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日本人の物語00088【神代】国譲りの意味*

     さて、アマテラスがオオクニヌシから葦原中国を譲られる「国譲り」の物語を紹介してきました。現在約8万8千社ある神社も、「譲った側」と「譲られた側」に分かれています。
    ○アマテラスら「天つ神」を祀る「伊勢系」
     アマテラスを祀る伊勢神宮、タケミカヅチを祀る鹿島神宮など。
    ○オオクニヌシら「国つ神」を祀る「出雲系」
     オオクニヌシを祀る出雲大社、タケミナカタを祀る諏訪大社など。
     タケミナカタは諏訪に追い詰められたとの記述があるので、諏訪で祀られていることは理解できます。一方、勝者であるタケミカヅチがなぜ茨城県鹿嶋市の鹿島神宮で祀られているのかはよく分かっていません。
     一体、「国譲り」という神話はどう捉えれば良いのでしょうか。天皇家としては、天皇の祖先であるアマテラスを徹底的に正当化しなければならないはずなのに、なぜ「アマテラスがオオクニヌシから出雲を侵略した」と読めるようなストーリーを記載したのでしょう。
     事実は事実だから、やむなく侵略色を薄めた形で記載したということでしょうか。「譲る」という言葉で侵略色を薄めたといっても、「力比べ」と称する戦闘や「殺さないでください」という命乞いなど、十分に侵略性が認められる表現になっているのですが。
     さて、研究者によって「伊勢系が出雲系を侵略した」という説に関連すると指摘されている事項がいろいろあります。
     まず、神社は通常「2礼2拍手1礼」であるのに出雲大社は「2礼4拍手1礼」とされています。これは、元々は異なる宗教だったことを意味するというのです。「伊勢系と出雲系は元々異なる宗教を持つ異なる国であり、侵略によって出雲系は敗北し宗教は統一された。しかし細かい作法は統一せず、そのままとなった」というわけです。
     もう一つ、出雲大社に程近い荒神谷(こうじんだに)遺跡(出雲市)から、358本もの大量の銅剣が出土しました。弥生時代後期に作られたものと考えられ、この頃の出雲に強大な国家が存在したことが明らかになったのです。一方、お隣の鳥取市青谷町にある青谷上寺地遺跡(あおやかみじちいせき)では、弥生時代後期の100人分を超える人骨が発見されました。しかも、その人骨の多くに殺傷痕が見られたのです。この地域で大規模な戦争があったことが分かります。この戦争こそ、伊勢系と出雲系の戦いだったという説もあります。
     さて、古事記では国を譲る側(出雲系)と国を譲られる側(伊勢系)は同根の縁戚にあると書かれています。オオクニヌシの6代祖先がスサノオであり、その姉がアマテラスに当たるのですから。
     これは国譲りを正当化するためのストーリーと考えられます。「伊勢系も出雲系も、祖先は同じじゃないか、だったら最高神たるアマテラスにこそ支配権があるのは当然である」という論理です。「縁戚関係だから」と言って侵略を正当化する論理は、この後何度も登場する古事記の大きな特徴です。

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    長野県諏訪市の諏訪大社本宮。2024年11月24日撮影。
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    茨城県鹿嶋市の鹿島神宮。2024年12月6日日撮影。今思うと、諏訪大社に参拝した翌月に鹿島神宮に行くのは良くなかった気もする。

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    ただの歴史好き。完結できるかどうか分からない連載を書き続けてる人。連載を始めて5年目。やっと16世紀に入ったところです。先は長いですが優しく見守って下さい。 これから歴史を動かすような大仕事をして、この連載の令和時代の記述にさりげなく自分を実名で登場させるという夢を持っています。

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