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日本人の物語01065【南北朝中期】北条時行死す

    マンガ上ではあのヒーロー時行はどんな死に方をするんでしょう。気になりますね。あと、本稿は人気マンガのネタバレになってしまっているのでしょうか・・・?

     正平8/文和2(1353)年5月20日、あの神出鬼没の北条時行が遂に捕らえられ、龍ノ口で処刑されました。
     北条時行といえば、元弘3/正慶2(1333)年に鎌倉幕府が滅亡した後、諏訪大社の宮司である諏方頼重に匿われ、延元2/建武4(1337)年以降は南朝に身を投じて足利尊氏に逆らい続けた風雲児です。
     時行のすごさは、何といっても
    ・建武2(1335)年の中先代の乱
    ・延元2/建武4(1337)年の杉本城の戦い
    ・正平7(1352)年の武蔵野合戦
    と3度も鎌倉を占領したことでしょう。神出鬼没で、不利になったら逃亡し、ゲリラ戦法でもって尊氏を翻弄し続けたその生涯は、『逃げ上手の若君』という漫画の題材にもなりました。
     その北条時行が遂に捕縛され、処刑されたわけですが、残念ながらどこでどのような経緯で捕縛されたのか、史料がありません。ただ『佐野本系図』という文書は
    ・時行は伊勢に逃亡して生き延びた
    ・時行は北条行氏(ほうじょうゆきうじ)という子をもうけ、それが後の小田原北条氏の祖先である
    という異説を述べています。
     ちなみに小田原北条氏は、北条早雲・氏綱・氏康・氏政・氏直と5代に渡って小田原(神奈川県小田原市)を拠点として関東を支配した戦国大名であり、鎌倉幕府の執権を務めた北条氏の子孫を自称していた一族です。執権北条氏と区別するために「小田原北条氏」と呼ばれたり「後北条氏」と呼ばれたりします。
     実際には小田原北条氏が北条時行の子孫である可能性はほとんどないのですが、そうした伝聞が広まるほどに時行には庶民からの人気があったといえるでしょう。
     さて、同じ正平8/文和2(1353)年5月中、東北でも戦況が動きました。
     陸奥国府を治めていた北朝方(直義党)の吉良貞家が、宇津峰城(福島県郡山市と須賀川市の境界)に立て籠もる北畠顕信を破り、これを駆逐したのです。
     それにしても、九州では直義党は南朝方についたのに、東北では北朝方についていて、非常にややこしいですね。直義党は地域によって北朝方になったり南朝方になったりして難しい動きをしており、それが南北朝の動乱をさらに混乱させているのです。

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    ただの歴史好き。完結できるかどうか分からない連載を書き続けてる人。連載を始めて5年目。やっと16世紀に入ったところです。先は長いですが優しく見守って下さい。 これから歴史を動かすような大仕事をして、この連載の令和時代の記述にさりげなく自分を実名で登場させるという夢を持っています。

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