メインコンテンツへスキップ
見出し画像

日本人の物語00714【鎌倉後期】永仁の徳政令 東寺百合文書*

     永仁の徳政令を紹介したところで、この法令にまつわるちょっとした雑学も紹介しておきましょう。
     鎌倉幕府がいつどのような法令を示達したのか、その一覧のようなものは残っていません。幕府内で管理していた可能性はありますが、幕府滅亡の際に全て燃えてしまったのでしょう。
     では、永仁の徳政令の本文はどのようにして伝わっているのかというと、『東寺百合文書(とうじひゃくごうもんじょ)』と呼ばれる東寺(京都市南区)が管理していた文書の中に掲載されていたのです。
     江戸時代に加賀藩主・前田綱紀が東寺の文書を借用して書写を行った際に、その礼として豪華な桐箱に文書を入れて返却しました。この桐箱が100合あったことから『東寺百合文書』と呼ばれているのです。
     東寺は平安時代初期に建てられ、長きに渡って京の有力寺社として多くの荘園を管理していた荘園領主でした。その荘園領主たる東寺に対して、康永4(1345)年、ある農地の所有権をめぐる訴訟が持ち込まれたのです。つまり東寺が裁判所の役割を果たすということです。
     この訴訟の原告が誰なのかは分かっていませんが、被告は下久世(京都市南区)という地域の百姓でした。
     原告が、
    「この土地はかつて私の祖先が買い入れたものである。証文もある」
    と所有権を主張したのに対して、被告は
    「確かに売買契約は存在したが、永仁の徳政令によって無効となったはずである。なぜなら永仁の徳政令とはこのような法令である」
    と主張する文書を東寺に提出しており、その公判資料の中に法令の本文が引用されているというわけです。
     現在東寺は学校法人も経営しており、境内に進学校として名高い私立洛南高等学校を有しています。この洛南高等学校はかつて「東寺高等学校」と呼ばれており、不良の多い荒れた高校として有名だったのですが、昭和37(1962)年から学校改革を進め、現在では関西有数の進学校となりました。
     この学校改革に当たって、東寺は『東寺百合文書』を博物館に売却し、それで得た資金で校舎の増改築を行ったそうです。
     『東寺百合文書』は現在、京都府立京都学・歴彩館に保管されており、その後国宝や世界記憶遺産に登録されました。

    画像
    東寺の五重塔。何度か焼失しており、現存するのは江戸前期に建てたもの。2023年12月29日撮影。

    この記事が参加している募集

     
     
     
    ただの歴史好き。完結できるかどうか分からない連載を書き続けてる人。連載を始めて5年目。やっと16世紀に入ったところです。先は長いですが優しく見守って下さい。 これから歴史を動かすような大仕事をして、この連載の令和時代の記述にさりげなく自分を実名で登場させるという夢を持っています。

    あなたへのおすすめ