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日本人の物語00676【鎌倉中期】高麗政府の苦悩

     さて、7代将軍惟康親王と7代執権北条政村の治世に、日本中世史上最大の外交危機が訪れようとしています。
     文永3(1266)年。元の皇帝・フビライ=ハン(1215~1294)は、臣下の黒的(こくてき)を高麗に派遣し、高麗王・元宗(げんそう:1219~1274)に対して
    「国書を日本宛てに届けよ」
    と命令してきました。日本宛ての書状には、概ね次のようなことが書かれていました。
    「我が大元国は、遠方の外国がその徳を慕って付き従うこと数知れないほどの国である。万国は全て朕の国によしみを通じるべきである。朕の即位以前は、高麗は朕の国の攻撃を受けて戦禍に悩んでいたが、朕が即位するやすぐに戦闘を辞めさせた。今や高麗は朕に帰属して、親子のようなよしみを通じている。日本は高麗のすぐ近くにあるのに、未だ朕の国と交流をしていない。願わくは、互いに使者を派遣し合い、親睦を深めようではないか。兵を用いるようなことは朕はしたくない。よく思案せよ」
     高麗の重臣・李蔵用(イ・ジャンヨン)は大変なことになったと頭を抱えました。元に服属して以来、南宋との戦いに兵を駆り出され大変な目に遭っているというのに、フビライはさらに日本までも服属させようとしているのです。もし日本がこれを拒否して戦争にでもなれば、高麗の国力はますます衰えることとなります。
     李蔵用は一計を案じます。黒的を冬の巨済島に連れていき、朝鮮海峡の冬の荒波を間近に見せたのです。荒れ狂う波を見て黒的が肝を冷やしたところで、
    「あの遠くに見えるのが対馬という島ですが、日本はさらにあの奥にあり、より大きな海を渡ることとなります」
    と大袈裟に述べてみせたのです。
     さらに李蔵用は
    「日本はかつて隋の煬帝に対して無礼千万な書状を送ったことのある礼を知らぬ国です。大元国がひとたび書状を使わす以上、無礼があれば討伐しなければなりませんが、討伐するにも日本は非常に遠く、不便な土地です。日本を服属させても何らの利益はないのですから、無視するのがよいと思われます」
    というやんわりとした拒絶の返書をしたため、黒的に手渡しました。黒的もまたこれに同意して、
    「皇帝が理解してくだされば私も幸いに思う」
    と言って返書を受け取りました。
     しかし、高麗の返書を見たフビライは激怒してしまいます。

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    ただの歴史好き。完結できるかどうか分からない連載を書き続けてる人。連載を始めて5年目。やっと16世紀に入ったところです。先は長いですが優しく見守って下さい。 これから歴史を動かすような大仕事をして、この連載の令和時代の記述にさりげなく自分を実名で登場させるという夢を持っています。

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