メインコンテンツへスキップ
見出し画像

日本人の物語00623【鎌倉前期】実朝暗殺 真相を探る*

     実朝暗殺事件の真相を探っていきましょう。
    【疑問1:公暁の犯行動機は何だったのか】
     公暁は「親の仇はかく討つぞ」と叫んでいるわけですから、動機はもちろん「父・頼家の仇討ち」ということでよいでしょう。しかし、そうなると標的の選び方に疑問が生じます。
     というのも、頼家が死んだとき実朝はまだ11歳です。実朝が頼家暗殺の主犯であったとは考えられませんし、公暁自身そのような錯覚に陥るわけがありません。
     どうも動機からして謎だらけですが、とりあえず次の疑問に進みましょう。
    【疑問2:公暁の標的は誰だったのか】
     頼家暗殺の主犯は、どう考えても北条時政又は義時でしょう。当時の人々もそのように考えたはずです。だとすると、公暁の
    「親の仇はかく討つぞ」
    とは、
    「義時を見事殺害した」
    との錯覚から出た発言と考えられます。公暁のターゲットはあくまで義時であり、実朝は言わばそのついでに、「頼家暗殺で擁立された実朝もまた憎い」という理由で殺された可能性があるのです。つまり、義時が儀式直前に体調不良と称して御剣役を仲章に交代したために、仲章は義時と間違えられて殺されたというわけです。
    【疑問3:義時の急病は事実だったのか】
     もはや、義時の急病が虚偽であることは明白でしょう。義時は公暁による暗殺計画をあらかじめ知っていて、難を逃れるために直前に交代したわけです。「スパイとして後鳥羽上皇に送り込まれた仲章なら死んでも構わない」、むしろ「死んでくれればラッキーだ」というくらいに思っていたのでしょう。
    【疑問4:公暁が三浦を頼った理由は何か】
     ここが難しいところです。公暁が三浦を頼った理由として、吾妻鏡は「義村の子息が鶴岡八幡宮の門弟となっていたので、その縁を頼ったのだろう」と書いていますが、何の事前相談もなく将軍を殺害して御家人を頼ったところで、支持を得られるはずがありません。事前に何らかの密談がなされていたと考えるのが自然でしょう。
     つまり、三浦義村は実朝暗殺計画に加担する側の人間だったと考えられます。
     ここまで整理した上で、黒幕が誰なのかを推理していきましょう。

    画像
    実朝の墓がある寿福寺の門。鎌倉五山の第三位に位置付けられている。2022年9月24日撮影。

    この記事が参加している募集

     
     
     
    ただの歴史好き。完結できるかどうか分からない連載を書き続けてる人。連載を始めて5年目。やっと16世紀に入ったところです。先は長いですが優しく見守って下さい。 これから歴史を動かすような大仕事をして、この連載の令和時代の記述にさりげなく自分を実名で登場させるという夢を持っています。

    あなたへのおすすめ