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日本人の物語00566【鎌倉前期】曽我兄弟の仇討ち 工藤殺害*

     さて、十郎には仇討ちの前にやっておきたいことがありました。五郎の勘当を母に解いてもらうことです。十郎は母を粘り強く説得し、最終的に五郎を許してもらい、
    「私たち二人の小袖がみずぼらしいので、小袖を貸してほしい」
    と願い出ます。この小袖は、のちに兄弟の形見として母のもとに届けられることとなります。
     この場面は「小袖乞い」と呼ばれ、能や歌舞伎でも重要な場面として取り上げられています。
     母からもらった小袖を着て、兄弟は次に箱根権現の別当のもとへ別れを告げにいきます。
     二人は「矢立の杉」に着きました。かつて源頼義・義家父子が前九年の役に赴いたとき、戦勝を祈願して鏑矢を立てたという杉の木です。二人も矢を射立てて大願成就を祈りました。
     箱根権現に到着すると、別当は再会を喜んでくれましたが、二人の決意を知ると、
    「この太刀は、義経さまが木曽義仲を討つために上洛した際に、戦勝祈願のため箱根権現に奉納されたものだ。決してこの太刀をもらったことを他言してはならん」
    と述べ、五郎に太刀を与えます。
     二人はいよいよ富士の巻狩へと向かいます。連日狩りが続く中、二人は普通に狩りをしているふりをして仇の工藤をつけ狙います。二人が工藤を探していると、草をかき分けて鹿を追った工藤が突然目の前に現れます。いきなりの絶好のチャンスですが、十郎が慌てて向きを変えようとすると、馬の脚がツツジの根に引っ掛かり、十郎は転倒してしまいます。そのうちに工藤は走り去ってしまい、二人はこのチャンスを生かすことができませんでした。
     その後、二人の前に鹿が走り出てきました。二人は鹿に向かって矢を放ちますが、矢は大きくそれて命中しませんでした。周囲の御家人たちは
    「あんなに大きく外すなんて」
    と不思議がりましたが、二人はあくまで仇討ちを目的にやって来たのであって、鹿を殺して余計な罪作りをしないよう心がけていたのでした。
     二人は真夜中に工藤の寝所を襲うことを計画します。建久4(1193)年5月28日の深夜、二人は工藤の寝所に忍び入り、すやすやと寝ている工藤の枕元に立ちます。十郎は
    「工藤左衛門尉。これほどの敵を持ちながら、だらしなくも寝入ったものよ。起きよ」
    と言って工藤の肩を太刀で刺します。工藤ははっと目覚めて兄弟の方を見ていたかと思うと、事情を察して太刀を取って起き上がろうとしますが、その瞬間、兄弟は工藤を斬りつけました。倒れた工藤の体に、二人は交互に刀を貫通させるほど強く刺し貫き、とどめを刺します。

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    前ページで紹介した虎塚古墳から徒歩5分の場所にある十五郎穴。6〜8世紀頃に作られた横穴墓で、穴の総数は300を超える。十郎と五郎がここに隠れたとの伝説がある。全体像を撮りたかったが観光客が多すぎて無理だった。2022年4月3日撮影。
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    十五郎穴の説明板。2022年4月3日撮影。

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    ただの歴史好き。完結できるかどうか分からない連載を書き続けてる人。連載を始めて5年目。やっと16世紀に入ったところです。先は長いですが優しく見守って下さい。 これから歴史を動かすような大仕事をして、この連載の令和時代の記述にさりげなく自分を実名で登場させるという夢を持っています。

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