
エッセイ|他人に期待をしない。とよく言われるけれど、私はそれができなかった。
人との関わり方で期待しないようにするってよく言われれけど、わたしはどうしても期待をかけちゃう。だから、期待をかけても、期待と違うものが帰ってきた時に、どう自分を扱うか守るかっていう方向で、対策対応方法を考えるのがわたしには合ってるかもと感じた。
転職して、新しい職場にいる人たちが優しければいいな。
新しく入ってくる人が、攻撃的な人じゃなきゃいいな。
誰しも、一度はそう思ったことがあると思うし、そんな期待が心の隅で生まれたことがあると思う。
私が期待を込める理由は、その人の素晴らしいところや長所を知っているからだ。それだけではない。新しい環境なら「ここではうまくやっていけるかもしれない」と未来にも期待してしまう。期待とは、私にとって前向きな気持ちが形になったものなのだと思う。
だけど、結局その期待はわたしの中だけの期待、自分勝手な期待なだけで、その人が求めているものではない。
だから、期待と違うものが返ってきた時、わたしとその人の間に差異が生まれてびっくりしてしまうのだと思う。
でも、だからと言って期待をしないということを、すぐできるわけじゃないし、なんならそれを知ってから一度もできたことがない。
これはわたしの生まれ持った、生きていくうちに醸成された性質なんだと思う。
だけど、傷つきたくないし、期待外れでその人のことを嫌いになったりしたくない。
じゃあどうすればいいか?
冒頭に戻ると、期待をかけたその後に返ってきたものに対して、それをどう扱うか、どう自分を守るか、を探せばいいのだと思う。
そう思えば、相手もわたしも守ることができると思う。
その扱い方はまだ浮かばないし、多分いずれわかることなんだと思う。疑問が生まれただけで、この考えをわたしは一旦保留しようと思う。
保留したとしても、その後の扱い方は変えられる。そして、その扱い方が変われば、その先の未来も少しずつ変わるかもしれない。
私はもう、そのことを知っている。
だから、前より少しだけ変われる気がしている。
この問いの答えにいつか邂逅できる日が来たら、きっと私みたいな人が、そして未来のわたしが、少しだけ生きやすくなる気がする。
これはあくまで私の一意見だ。
期待をあまり乗せずに、人と関係を築いていける人もいると思う。
でも、私はそうではなかった。
何度も「期待しないほうが楽なのに」と思った。それでも期待してしまう自分は変えられなかった。
だから私は、「期待しない方法」ではなく、「期待したあと、どう自分を扱うか」という問いを選ぶことにした。
性質を無理に変えようとするのではなく、その性質とどう付き合っていくかを考える。
きっと私に必要だったのは、「どうすれば期待しなくなるか」ではなく、「だから、どうする?」という問いだったのだと思う。