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日本人の物語00145【人代後期】25代武烈天皇

     武烈天皇元(499)年12月。小泊瀬皇子が即位しました。武烈天皇です。
     日本書紀の年号を信じるならば、10歳で即位したことになります。しかし、10歳で前述したような女性をめぐるトラブルになるとは考えにくいので、実際の年齢はだいぶ違ったことでしょう。
     武烈天皇は即位後すぐに、大伴金村を大連(おおむらじ)に就任させました。連から大連になるのがどの程度の出世なのか、ピンと来ませんが、政敵を葬ることに功のあった大伴金村を重用したということでしょう。
     さて、古事記では武烈天皇の事績は何一つ書かれていないのですが、日本書紀にはその暴虐ぶりがたっぷりと記されています。
    ・武烈天皇2(500)年9月。妊婦の腹を裂いて中にいる胎児を見た。
    ・武烈天皇3(501)年10月。人の爪を抜いて、山芋を掘らせた。
    ・武烈天皇4(502)年4月。人を木に登らせて、その木を切り倒し、人が転落死するのを見て楽しんだ。
    ・武烈天皇5(503)年6月。人を池の中の樋(とい)に入らせて、外に流れ出てくるところを矛で刺し殺して喜んだ。
    ・武烈天皇7(505)年2月。人を木に登らせて、弓で射殺して笑った。
    ・武烈天皇8(506)年3月。女を裸にして、馬と交わらせて殺した。
    ・美食を口にして、民が飢えていることを忘れていた。
    ・人を集め、淫らな音楽を奏でさせ、ふしだらな騒ぎをした。
    ・女たちと酒に溺れた。
     このように、かなりの紙幅を割いて、武烈天皇がいかに横暴な支配者だったかを延々と記載しています。
     しかし、これらは全て中国の古典からの引用で、史実とは考えにくいものです。次の継体天皇の即位を正当化するために、武烈天皇を悪役にした可能性が高いといわれています。
     それにしても、悪事のレパートリーが奇妙ですね。「爪を抜いて山芋を掘らせた」というのは、他に比べると何とも地味な拷問です。
     武烈天皇は武烈天皇8(507)年12月8日に崩御しました。これまた、子がないままの崩御で、皇統は再び途絶えてしまいました。次の天皇の位をめぐり、またまた混乱が起こります。
     なお、宮城県栗原市の櫻田山神社は武烈天皇を主祭神とする珍しい神社です。タレントの狩野永孝の実家としても知られています。

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    ただの歴史好き。完結できるかどうか分からない連載を書き続けてる人。連載を始めて5年目。やっと16世紀に入ったところです。先は長いですが優しく見守って下さい。 これから歴史を動かすような大仕事をして、この連載の令和時代の記述にさりげなく自分を実名で登場させるという夢を持っています。

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