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日本人の物語01491【室町/西国/大乱前夜】103代後土御門天皇

    やっと103代まで来ました。天皇の代替わりを初代から(欠史8代を除いて)ずっと描いてきましたが、だんだん1代当たりにかかるページ数が長くなってきましたね。

     寛正5(1464)年7月19日。45歳になった後花園天皇は、22歳の息子・成仁親王(ふさひとしんのう: 1442~1500)に譲位しました。第103代後土御門天皇の誕生です。余談ですが、日本史上漢字表記が最も長い天皇となります。
     後花園天皇が、即位前の成仁親王に送った『後花園院御消息』という文書があります。これは天皇の心構えを説いたもので、寛正3(1462)年10月に記されたものです。なかなかに厳しいことが書かれているので、紹介してみましょう。
    「声が落ち着きないように聞こえる。柔らかく、のどやかに話をするように」
    「連歌の会のとき、他人の作品がいかに下手に見えようが、安易に人の作品に難癖をつけるべきではない」
    「何もかも思い通りに叶ってきたせいか、人への心遣いが足りないと思われるところがある。幼い頃ならまだしも、大人になった以上は身を慎み、世間から嘲られることのないようにせよ」
    「近頃、小鳥を集める趣味に没頭しているようだが、よろしくない。そのような無用のことに心を捕らわれていては、大事なことが疎かになってしまうものだ。子供の頃は良いとして、今は学問に打ち込むべきだ」
     後土御門天皇には連歌の才能があったらしく、それだけに他人の歌を厳しく評価するときがあったのでしょう。そうした態度が思いやりに欠けていると後花園上皇は思っていたようです。
     さて、この頃の天皇の在位期間は異様に長いことで有名です。室町中期から戦国までを見ていくと、次のとおり長期の在位期間が続きます。(神話時代を除いた上での在位期間のランキングも括弧書きで記しておきます)
    ・後花園:35年11ヶ月(第5位)
    ・後土御門:36年2ヶ月(第4位)
    ・後柏原:25年6ヶ月(第15位)
    ・後奈良:31年3ヶ月(第9位)
    ・正親町:29年1ヶ月(第12位)
     在位期間が長いのは、戦国の世になって朝廷が資金不足に陥り、譲位の儀にかかる費用が捻出できなかったためです。事実、上に挙げた5名の中では後土御門・後柏原・後奈良の3名は譲位することができず、崩御するまで天皇の座に留まり続けました。
     これ以降、朝廷にとって冬の時代が続くこととなります。

    天皇家の、父から子に宛てた手紙が残されていて、それが公開されているというのは極めて貴重ですね。

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    ただの歴史好き。完結できるかどうか分からない連載を書き続けてる人。連載を始めて5年目。やっと16世紀に入ったところです。先は長いですが優しく見守って下さい。 これから歴史を動かすような大仕事をして、この連載の令和時代の記述にさりげなく自分を実名で登場させるという夢を持っています。

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