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日本人の物語00692【鎌倉中期】持明院統と大覚寺統 兄弟交流

     この機会に、少し時代を先取りして、持明院統と大覚寺統それぞれの天皇をまとめておきましょう。
    ・第89代後深草(ごふかくさ): 在位1246~1259(持明院統)
    ・第90代亀山(かめやま): 在位1259~1274(大覚寺統)
    ・第91代後宇多(ごうだ): 在位1274~1287(大覚寺統)
    ・第92代伏見(ふしみ): 在位1287~1298(持明院統)
    ・第93代後伏見(ごふしみ): 在位1298~1301(持明院統)
    ・第94代後二条(ごにじょう): 在位1301~1308(大覚寺統)
    ・第95代花園(はなぞの): 在位1308~1318(持明院統)
    ・第96代後醍醐(ごだいご): 在位1318~1339(大覚寺統)
     必ずしも交互に即位しているわけではありませんが、一人又は二人で交代する形で皇位を回していることが分かりますね。
     さて、弘安元(1278)年春には、「後深草上皇と亀山上皇が険悪である」との噂が幕府に伝わり、それを打ち消すため両者は融和を図りました。亀山上皇が後深草上皇を訪問し、ともに花見を催したのです。
     このとき、亀山上皇が持明院を訪れると座が相対するように置いてあったため、亀山上皇は自分の座を下座に置き直して座りました。しかし、そこにやってきた後深草上皇は自分の座を相手と同列の場に置き直して座ったといいます。互いに配慮が行き届いていますね。
     秋には、両上皇は一つの車で伏見に紅葉狩りに出かけました。鷹司兼平(たかつかさかねひら:1228~1294)が
    「伏見山 幾よろづ世も 枝そへて さかえん松の 末ぞ久しき」
    (伏見山では何万年のちまで松の木が茂るでしょうが、同様に両上皇も永久に繁栄することでしょう)
    と詠むと、後深草上皇は返歌として
    「さかふべき 程ぞ久しき 伏見山 おひそふ松の 枝をつらねて」
    (伏見山の生い茂る松が枝をつらねているように、我々も長く繁栄するであろう)
    と詠みました。
     このように、兄弟自身はこのように親しく交流していましたが、子の代、孫の代になって皇位をめぐる闘争が起こります。

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    ただの歴史好き。完結できるかどうか分からない連載を書き続けてる人。連載を始めて5年目。やっと16世紀に入ったところです。先は長いですが優しく見守って下さい。 これから歴史を動かすような大仕事をして、この連載の令和時代の記述にさりげなく自分を実名で登場させるという夢を持っています。

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