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日本人の物語00636【鎌倉前期】承久の乱 栂尾山の明恵上人

     承久の乱の戦闘はほぼ終了しましたが、残党狩りの最中の有名なエピソードを紹介しましょう。
     京の外れの栂尾山(とがのおやま:京都市右京区)に、明恵(みょうえ:1173~1232)という高僧が開いた高山寺という寺院がありました。その栂尾山で朝廷軍の残党を匿った罪で、明恵は安達景盛に捕らえられ、六波羅の泰時の前に引きずり出されてきました。
     驚いた泰時は明恵の縄を解くよう命じ、さらに明恵を上席に座らせ、礼をもって接しました。明恵は堂々とした態度でこう述べました。
    「栂尾山は殺生禁断の地である。鷹に追われた鳥や、猟から逃げる獣は、皆この山に隠れることで命を繋いでいるのだ。敵から逃れた兵も同じことではないか。情けもなく追い出せば、敵に捕えられて命を奪われてしまう以上、拙僧としては追い出すことはできない。釈尊は前世において、鳩に代わって鷹の餌食となり、餓えた虎に身を与えられたという。拙僧もまた、隠してやれるのなら袖の中にも袈裟の下にでも隠してやりたいと思った。この情けが幕府の政道に面倒な事であると申すのであれば、即刻拙僧の首を刎ねられよ」
     これを聞いた泰時と景盛は非礼を詫び、以後たびたび高山寺を訪れて明恵に教えを乞うようになりました。
     のちに3代執権に就任する泰時は、初代時政・2代義時に比べて非常に穏健な人格者だったと伝えられていますが、明恵の教育による影響が大きいといわれています。特に泰時が初めて武士のために作った法令である御成敗式目には、明恵の教えが色濃く受け継がれています。
     ちなみに明恵は歌人として知られていますが、最も有名な歌は
    「あかあかや あかあかあかや あかあかや あかあかあかや あかあかや月」
    というひたすら月の明るさを歌ったユーモラスな歌です。
     川端康成は、昭和43(1968)年にノーベル文学賞記念講演において、日本語の美しさや面白さを紹介するに当たってこの歌を引用しました。
     川端作品の多くを英語に翻訳していた日本文学研究家のエドワード・ジョージ・サイデンステッカー氏は、この川端の講演を通訳する役割を担っていたのですが、この明恵の歌の英訳にはひどく困ったことでしょう。ちなみにサイデンステッカー氏の訳は
    “O bright, bright, O bright, bright, bright, O bright, bright. Bright, O bright, bright, Bright, O bright moon.”
    というものでした。

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    ただの歴史好き。完結できるかどうか分からない連載を書き続けてる人。連載を始めて5年目。やっと16世紀に入ったところです。先は長いですが優しく見守って下さい。 これから歴史を動かすような大仕事をして、この連載の令和時代の記述にさりげなく自分を実名で登場させるという夢を持っています。

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