
東方から三博士がお祝いに
マタイによる福音書の第 2 章によれば、「東方の博士」が新生児を崇拝したと記述されている。「ヘロデ王の時代、ユダヤのベツレヘムでイエスが生まれたとき、東方のマギ(魔術師)たちがエルサレムにやって来て尋ねました。『ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおられますか。私たちはその方の星が昇るのを見ましたので、拝みに来ました』

聖エウストルジョ教会(Basilica di Sant'Eustorgio)の起源となった東方の三博士の礼拝堂は、344年頃に建堂された。伝承によると、キリスト教を公認したコンスタンティヌス大帝は、4世紀半ばのミラノ司教・エウストルジョに、コンスタンティノープルの聖ソフィア教会に顕示されていた母后ヘレナが聖地で発掘した東方の三博士の聖遺物を贈った。
ミラノの戻ってからエウストルジョは、東方の三博士の聖遺物を顕示する礼拝堂(Basilica trium magorum)を築いた。後にエウストルジョも埋葬され、改築され聖エウストルジョ教会と改名された。

東方の三博士の聖遺物を納めた石棺を運んでいた牛車は、ミラノの門、コルピ・サンティ近くで突然停った。エウストルジョ司教は聖遺物がそこに留まりたいと望んでいると解釈し、そこに礼拝堂を築いた。
東方の三博士礼拝堂を起源とする聖エウストルジョ教会で、東方の三博士が幼きイエスの誕生を祝い貢物を贈った記念日、公現祭(1月6日)に記念日の特別ミサが行われる。





伝承によれば、エウストルジョはギリシャ出身で、ローマ皇帝によってミラノ総督としてミラノに派遣されたという。343年にミラノ司教プロタシウスが死去すると司教に選出された。エウストルジョは司教選出を皇帝に確認してもらうためコンスタンティノープルへ赴き、皇帝から東方の三博士の聖遺物を贈られ、ミラノへ移葬した。345年から346年、347年から348年にかけて、エウストルジョは異端のアリウス派を審議するシノドス(司教会議)を二回開催した。また、ミラノで礼拝堂、教会の建設した。聖アタナシウスはエウストルジョを「信仰の擁護者」と呼んだ。
