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日本人の物語01711【戦国/東国/長享の乱】小田原城奪取

    今回は私が「少年少女まんが日本の歴史(小学館版)」で知った話です。江戸時代の創作ですが。

     扇谷家を見限り山内家の味方となった古河公方政氏は、さっそく家臣・簗田成助(やなだしげすけ:?~1512)を岩付城(さいたま市岩槻区)への援軍として派遣しました。このことを知った伊勢宗瑞は、明応3(1494)年11月14日、岩付城への攻撃をやめて伊豆へと撤退していきました。総大将の定正を失ったことでだいぶ消極的になっているようです。
     翌明応4(1495)年の話として、伊勢宗瑞=北条早雲による小田原城攻略のエピソードがあります。およそ史実とは信じがたい話ですが、有名なので取り上げておきましょう。伝承上の話なので、ここでは宗瑞ではなく早雲と表記することにします。
     あるとき、北条早雲が小田原城に使者を派遣して、
    「最近、私の国(伊豆国)で鹿狩りを催しているのですが、多くの鹿が箱根山に集まっているようです。できたら私どもの勢子をご領国の方から入れて、鹿をこちらに追い返したいと存じます。そのため、貴国(相模国)に人を入れることをお許しいただけませんか」
    と述べました。
     大森実頼・藤頼(ふじより)兄弟は迂闊にもこれを許可してしまいます。すると明応4(1495)年2月16日、早雲は勢子に扮装した兵を小田原城の領内に入れ、あらかじめ集めておいた千頭の牛に対し、その角に松明をくくりつけて笠懸山(神奈川県小田原市)に配置しました。
     山に松明の火が次々と灯っていくのを見て、大森実頼・藤頼とその家臣たちは
    「一体敵は何人いるのか」
    と大混乱に陥りました。
     こうなっては、もはや戦になりません。大森方の兵は次々と打ち破られ、成田市之丞(なりたいちのじょう:?~1495?)は主君に
    「岡崎城(神奈川県平塚市)に落ち延びてください」
    と言い残し、討ち死にしました。大森兄弟は命からがら岡崎城へと逃亡しました。
     小田原城を手にした北条早雲は、以後10年かけて領内に善政を布し、「相模衆十四家」と呼ばれる国人衆はことごとく早雲の味方になりました。
     早雲はなかなか豪快な性格で、あるとき小田原で馬盗人として逮捕された男が
    「俺は確かに馬を盗んだが、国を盗んだこの者はどうじゃ」
    と言って早雲を指さすと、早雲は笑ってその男を解放したといいます。
     以上が『北条記』に記された早雲の小田原城奪取のエピソードですが、古文書を見ていくと明応5(1496)年7月時点で小田原城はまだ山内方に属しているので、極めて疑わしいといわれています。こういう面白過ぎる話は疑ってかかった方が良いでしょう。

    「面白すぎる話は疑う」という鉄則は是非みなさん覚えておいてください。

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    ただの歴史好き。完結できるかどうか分からない連載を書き続けてる人。連載を始めて5年目。やっと16世紀に入ったところです。先は長いですが優しく見守って下さい。 これから歴史を動かすような大仕事をして、この連載の令和時代の記述にさりげなく自分を実名で登場させるという夢を持っています。

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