぶくらいだから、聞いてみよう。私の恋するあの人は、都で今どうしているのだろう)
    と詠んだことも有名ですね。この歌を詠んだとされる場所が、業平橋(東京都墨田区)や言問橋(東京都台東区と墨田区の境界)という地名になっています。
     東武鉄道の業平橋駅は、残念ながら「とうきょうスカイツリー駅」という名称に変更されてしまいました。せっかくの歴史ある地名を残してほしかったですね。

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    ただの歴史好き。完結できるかどうか分からない連載を書き続けてる人。連載を始めて5年目。やっと16世紀に入ったところです。先は長いですが優しく見守って下さい。 これから歴史を動かすような大仕事をして、この連載の令和時代の記述にさりげなく自分を実名で登場させるという夢を持っています。

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