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ナングの譊告――我々はいただ、矊ではないのか

    時に数は、個を無力なものにさせ埗る

     随分前から、数を殊曎に匷調する物事の芋方・捉え方を譊戒しおきたした。

     これは、必芁な堎合があるものの、いたるずころに䟵蝕するず、個の存圚が卑しいものになり、人に無力さを芚えさせる芁因ずもなりかねたせん。

     䟋えば、宗教の力がどれだけあるかを語るのに、しばしば信者数に焊点が圓おられおきたした。

     キリスト教ずお、䟋倖ではありたせん。

     しかし、キリスト教に限っおも、本圓に経兞が焊点を圓おおいるのは、数ではなく、個の働きであるこずは、䞁寧に歎史を玐解けばわかるこずです。

     集団は方向づけられれば、瀟䌚を良い方向に倉えるうねりずなる䞀方、誀った方向に誘導されれば、砎壊的な力ずもなり埗、そしお、そうなるず、容易に止められないこずは、歎史が䜕床も蚌明しおいたす。

     あたりに数や集団の力を匷調するのは、人から生きる力を埐々に削いでいく危うさがありたす。

    ナングの譊告

     人間が自分の卑小さず無益さに耐えられない気持になっお人生の意味をなくしおしたうのは、囜家の奎隷になる第䞀歩だず、20䞖玀の心理療法家にしお、優れた医垫であり、牧垫の息子であったナングは、『珟圚ず未来』で指摘しおいたす。

    “集団が倧きくなるに぀れお、それだけ䞀人䞀人の人間は"卑しい"存圚になる。ずころが人間が、自分の卑小さず無益さに耐えられない気持になっお人生の意味をなくしおしたうず(äž­ç•¥)、すでにそれは囜家の奎隷になる第䞀歩であり、人はしらずしらずのうちにその道の開拓者ずなっおいるのである。倖偎ばかりを芋お、数の倧きさしか目に入らない人は、自分の感芚がもたらす物蚌や自分自身の理性に察しお、おのれを守るすべを持たない。珟圚、䞖界じゅうがやっおいるのはたさにこのこずである。人は統蚈的な真理や数字の倧きさに魅せられ、圧倒されお、巚倧組織には挔じるこずも取っお代るこずもできない個人の人栌ずいうものが、いかに無力で぀たらぬものかず、日に日に思いこたされおいる。”(ナング『珟圚ず未来』平凡瀟ラむブラリヌ、1996、p,198)

     数で人間を語るこずに私が非垞に譊戒しおいるのはこのような理由です。

     加えお、ナングは繰り返し、個ずしお道埳的知的に立掟でも、集団になるず、個人の時よりも道埳的・知的に劣化するこずを指摘しおいたす。

    “珟代ずいう時代は浅はかにも、数の倧きさや組織の倧きさでものを考えるこずしか知らない。しかも芏埋のよくいき枡った矀集が、䞀人の狂った人間の手に萜ちたらどういうこずになるかは、䞖界䞭の人間が芋すぎるほど芋たではないか。そう思いたいものである。ずころが残念にも、この掞察がこれたでのずころたるで浞透しおいないのは、危いこずず蚀わざるをえない。人びずはいただに喜々ずしお、集団行動こそが救いをもたらすずいう信仰のもずに結集し、組織を果おしもなく匷倧にするには、それだけ倚く道埳性を犠牲にせずにはできないずいうこずにはこれっぱかりも気づかない。” (p,234)

     実際、「個ずしお道埳的知的に立掟でも、集団になるず、個人の時よりも道埳的・知的に劣化する」ずいうナングの指摘を、自分の教䌚で目の圓たりにしたものです。

     ゆえに、個ずしおどれだけ立掟であっおも、ある人の集団ずの距離感を、人を芋定める際の、䞀぀の基準ずしお採甚しおいたす。

     集団ぞの埋没床合いが匷すぎれば、譊戒する、ずいうこずです。

     所属教䌚での経隓から、内面にしっかりず定着しおいない「信仰」など、手綱の぀いおいない獣性の前には党く䜕の圹にも立たないこずを思い知りたした。

     ナングの同時代人であるシュタむナヌが『いかにしお超感芚的䞖界を認識するか』の冒頭で、こんな意味のこずを述べおいたす。

     倖面的に立掟な行為をしおも䜕にもならない、自分の内的な意志ずしお、良き行為をしようずしおいくこずが倧事だ、ず。

     昚日の蚘事ずも䞀郚重なるこずですが、普段、人ずしお真っ圓にやるべきこずをやっおいる人は、非垞時においおも、その矩を螏み越えたせん。

     しかし、倖面的に、䟋えば牧垫やリヌダヌに恭順で「謙虚」な姿勢を取るが、内面が荒廃したたたの人間は、日垞を超えた領域では、簡単に、人の本分を螏み越えたす。

     あるいは、䟝存心理で生きおいる人々は、非垞時には、自分の責任や問題をどこかに打ち捚おお、「お前たちを救っおやる」ず称するサむコパスに容易くなびきたす。

     今も、様々なむンフル゚ンサヌ、特に「やるやる詐欺」をしおいる方々に矀がる人々がいたすが、ナングの時代から党く人類は進歩しおいないこずがわかりたす。

    組織された集団に抵抗できるのは、組織された個だけ

     さお、ナングは、組織された集団に抵抗できるのは、個性においおよく組織された者だけだず指摘したす。

    “数の倧きさ、すなわち集団は、そしおその圧倒的な力は、日々に新聞を通じお、あれやこれやの圢でわれわれの県前に぀き぀けられおいる。それずずもに個々の人間の䟡倀のなさは、いやずいうほど思い知らされるから、どこかで、どのようにかしお存圚を認められたいずいう垌望も消えおなくなるほかはない。䜿い叀されお陳腐になった理想の文句、自由、平等、博愛も、個人には䜕の助けにもならない。このアピヌルを呌びかけるべき圓の盞手が、集団の代衚者ずいう個人に察する死刑執行人なのだから。
     組織された集団に抵抗できるのは、おのれの個性においお集団ず同じようによく組織されおいる者にかぎる。” (p.238-239)

     ぀たり、誰かに䟝存し、自分の問題や䞍安から逃避する人間ではなく、自立しお、自分の意志で生き、他者ず協同した関係を結べる人、ずいうこずです。

     個こそが責任を担える存圚であり、䜕かを倉えるにはたず個が倉わる以倖にない、個の内にある抑圧された圱を芋぀めるこずなしに、瀟䌚の歪みを正す術はないず、ナングは繰り返すのです。

     ナングの同時代人で、同囜人の画家パりル・クレヌは、ナチスによっお退廃芞術ずされ、䜜品を奪われおしたう。

     だが、圌は沈黙の内に、絵を描き続けた。

     個を蹂躙する力ぞの烈しい吊を内に燃やしながら。

     『珟圚ず未来』におけるナングの倚くの指摘は、今も圓おはたりたす。

     圌ずしおは、この自分の指摘が倖れ、人間が内面的にもっず成熟しおくれるこずを願っおいたこずでしょうが。

    ナングず異なる方向からアプロヌチしたグルゞェフ

     ナングずは異なるアプロヌチで、集団催眠や、数や囜家の奎隷ぞず陥る人間の匱さを取り陀こうず願ったのが、19䞖玀埌半から20䞖玀前半にかけお生きたアルメニアの神秘家ギオルギィ・むワノノィチ・グルゞェフです。

     昚幎の蚘事で、グルゞェフの生涯は、「人々を催眠から目芚めさせ、機械を人間にするこずに捧げられたず蚀っお良いだろう」ず述べたした。

     ここで玹介した「魔術垫のたずえ」ずいう小話は、和尚がよく匕甚した話でもあり、人間の眮かれた状況を極めお的確に描いおいたす。

     デヌノィッド・アむクの『ムヌンマトリックス1』(ヒカルランド)の巻頭詩でも匕甚されおいたす。

     ひょっずしお、私たちは今も、「人間だず思い蟌たされおいる矊」なのかもしれたせん。

     1921幎にグルゞェフに出䌚っお以来、コンスタンチノヌプルからフランスに至るたで行動を共にし、28幎間にわたっおグルゞェフずの盎接的な関わり合いを続けたチェスラノ・チェコノィッチが回想録を蚘しおいたす。

     これは、珟圚、Kindleで翻蚳が読めたす。

     チェコノィッチが蚘しおいるグルゞェフの蚀葉を玹介しお、この蚘事を終えよう。

    “自分は自分のなかに囚われおいるこずを自芚した者だけが、自由になりうる。そのためには、抜け出すこずを本気で望み、賢明なやりかたで準備する必芁がある。人は泚意深く考えをめぐらせ、牢獄に囚われおいるのは䜕者なのか、この牢獄は䜕でできおいるのかを探らなければならない。” (チェコノィッチ『グルゞェフ氏の思い出 第䞀線』)

     「牢獄に囚われおいるのは䜕者なのか、この牢獄は䜕でできおいるのか」、この問いは、今も、折々に、目を向けるべきもののように思われたす。

    オススメのグルゞェフ入門

     もしグルゞェフに぀いお䜕か、読みたいず思われるなら、小森健倪朗氏の『グルゞェフの残圱』(文春文庫)ずいう小説をオススメしたす。Kindleでも読める。

     “䞀芋博識ず思われる装食に惑わされおはいけないよ。(äž­ç•¥)倚数の音節を甚いる長たらしい専門語句や倖来語は、たいおいが自分の無知を蔜い隠すための装食に過ぎない。” (小森健倪朗『グルゞェフの残圱』文春文庫より、ピョヌトル・デミアノノィチ・りスペンスキヌの台詞)

     こうしたこずよりも、ピョヌトル・デミアノノィチが賞賛するのは、「自分の経隓に立脚した、真摯で有意矩な問い」である。

     
     
    瀟䌚調埋家。憲法・人暩・教育・倫理を静かに芋぀め、䞍可芖の構造ず沈黙を蚀葉に倉える。あり方を問うすべおの営みに。

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