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日本人の物語00076【神代】須我神社

     さて、戦いを終えたスサノオは、クシナダヒメと一緒に住む場所を探し始めました。少し歩いたところで
    「ここに来て私の心はすがすがしい」
    と言って、宮を作ることにしました。そのため、その地は「須賀(すが)」と呼ばれるようになりました。何だか後付けのような気もしますが。
     この須賀で宮を建てたところ、雲が立ち上ったため、スサノオは次の歌を詠みました。
    「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」
    (やぐもたつ いずもやえがき つまごみに やえがきつくる そのやえがきを)
     歌の意味は、「雲が立ち上る出雲で、妻を住まわせるために垣根を作った」といったところでしょうか。これこそが記録されている中で最古の和歌ということになりますが、まあ鑑賞に堪え得る和歌ではないですね。ちなみに「八雲立つ」は出雲を導くための枕詞で、この歌は小泉八雲(こいずみやくも:1850~1904)のペンネームの由来となっています。
     須賀は現在の島根県雲南市須賀に当たり、若干漢字表記が異なりますが「須我神社」という神社が建てられています。
     須我神社は「日本初の宮」を名乗っています。日本国内にある神の住まいとしては史上初のものだということでしょうか。
     須我神社の境内には、「八雲立つ出雲八重垣妻籠みに八重垣作るその八重垣を」と刻まれた石があります。石には「和歌発祥の地」とも刻まれています。
     さて、スサノオが主人公のエピソードはこれで終わりです。ヤマタノオロチ退治という荒唐無稽なエピソードが出てきましたが、この話は一体何を表しているのでしょうか。一説によると、ヤマタノオロチは斐伊川そのものを象徴しているといいます。斐伊川がたびたび氾濫を起こし、住民を飲み込んでいたところ、スサノオが治水工事を行ったという説です。つまりスサノオは地元を救った英雄ということになりますね。
     果たしてヤマタノオロチの退治という物語自体、モデルのある話なのかどうかも分かりませんが、なかなか興味深い説ですね。
     スサノオは乱暴者で高天原を追い出されるわけですが、その後で大変な活躍をしたわけで、地元で非常に愛されています。
     この後登場するオオクニヌシも出雲には大変関係の深い神で、出雲大社の祭神なのですが、スサノオの人気には負けるようです。出雲には「スサノオマジック」というバスケットボールチームがありますし、「スサノオ観光」というバス会社もありますし、「スサノオラーメン」というメニューもあります。
     日本人は、スサノオのように欠点を持つ人物の方が親近感を覚えるのかもしれません。

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    ただの歴史好き。完結できるかどうか分からない連載を書き続けてる人。連載を始めて5年目。やっと16世紀に入ったところです。先は長いですが優しく見守って下さい。 これから歴史を動かすような大仕事をして、この連載の令和時代の記述にさりげなく自分を実名で登場させるという夢を持っています。

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