メインコンテンツへスキップ
見出し画像

日本人の物語01280【室町/義持期】義持期概観

    義持編スタートです。4代将軍足利義持は最初は割と良い人なんですが、徐々に父譲りの独裁者になっていきます。
    そういえばイトーダーキさんから「前書きを楽しみにしてます」と言われたのですが、前書きを書くようになったのは明らかにイトーさんの影響です。暇があれば後書きも書こうかな。

     ここからは、4代将軍義持の治世を見ていきましょう。具体的には、3代義満が死去した応永15(1408)年5月6日から4代義持が死去する応永35(1428)年1月18日までの20年間を見ていきます。
     この時代の将軍職は、
    ・4代義持(在職1393~1423)
    ・5代義量(在職1423~1425)
    の2名です。義持が父・義満の存命中に僅か8歳で将軍に就任したのと同様、義量(よしかず:1407~1425)は父・義持の存命中に15歳で将軍に就任しました。しかし酒の飲みすぎで体を壊し、17歳の若さで死去してしまいます。義持はその後、将軍を置かないまま政務を執り行いました。
     一方、将軍を支える補佐役たる管領職は、
    7代:斯波義重(在職1405~1409)
    8代:斯波義将(在職1409)
    9代:斯波義淳(在職1409~1410)
    10代:畠山満家(在職1410~1412)
    11代:細川満元(在職1412~1421)
    12代:畠山満家(在職1421~1429)
    となっており、斯波家の権力のすさまじさを物語っています。義将は息子の義重に管領を任せていましたが、外交上の理由(後述)で一瞬だけ管領職を息子から取り上げ自らが就任し、その後、孫の義淳(よしあつ:1397~1434)に管領職を継がせました。斯波家だけで管領を独占したがっているように見えます。
     しかし実力者・義将が応永17(1410)年に死去したことで、その後は畠山と細川が管領職を分け合っています。将軍義持が斯波家による管領職の独占を良しとしなかったためでしょう。管領職を斯波・細川・畠山の三家で交代で担当していく慣習は、義持によって定着したといえるでしょう。
     しかし義持は、父のように守護たちを見事に統制し、ワンマン経営者になることに成功したわけではありません。死に際して6代将軍を定めることができず、群臣たちで話し合って決めるよう遺言したことから考えても、義持の統治力には限界がありました。22歳で父を失った義持が、あの一癖も二癖もある守護たちを統制するには相当の難を感じたことは容易に推察できます。
     果たして義持は守護たちをいかにして統率していったのか、そしてそれはどの程度成功したと評価できるのか、考えながらまとめていきたいと思います。

    細川満元も畠山満家も、元服時に足利義満から「満」の字をもらって実名を付けているわけです。3代将軍義満から一字もらう人たちは、大体4代将軍義持と同世代になるので、義持政権を支えることになります。
    こんなふうに、室町時代においては大体「1代前の将軍から一字もらった人」が活躍しています。

    この記事が参加している募集

     
     
     
    ただの歴史好き。完結できるかどうか分からない連載を書き続けてる人。連載を始めて5年目。やっと16世紀に入ったところです。先は長いですが優しく見守って下さい。 これから歴史を動かすような大仕事をして、この連載の令和時代の記述にさりげなく自分を実名で登場させるという夢を持っています。

    あなたへのおすすめ