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日本人の物語01003【南北朝前期】直義出奔

    なぜか、第00934回「結城宗広の地獄行き」のアクセス数が今頃伸びております。多分「逃げ上手の若君」のアニメに今週から登場したからでしょうね。

     中国地方の戦況が気になるところですが、他の地域でも幕府に対する反乱が次々と勃発します。幕府は南朝のみならず、北朝内の反乱勢力にも対峙しなければならなくなりました。
     正平5/観応元/貞和6(1350)年7月。美濃で土岐周済が反乱を起こしました。甥の頼康が土岐家を相続したことに反発したものとみられます。
     この反乱は足利義詮と高師直が素早く鎮圧し、8月20日には早くも京に凱旋して来ました。捕縛された周済は六波羅で処刑されることとなりました。
     9月29日には、更に幕府を悩ませる知らせがもたらされました。肥後国から都に早馬が来て、
    「兵衛佐(直冬)が先月13日に肥後国に到着し、河尻幸俊の館に住み始めました。幕府方に味方する者を集めましたが、なかなか直冬軍の攻撃には耐えられません。早く援軍を送ってください」
    というのです。河尻幸俊(かわじりゆきとし)とは河尻荘(熊本県熊本市)を拠点とする豪族ですが、直冬に味方することを決めてしまったようです。もはや九州は直冬の手に落ちたといってもよい状況でした。
     この報告を聞いた尊氏は、
    「さて、誰を討手にやろうか」
    と高師直に尋ねました。師直は
    「遠国の乱を鎮めるためには、足利家の末流か、あるいは執事の私などが行くべきですが、今回は何としても上様が直々に赴いていただいて、成敗する必要があるでしょう。恐らく九州の兵たちが兵衛佐殿(直冬)にお味方したのは、『将軍のお子だから将軍と心を通じておられるだろう』との憶測からです。将軍自らが御成敗の指揮をなされば、誰もが『父に逆らう子には天罰が下される』と思うでしょう」
    と進言します。
     尊氏はこれに頷いて、自ら出陣することを決めました。息子の義詮に都の留守を任せて、10月28日に都を出発するべく準備を行います。北朝の最強武将・高師直を引き連れての大軍勢でした。
     ところが、出発の2日前に当たる10月26日、謹慎中の弟・直義が監視の目を盗み、側近の石塔頼房(いしどうよりふさ:1321~1413)を引き連れて都を脱出し、大和(奈良県)へ向かいました。
     この直義脱出こそが、幕府を揺るがす一大事へと発展するのです……!

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    ただの歴史好き。完結できるかどうか分からない連載を書き続けてる人。連載を始めて5年目。やっと16世紀に入ったところです。先は長いですが優しく見守って下さい。 これから歴史を動かすような大仕事をして、この連載の令和時代の記述にさりげなく自分を実名で登場させるという夢を持っています。

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