
日本人の物語01694【戦国/東国/長享の乱】駿河クーデター
漫画『新九郎、奔る』でこのクーデターが詳しく描かれていました。小鹿範満がそこそこ良い奴に描かれていて意外でした。
道灌の死を契機に発生する「長享の乱」の話に移る前に、その直前、長享元(1487)年11月に発生した駿河国のクーデターについて取り上げなければなりません。
前述のとおり、駿河国では当主・今川義忠が横死して、子の龍王丸と従兄弟の小鹿範満とが後継の座をめぐって争いました(01609回参照)。龍王丸の母・北川殿は弟の伊勢盛時を呼び寄せて工作し、一方の小鹿範満は外祖父の犬懸上杉政憲を味方につけた上、太田道灌を呼び寄せて工作した結果、
「家督は小鹿範満が継ぐが、あくまで龍王丸が15歳となるまでのつなぎである」
との妥協案が成立しました。この妥協案に基づき、家督は範満が継いで龍王丸は小川(こがわ:静岡県焼津市)に住むこととなりました。
しかし、いざ小鹿範満が駿河守護となると、守護職を我が子に継がせたくなるもので、約束を反故にしようと画策し始めます。北川殿・伊勢盛時姉弟は危機感を覚え、文明11(1479)年12月21日には大御所義政から龍王丸の家督継承を認める御教書を獲得し、約束通り小鹿範満の家督は一代限りであることを確認しました。恐らく、政所執事を務める伊勢貞宗が仲介してくれたのでしょう。
長享元(1487)年10月。龍王丸が15歳になったので、北川殿・伊勢盛時は小鹿範満に約束通り家督を譲渡するよう求めますが、どうやら小鹿側が拒絶したらしく、戦闘となりました。伊勢盛時は駿河西部で蜂起し、11月9日には駿府館を攻撃して小鹿範満を自害に追い込みました。
こうして15歳の龍王丸が家督継承したわけですが、実質的には北川殿・伊勢盛時姉弟が実権を握っていたと思われます。このとき龍王丸は盛時に興国寺城(静岡県沼津市)を授けたといわれていますが、創作との説もあります。
かつて小鹿範満は、堀越公方や太田道灌の強力な支援を受けられていたのに、なぜ敗北したのでしょうか。
その原因は、範満の外祖父・犬懸上杉政憲の失脚にありました。堀越公方政知には
長男:茶々丸(ちゃちゃまる:?~1498)
次男:清晃(後の11代将軍義澄)
三男:潤童子(じゅんどうじ:?~1491)
の3人の子がいたのですが、長男の茶々丸があまりに素行が悪かったので政知の命で廃嫡され、座敷牢に入れられ、三男の潤童子が堀越公方を継ぐことが期待されていました。(次男の清晃が将軍職を継ぐべく京に送られ、伊豆にいなかったのは前述のとおりです。)
そして犬懸上杉政憲は茶々丸の廃嫡に反対し、政知を諫めようとしたところ勘気を被り、自害させられていたのです。
小鹿方の有力な味方がいなくなったことは、伊勢盛時にとって僥倖でした。今後、盛時は思わぬ形で堀越公方家に介入していくこととなります。
伊勢盛時(北条早雲)の若き日のエピソードは虚実入り混じっており、真実だけを抽出するのが非常に難しいところです。