
日本人の物語01723【戦国/東国/長享の乱】長享の乱総括
戦国時代を描いていて思うのは、「英雄が登場するまでの戦国初期は地味だなあ」ということです。しかし調べるにつれてこの地味な時代が面白く思えて来ました。
文明14(1482)年11月27日から永正2(1505)年3月7日までをまとめてきました。
本稿ではかつて、室町~戦国時代について
「チーム戦」→「バトルロイヤル・地区予選」→「ブロック大会」→「全国大会」
という比喩を用いて説明したことがありましたね。実際、ここまでの関東の戦乱について振り返ってみると
・永享の乱: 将軍VS鎌倉公方の戦い
・享徳の乱: 古河公方VS上杉家の戦い
・長享の乱: 山内上杉家VS扇谷上杉家の戦い
・永正の乱: 古河公方家中と越後上杉家中それぞれの内紛(次章)
という流れであり、当初は大物同士が争うチーム戦だったのが、徐々に小さい単位での争いになっていることが分かります。ましてここには書ききれない宇都宮家・千葉家・佐竹家・武田家の内紛が多数発生しています。
つまり、かつては誰もが長いものに巻かれる形で将軍と公方のような大物同士の争いに参戦していたのに、今や誰もが主人公となって親戚同士で争い、利益を得ようとしているのです。一方、京で起こった応仁の乱や六角征伐はまだ大物同士のチーム戦の段階ですから、
「関東では京よりも早くバトルロイヤルが始まった」
と評価できそうです。
なぜ関東にはかくも早く戦国時代が訪れたのでしょうか。
考えられるのは、畿内に比べて将軍の影響が低かったことでしょう。関東8ヶ国は室町初期の段階から将軍ではなく鎌倉公方に委ねられていましたし、その鎌倉公方が将軍から討伐されるという不名誉を負ったことで、鎌倉公方の権威も大きく傷ついていました。公方の権威が凋落すると、関東の統治権は自ずから公方から関東管領上杉氏の手に移ることとなりますが、その上杉氏もまた2派に分裂して戦っていました。これでは中央政権が機能せず、バトルロイヤル状態に陥るのは自然のなりゆきでしょう。
ここから関東はさらにまとまりを欠き、家同士の抗争が激化していきます。そうした中で突出してくるのが後北条氏(伊勢宗瑞)です。後北条氏は長享の乱の時点では扇谷家に味方していますが、次なる戦い「永正の乱」の途中から独自の行動を始め、古河公方、両上杉ら既存の権威にとって最大の脅威となっていくのです。
この後の関東戦国史は非常に複雑に見えますが、トーナメントが進んでいくと「後北条氏とその対抗勢力との戦い」に収束していき、徐々にシンプルになっていきます。
こうしたマクロな視点をちょくちょく挟んでおかないと、関東戦国史は理解しづらいですね。度重なる合従連衡で、勢力図が次々と変容していきます。