
日本人の物語01704【戦国/東国/長享の乱】堀越公方襲撃
「面白過ぎる話は疑え」というのが歴史を見る上での鉄則です。まあたまには面白過ぎる実話もありますが。
まずは「北条早雲」としての虚像から話していきましょう。以下、史実とは思えない話ばかりですがとりあえず聞いてください。
早雲は無職の牢人でしたが、実は平氏の血を引く貴種であり(!)、今川家に見込まれて食客として暮らしていました。
あるとき早雲は、6人の家臣に対してこんな話を語りました。
「昔は源平両氏が朝廷をお守りしていた。ところが保元・平治の乱を経て源氏が衰えて平家が栄え、治承・養和の時代になると平家が滅んで源氏が栄え、源氏三代の後は平氏出身の北条氏が世を治めた。その北条も9代で滅び、源氏出身の足利氏が京と鎌倉で栄えた。鎌倉殿(持氏)が滅亡すると堀越公方(政知)がやって来たが、これも病死した。鎌倉殿や堀越公方が凋落したのは、源氏が衰える時期がやってきたからである。関東管領上杉家は藤原氏出身であるから世を治めるにはふさわしくない。幸いなことに私は平氏であるから、源氏が衰えた後、必ずや世に出る運命にある」
早雲はそう言って、三島大明神に参籠して家の繁栄を祈ったというのです。源氏と平氏が交代に政権を担う運命にあるのならば、確かに平氏出身の北条早雲にとって有利です。
さらに早雲は、別の年の1月2日、こんな初夢を見たと語り始めました。
「広い野原の中に二本の杉の木があった。そこに一匹の鼠が出てきて、木の根っこを食べ始めた。すると鼠は大きな虎に変身した。私は鼠年生まれであるから、この夢に登場した鼠は私のことだろう。そして二本の杉の木とは、山内・扇谷の両上杉家のことだ。私の子孫はやがて両上杉を倒すであろう」
(恐らく早雲が康正2(1456)生まれで鼠年なのは史実でしょうし、生前にこんな夢の話をしていたのもあながち嘘とは言い切れません。だから早雲の生年を捏造するに当たって、24歳サバを読んで「永享4(1432)年生まれの鼠年」に設定したのでしょう。)
以上のとおり、早雲は最初から両上杉を倒して関東を手中に収めようとしていました。そして明応2(1493)年10月11日、伊豆を治める堀越公方・足利茶々丸が伊豆の豪族たちから支持されていない状況に乗じて、伊豆の豪族たちを従えて海から堀越御所(静岡県伊豆の国市)に攻め入りました。茶々丸は逃亡し、早雲は堀越御所を「韮山城」として整備し、ここを拠点に伊豆を支配し始めたのでした。
このように、一介の牢人であった早雲が国を乗っ取ったというのは実に痛快なストーリーです。しかし、実際にはこの伊豆乗っ取りは早雲の単独行動ではなく、幕府の指示によるものだった可能性が指摘されています。ここからは「伊勢盛時」としての実像を見ていくことにしましょう。
韮山に行った時、堀越公方邸宅跡がすぐ近くにあったのに立ち寄らなかったことが悔やまれます。