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日本人の物語00177【飛鳥】乙巳の変 蘇我入鹿殺害*

     皇極天皇4(645)年6月12日。いよいよ計画を実行する日がやって来ました。
     この日、三韓の使者が来て天皇に貢物を献上する儀式が催されました。三韓とは朝鮮半島の3国のことで、百済・新羅・高句麗のことです。
     それにしても、クーデターを起こすには最悪のタイミングです。外国の使者を招く外交儀式の日に、使者たちの前で政変を起こしてしまうわけですから、外国から
    「倭国は揉めている。この機に乗じて侵略してやろう」
    と思われてしまうおそれがあります。まあ、だからこそ「何も起こるわけがない」と入鹿が油断するタイミングだったと思われますが。
     皇極天皇が玉座に付き、古人大兄皇子と蘇我入鹿がその傍に侍し、儀式が始まりました。蘇我石川麻呂が、三韓からの上表文(天皇への上申書のこと)を読み上げ始めます。
     この読み上げの最中に、佐伯子麻呂(さえきのこまろ:?~666)と葛城網田(かつらぎのあみた)が入鹿に斬りつける手筈でした。ところが、上表文を読む石川麻呂は汗にまみれ、声が乱れ、手が震え始めました。肝の小さい人物のようですね。
     入鹿が「なぜそんなに震えているのか」と尋ねると、石川麻呂は
    「帝の傍にいるのがおそれおおいからです」
    と答えます。
     子麻呂と網田がなかなか斬りつけようとしないので、潜んでいた中大兄皇子が躍り出て来ました。そして入鹿の頭から肩にかけて斬りつけます。これを受けて、次いで飛び出した子麻呂が入鹿の脚に斬りつけました。
     転倒した入鹿は這いながら皇極天皇に向かって
    「私に何の罪があるというのですか」
    と訴えます。原文では「臣、罪を知らず」と記述されている場面です。
     皇極天皇は目の前の光景に驚き、中大兄皇子に「一体何が起こったのか」と尋ねます。中大兄皇子が「母上。入鹿は帝位を傾けようとしていたのですよ」と答えると、皇極天皇はそのまま奥へ退出してしまいました。入鹿を見捨てたというわけですね。入鹿はこのまま殺害されます。
     出来事が起きた飛鳥板蓋宮跡には、今は建物は一切残っておらず、特に復元もされていませんが、宮殿の跡が出土しています。「こんな山に囲まれた場所に宮殿があったのか」と意外に感じる場所です。蹴鞠の会が催された飛鳥寺から徒歩5分くらいの場所にあるようです。
     ちなみに、このとき入鹿の首が飛鳥寺まで飛んでいったといわれており、飛鳥寺の裏手に首が落下した場所とされる「首塚」があります。徒歩5分も離れた場所まで首が飛ぶはずがないですね。

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    飛鳥寺の西門を出てすぐのところにある蘇我入鹿の首塚。飛鳥寺は蘇我氏の寺なので、僧の方は乙巳の変について「入鹿さんは宮殿に呼び出され、騙し討ちで殺されました。何ちゅうひどいことを」と憤りながら説明しておられた。首塚の向こうに見える丘は蘇我蝦夷の館があった甘樫丘。2026年5月5日撮影。

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    ただの歴史好き。完結できるかどうか分からない連載を書き続けてる人。連載を始めて5年目。やっと16世紀に入ったところです。先は長いですが優しく見守って下さい。 これから歴史を動かすような大仕事をして、この連載の令和時代の記述にさりげなく自分を実名で登場させるという夢を持っています。

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