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日本人の物語01721【戦国/東国/長享の乱】追い詰められる山入家

    日本史上最も長い戦い、佐竹の乱の話です。これまた知名度が低いですね。

     「長享の乱」の章を終えるに当たり、少し時間を遡って付け加えるべき事項があります。
     永正元(1504)年には、佐竹氏とその分家筋である山入家との百年に渡る抗争が終結しました。この戦いは「佐竹の乱」「山入の乱」「百年戦争」などと呼ばれていたのでしたね。
     応永14(1407)年に義人が山内上杉家から佐竹本家に婿養子に入ったことで、佐竹本家と山入家の対立が始まったわけですが、両家は関東の戦乱が続く中、ずっと戦ってきました。
    ・上杉禅秀の乱(1416)
     足利持氏+佐竹義人VS犬懸上杉禅秀+山入与義
    ・永享の乱(1438~1439)
     足利持氏+佐竹義人VS山内上杉憲実+山入祐義
    ・結城合戦(1440)
     結城氏朝+佐竹義人VS山内上杉憲実+山入祐義
    ・享徳の乱(1454~1483)
     足利成氏+佐竹義俊・義治VS山内上杉房定・顕定+佐竹義人・義定+山入義知・義藤
    ・長享の乱(1487~1505)
     扇谷上杉定正+佐竹義俊VS山内上杉顕定+山入義藤・氏義
     いやはや、実に百年にも渡る抗争です。そもそも佐竹義人は山内上杉家から送り込まれた婿養子だったのに、皮肉なことに当初は山内上杉家と戦っていました。後に関係改善したものの、今度は義人の長男・義俊が山内上杉家と戦うことになりました。
     そして最新の情勢を復習しておくと、次のとおりです。
    ①延徳2(1490)年に山入義藤・氏義父子が佐竹義舜を攻撃し、孫根城に敗走させた。
    ②山入父子が佐竹本家の拠点・太田城に入城。和睦したものの城を引き続き占拠した。
    ③明応9(1500)年に山入氏義が和睦を破って佐竹義舜の孫根城を攻撃し、東金砂山(常陸太田市)に敗走させた。
     つまり山入家は十分勢いがあって、佐竹本家を追放することに成功しているにもかかわらず、それに飽き足らず更なる攻勢をかけているわけです。佐竹本家も負けじと味方を募り始めます。
     文亀元(1501)年3月。佐竹義舜は周囲の国人を味方につけて、宿敵・山入氏義と対決するべく東金砂城を出発しました。戦いを挑まれた山入氏義は、国安城代・天神林義益(てんじんばやしよします)に先鋒を命じ、これを迎え討とうとしましたが、花房(茨城県常陸太田市)の戦いで義益方が敗れました。
     焦った山入氏義は、総力を挙げて佐竹を叩こうとします。

    佐竹・山入がこれだけ長く戦うことができたのは、そもそも関東で別の大規模な戦乱が起こっていたためでしょうね。

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    ただの歴史好き。完結できるかどうか分からない連載を書き続けてる人。連載を始めて5年目。やっと16世紀に入ったところです。先は長いですが優しく見守って下さい。 これから歴史を動かすような大仕事をして、この連載の令和時代の記述にさりげなく自分を実名で登場させるという夢を持っています。

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