学校に行きたくないので受験します
三歳の息子・殿ちゃんは、集団生活が少し苦手だ。保育園の環境が合わず、不眠や癇癪が悪化し、母親の麻耶は発達特性への理解の乏しさに振り回されていた。そんなある日、部活動の体罰事件のニュースを見た麻耶は思う。
「学校に行きたくないなら、受験すればいいのでは?」
支援級、公立学校、中学受験、進学校、療育施設。様々な選択肢を前に、麻耶は自身の学生時代や家族との日常を振り返りながら、殿ちゃんにとって生きやすい環境とは何かを考え始める。
発達特性のある子どもを育てる母親が、愛情と不安、時々暴走する妄想を武器に、子どもの未来を模索する。実話をもとに描く家族の物語。
1
その日、ニュースで部活の顧問教師が体罰を行ったと報道されていた。
なんでも、試合中に英語の問題集を見ていたとか、なんとか。
それで、蹴ったり叩いたりの暴行を加えた挙句「帰れ」と言ったとか。
帰れ、なんて言うぐらいなら、最初から呼ばなきゃいいのに。
麻耶には、理解出来ない。
なんで試合中にいちいち、他の人の応援なんかしなきゃいけないの。
したけりゃするし、興味が無ければやらないだろう。
自分のやりたい事をするだけだ。
なんて、非合理的な活動なんだろう。
麻耶には、信じられない。
日本の中学校って、公立に行くと、部活とか必ずやらないといけないんだろうか。
帰宅部の選択肢無いの。
殿ちゃんは、まだ三歳だけど、中学生になったら部活とかマジでやらさないといけないの。
やってらんない。
麻耶はモヤモヤとしながら、ニュースを眺めていた。
2
麻耶は自分の母親、小ちゃいばーばの友達、山中さんが息子の野球部での活動について話していた事を思い出していた。
「もうな、お金はかかるし、やれ遠征に車出せじゃ、なんちゃかんちゃ言うて、ホンマにめんどくさい」
それでも、やらないといけないなんて地獄だな、とその話を聞いていた。
二人兄弟で弟が野球部に入っていた。
県内でも、ガラが悪いので有名な高校だった。
正直、山中さんの下の子は大人しそうな子なので、逆に心配になったぐらいだ。
しかし、その野球部、その年に甲子園に行った。
山中さんの息子も甲子園に行った。
本人はベンチに座っていただけらしいが。
そして二年後、高校を卒業した山中さんの息子は、地元の大手企業に就職した。
全国的に名前が知られているレベルの大手企業だ。
麻耶の出身県で有名な企業と言えば、そこを含め三社ぐらいしかない。
そんなレベルだ。
地元で、そのBIG3の一つに入ったのだ。
人生、勝ち組である。
「部活の人間関係を上手くこなせました、みたいなのが評価されたんじぇな。上下関係とか」
山中さんの証言である。
勉強は苦手高校であるが、本人は実はその高校の中で好成績を収めているのか、確認してみた。
本人も勉強が苦手なんだそうだ。
しかし、甲子園の切り札がある。
それで、就職が出来る事もある。
そんな就職の仕方も世の中にはあるらしい。
3
殿ちゃんの人生を考えてみる。
そもそも、集団生活が無理である。
出来なくはないが負荷が高い。
今も保育園に行ったり、行かなかったりしている。
一応、小学校から中学までは公立学校での発達特性への支援は整備されてきた、とは言われている。
しかし、あまり信用していない。
だいたい部活とか、やりたくなくてもやらされるのか。
ただの罰ゲームじゃないか。
勉強するよりも、集団生活に馴染める事を示す事が出来る子もいるだろう。
逆に、勉強は出来ても、集団生活に馴染めない子がいる事も認めるべきじゃないのか。
殿ちゃんが部活なんて、出来ると思えない。
それで、顧問の先生に尻でも蹴られてみろ。
麻耶は、その顧問教師の尻の穴に金属バットを突っ込む自信がある。
フィストセックスしか出来ない体にしてやるぜ。
まだ見ぬ敵に、戦闘態勢万全になってしまう。
4
だいたい、今から集団生活が苦手なのだ。
今年の春、担任の先生が苦手な人だった。
新学期、保育園に行かなくなった。
保育園に頑張って連れて来て下さい。
そう言われたので、頑張った。
結果、殿ちゃんは不眠が悪化した。
眠剤を飲んでも眠れない。
突発的な癇癪を起こす。
何よりも、疲れたら疲れるほど、家の中で暴れるようになってきた。
「ぐるぐるしたい」
「じゃんぷしたい」
そう言っては、深夜の一時や二時に寝室で暴れている。
麻耶の小児科の友人、ゆきちゃんに相談してみた。
「そもそも、保育園合ってない、と思うんだよねぇ。
辞めれるなら、辞めちゃうのがイイ気がする」
私もそう思う。
しかし、辞めると結局、じーじに毎日みてもらわないといけなくなる。
少し、じーじの負担が大きすぎるかな。
とりあえず、保育園は週に二~三日行くのを目標に緩く続けておいた。
5
殿ちゃんが保育園に馴染みにくそうに馴染んでいると感じた日もあった。
去年の秋。
お遊戯会を見に行った。
三歳のクラスのお遊戯なんて、まだまだ舞台の上に並んでいるのを眺めるだけだ。
他の子が、歩いて舞台に出てくるのに、一人先生に抱き上げられ、指を吸っている。
身につける物に拘りがあり、他の子供達は頭に装飾をつけているのに、一人つけていない。
被り物は断固拒否。
嫌いなのだ。
それでも、出し物の流れは覚えている。
タスクはこなせている。
舞台の上から麻耶を見つけた。
「あ!ままだ。
ままぁ~」
手を振っている。
少し、嬉しかった。
6
その一方で、お遊戯会が始まる前、担任の先生に言われた。
「昨日の練習の時、練習が嫌だったのか、殿ちゃん、ものすごく泣き叫んでいて。
以前から、おウチで泣き叫ぶって言われていたの、この事なんやなぁって思って」
「ああ、そうですね。
家では日常茶飯事です」
「保育園では、そんな事が今まで無かったので。
今日のお遊戯会も、殿ちゃんのご機嫌が悪いと、ちょっと舞台袖に控えさせてもらうかもしれないんですけど」
「ああ、全然問題無いです」
保育園側では、殿ちゃんの生態理解が進んでいないようだった。
ようやく、理解してもらえたのか。
そう思った矢先に担任の先生は、新学期で変更になる。
そして、殿ちゃんは不登校ならぬ不登園となっている。
7
その小児科の友達のゆきちゃんが言っていた。
「本当にね、小学校もびっくりするほど発達に理解無くてね。
我慢させるとか、頑張る、とか。
そんな問題じゃないのにね」
「知的発達の遅れの無い子ってホンマに理解されにくいもん」
「それなんよね。小児科同士でもさ、なんで五歳になるの待ってから紹介してくるのか意味分からないって言ってる専門の先生もいてね」
「私も、今、早く専門機関受診させてくれって言ってるんやけど、全然、どこも動いてくれんもん。そりゃ命に関わるわけやないけどさ」
「そんなん命に関わったら手遅れよ」
「それな。二次障害起きてからじゃ遅いと思うんやけどね」
「ホント、そうなんよ。なんで予防の重要性が分からないかな」
「予防って結果見えんからか、重要視されんよな」
「そうなのよ」
「学校とかって、支援級の先生の理解もそんなもんなの?」
「支援級はさすがに違うと思う」
しかし、その支援級の存在も入れるかどうかが難しい。
「この間ね、ある街でちょっと知的発達の遅れが見られる子がね、市の心理士から、この子のペースだから心配ないって言われてさ。心理検査もめっちゃ甘く付けられてて。その書類をきちんと作ってくれないと、こっちも支援級を小学校に作る要請が出来ないのにさ」
「市の職員だから、めんどくさいし、作りたくないって事なんかな」
「そういう意味なんかな。ホンマにめんどくさかったぁ。なんとかしたけど」
実態はそんなものだ。
8
じーじは殿ちゃんの大叔父さんで、麻耶の父方の叔父さんだ。
独身だから、同居して殿ちゃんと姫ちゃんをみてくれる。
最近は、殿ちゃんが保育園をサボった時、家で殿ちゃんと遊んでくれる。
この間、空き缶で竹とんぼを作っていた。
麻耶もそうだった。
麻耶の時は、バドワイザーの空き缶の竹とんぼを作ってくれた。
おもしろい遊びを知っている。
昔から変わらない。
9
麻耶は、小学校は公立だった。
けど、なんとなく四年生の時に近所の塾に通い始めた。
全国レベルで見ると、たいした事ない塾だったのかもしれない。
けど、田舎では新しく出来たちょっとした塾だったのだ。
通い始めたきっかけはたいした事では無かった。
父親が
「きょうび、塾ぐらい行っとかな、あかんのちゃうか」
などと、思いつきで適当な事を言ったせいだった気がする。
アットホームで、それなりに楽しかった。
麻耶は成績は悪くなかった。
けど、いつも今ひとつ勝てない男の子がいた。
いつも二番だった。
悔しくて、いつも勉強した。
小学六年に近づいてくると、みんな中学受験を意識し始めた。
みんなが受けるので、麻耶も受けたい、と言って、受験することにした。
麻耶よりも、いつも成績の良かった男の子は中学受験を受ける事さえしなかった。
「俺は家がそんなんちゃうし。
地元の中学行く」
それっきり、その男の子と会った事はない。
麻耶は地元の私立の進学校に進学した。
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麻耶が進学したのは、県内で唯一ぐらいの私立の進学校だった。
田舎すぎて、他にこれといった学校がないのだ。
他は、ある市立の公立高校の理数科ぐらい。
その二校程度なのだ。
だから、県内のいろんなところから子供が集まってくる。
汽車で片道一時間以上かかる子もいる。
都心にいると、電車で片道一時間なんてよくある事なのかもしれない。
しかし、電車ではない。
汽車なのだ。
こんな状況で、部活もへったくれもない。
まず、通学を安全に終わらせないといけない。
一時間かけて帰った先は無人駅だったりするのだ。
部活なんかせずにさっさと帰って、家で勉強でもした方がマシである。
そんな訳で、普通は帰宅部である。
学年のほとんどの人間が。
部活なんかするのは、一部の変わり者、それも市内に住む人間だけだ。
そして、成績優秀者で部活をやっている人間なんて見た事無かった。
だから、部活をやっている人は、むしろ成績悪い人のレッテルを貼られていた気さえする。
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特に麻耶の代は、優秀な同級生がいて豊作の年だったらしい。
一番、強烈に印象に残った男の子は下田君だ。
中学だけ同級生だった。
中高一貫校なのに、何故か高校受験をしていた。
灘を受験して、受かったらしい。
「なんだ、こんなもんか」
と言って、地元の公立高校の理数科に行ったようだ。
頭の良すぎる人間の考える事はよく分からない。
中学二年の学内旅行の観光バスの中で、谷村新司の群青を歌っていた。
渋い。
お兄さんが東大理三、お姉さんは書道家、本人は東大文一に行ったようだ。
卒業後は
「もっと勉強したい」
と言って、イタリアに旅立ったそうである。
その後の消息は知らない。
他には東大理三、阪大医学部などなど、国立医学部合格者も多かった。
麻耶は現役では行けなかった。
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麻耶の出身県は田舎だが、進学校には独特の雰囲気がある。
進学校の中は、成績でクラス分けが成されるが、クラスの半数以上が医者や歯医者の家の子女で占められるのだ。
そもそも、人口密度比に対する医者の数が多い県なのだ。
開業医の家の息子の医学部に進学しなくてはならない圧力は一際高い気がする。
「医者にあらずんば、人にあらず」
そんな雰囲気の父親を持つクラスメートもいた。
みんな必死である。
誰もが、国立医学部への進学を目指していた。
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麻耶は別に、ただの薬剤師の娘、はっきり言うと母子家庭だった。
父親は、時々離婚後も麻耶の顔を見に来ていた。
まあ、医者一族に比べると見劣りする家庭に見えたかもしれない。
けど、そこまで成績も悪くはなかった。
クラス分けで上位クラスに入ると、担任がホームルームで
「毎日家庭教師までつけて勉強させているのに、どうしてあの家の子の方が成績良いんですか、って言われるから、真面目に勉強して下さい」
みたいな意味不明な事を言っていた。
誰の事を言っているのか、知らない。
けど、そこまでやって成績悪いなら、勉強なんてやめさせりゃいいじゃん、と思っていた。
そして、麻耶は高校生の頃、よく学校をサボっていた。
理由は特にない。
なんとなく、行きたく無かっただけだ。
そして、じーじにドライブに連れて行ってもらっていた。
、
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そんな環境の地域の進学校だったけど、そもそも中学受験をして進学するのか、どうか、一度考えたのだ。
なんで行こうと思ったんだっけ。
面接では、中高一貫校なら大学受験の勉強に専念出来るとか適当な事を言った気がする。
けれど、一番の理由。
そうそう。
地元の中学がガラが悪くて評判が悪いから行きたくなかった。
これである。
不良と一緒に学校にいたくない。
進学校に行って、そんな粗野なヤツいるわけない。
そもそも、成績悪かろうが私立に行く人間は、みんなボンボンばかりだ。
そっちの方がマシ。
そして、部活に行きたくない。
だいたい、勉強以外の事に時間を割きたくない。
くだらない。
これである。
殿ちゃんも公立の中学と私立の中学、どちらがマシか考えてみるべきかもしれない。
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麻耶は別に、部活動も文化祭も楽しめばいい、と思う。
実際、二回目に大学に入った時は楽しんだ。
三十代の事である。
麻耶が共同体活動を楽しめたのは、この年になってからであった。
十代の時は、馴れ合うのが大嫌いであった。
まして、善意なのかもしれないが、共同体活動を押し付けてくる存在を蛇蝎の如く嫌っていた。
今になってみると、その妙な素朴な感じが嫌いでもない。
思い出は美化される。
しかし、その中にいる時は大嫌いだった気がする。
こんなところにいたくない。
自分のやりたい事だけ、やっていたい。
思い出した。
美化されていない思い出を。
嫌いだったのだ。
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さて、殿ちゃんはどうしよう?
小児科の友人に聞いてみたが、殿ちゃんが通う予定の小学校には既に支援級があるようだ。
新しく作ってくれ、と頼む手間が無いのは喜ばしい。
そもそも、殿ちゃんは支援級じゃないといけないのか。
正直、まだ三歳なのでよく分からないだろう。
けれど、保育園では、ほとほと疲れてしまった。
殿ちゃんが、ではない。
麻耶が。
説明しても、診断書を出しても、およそ理解されない。
「保育園で頑張り過ぎてしまって、本人に負荷がかかるようなので配慮が欲しい」
そのような話に
「他の子も頑張っているんですけどね」
そんな返事が返ってきた。
頑張る、頑張らないの話ではない。
神経負荷の話をしているのだ。
二次障害が起きてからでは遅い。
それが分からないのか。
そんな人間に説明するのがめんどくさい。
ただの近所の人と話しているのではない。
保育現場の人間なのだ。
私は、教育機関の人間も、今からあまり期待していない。
せめて、支援級に通っていれば、話の通じる人間が窓口なのではないか。
そう思っている。
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支援級で小学生生活をやり過ごした後は、中学校が待っている。
それも、部活という最大の難所がついている。
中学校には、支援級はあるのか。
支援級に入れば部活はやらなくていいのか。
PTA活動は?
部活の親コミュニティは?
めんどくさい事が多すぎる。
本人のやりたい事だけやればいい。
殿ちゃんに
「ママ。この部活やりたい。
だから、手伝って」
そんな風に可愛くおねだりされたら、頑張れる気がする。
たとえ嫌いなPTA活動でも。
しかし、殿ちゃんが部活なんてやると思えない。
どうしたものか。
そうだ。
受験しよう。
中学受験だ。
その手があった。
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夜、パパにも相談してみる。
「殿ちゃんね、保育園合ってないやん」
「ゆきちゃん、なんか言ってた?」
「ゆきちゃんも保育園辞めたら、とは言ってた」
「あの人も極端よね」
「それでさ、殿ちゃん、中受とかやってみたらどうかな、と思って」
「ああ。部活圧とか無いところとかってこと?」
「そう」
「よくある話よね」
「そうなの?」
「まあ、俺の友達でも、公立中学の環境悪すぎるから受験考えるってヤツいた」
それは、どちらかと言うと、麻耶に近い選び方だ。
「何処がいいのかな?」
「この辺だと、A校とかC校?」
「え!偏差値めちゃ高くない?」
「そうなん?けど、関東みたいな事ないんちゃうん?」
「まあ、塾も探さないとか」
「合うところあるかな」
「個別対応いいかな、と思ってて」
「学費高くない?」
「今から貯金かな」
話はまとまった。
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むしろ、パパは小学校をどうするか、心配していた。
「やっぱり、支援級になるのかな」
「さあ。まだ分からんけど。
でも、理解ない普通級の担任に当たるぐらいだったら、支援級の方がずっといいんやけど」
「それはそうなんだけどさ」
パパは『支援級』という言葉の響きが嫌なようだ。
そのくせ、自分も集団適応するか、と言うとあまり出来る方ではない。
勝手な男だ。
「保育園でも、説明しても通じんのやで。
診断書まで出してるのに。
正直さ、教育機関の人間に理解が無いのを私が啓蒙活動するのがダルイ」
「いや、それはそう」
眠剤を飲んでも眠れず、癇癪がひどくなってきて、興奮も酷かった。
ある朝、朝の四時半に起き出した。
夜は二十一時ぐらいの就寝なのに。
もう、これはダメだ。
休ませよう。
そして、日赤を受診した。
診断書を書いてもらった。
神経発達症(自閉症スペクトラムの疑い)の診断。
保育園での集団生活が負荷になっており、配慮を要する事。
母が小学校で普通級を目指していないこと。
本人の体調にあった調整を行う事。
かなり具体的に指示してくれた。
それでも、通じていなかった。
なんで?
麻耶は、理解を求める事を辞めた。
とりあえず、親が負担なので週に二~三回の登園にします、とだけ伝えて、啓蒙活動は諦めた。
そんなの、麻耶の仕事ではない。
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医者同士ですら、理解されない事もある。
「今って、診断名付け過ぎなんだと思う。同級生に必ず一人や二人は発達障害の人いた事ない?」
いたら、なんだと言うのだ。
気にするな、とでも言うのか。
気にしなくて、殿ちゃんの不眠と癇癪は治るのか。
正直、不眠だけなら、まだ我慢出来る。
こっちだって、腐っても医者なのだ。
夜勤ぐらいやろうと思えば出来る。
しんどいのは、不眠に伴う、突発的な癇癪だ。
これは、しんどい。
いつ、起こすか分からない。
おまけに音量が煩い。
寝不足の頭に響いてくる。
だんだん、こちらの精神が削られる。
余裕が無くなっていく。
虐待する人って、こんな精神状態なのかな。
そんな気がしてくる。
その一方で、麻耶に依存する。
「まま、いる」
そして、麻耶のイライラを読み取っている。
そして言う。
「まま、だいすき」
怒りの矛先が行き場を無くす。
ああ、この子には私だけなんだ。
少しゾクゾクする。
陶酔しているのか。
麻耶も依存しているのか。
だから、やっていられる。
特徴が強くても育てていられる。
よく出来ている。
そう思う。
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小児科医もドクターショッピング中だ。
精神科医の友人には、よく言われた。
「小児精神科医って、ほんまにおらんし、二次障害起きてから探しても受診も出来んから、早めにかかっといた方がいいよ」
麻耶自身、早めに専門医療機関を受診したかった。
しかし、誰も紹介状を書いてくれないし、受診紹介もしてくれない。
とある精神科医の先生が言っていた。
「僕、小児精神とか全然、専門じゃないんやけどさ。
診断書書いてくれって言われたら、書く事はあって。
まあ、小学校とか入ってから、制度上の支援を受けるためだけの大人の都合って感じだと思う」
一方で友人の小児科医のゆきちゃんは言っていた。
「小児精神のすごくイイ先生がいるんだけどね。
小児科の先生も、なんでわざわざ五歳になるの待ってから紹介してくるのか意味が分からないって言ってたよ」
早期受診、早期介入。
理想的には。
しかし、実際には医療者ですら理解も行動も追いつかない。
そもそも、イイ先生が何処にいるのか、調べる事すらままならないのだ。
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ところで、小学校支援級でいいとしても、『支援級』というレッテルは、果たして中受に影響するのか。
ゆきちゃんに聞いてみる。
「え?関係無いんじゃない?成績でしょ?」
そりゃそうなんだけど、それは建前だけじゃないのか。
この人も社会の眺め方が独特だからな。
こんな時は、心の友のOpenAIちゃっぴー君に限るのだ。
「中学受験は、その日の試験なので割と影響が少ないです。
むしろ高校受験の方が、内申点とか絡みます。
だから、中受目指すのは合理的。
その一方で、支援級はママ友の情報力が弱いかもしれません。
後は、塾問題。
宿題多いと合わないとかありえます」
うんうん。
さすが、心の友よ。
ママ友なんて、陰キャの麻耶には関係ない存在なので、そもそもアテにしていない。
それよりも、塾選びだろう。
だいたい塾に行けば、ある程度の情報は揃うはずだ。
これは、本格的に高校受験を回避する方がメリット大きい気がしてきた。
23
麻耶が悩む間にも、殿ちゃん本人は荒れていく。
「ぱたぱたする。
あつい。
ままで。
ぱぱいや」
暑いので、団扇で麻耶があおげ、と言っているのだ。
大人二人は、そんなに暑くはない。
身体感覚自体がズレている。
なんだか、よく分からないけど癇癪を起こし始めた。
泣き叫んでいる。
こんな感じの意味不明さは、姫ちゃんが生まれた時以来だろうか。
いつも、癇癪のタイミングが読めない。
不眠自体はまだいい。
何がきっかけで癇癪を起こすのだろう。
再現性が無い気がする。
いつの間にか、殿ちゃんが寝る。
ここから、ようやく多少の家事が進む。
夜は長い。
24
中学校からは、とにかくめんどくさい環境がいやなのだ。
麻耶のオススメは当然、帰宅部上等の進学校だ。
リベラルな校風の所だと、なお良い。
有名どころでは、麻布。
しかし、山本家は関西在住なので関東の話をしても仕方がない。
そもそも、麻布とか偏差値高すぎて勉強が大変そうである。
校風も成績もリベラルで良いのだ、この際。
しかし、学費が高いのはありがたくない。
そこそこの学費が良い。
そんな都合の良い学校は存在しないのか。
また、家から通学がラクな所が良い。
寮生活なんて、これまた大変そう。
逆に、殿ちゃんにとっては楽しかったりするんだろうか。
しかし、麻耶がまだ子離れしたくない。
もう少し、親子の時間を楽しみたいのだ。
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学校選び以前にまずは、塾選びが重要なのでは?
殿ちゃんには、合う先生を探す事が、何よりも重要だ。
関西で有名な中学受験塾。
インターネットで調べると、色々出てくる。
Webページの冒頭に、ハチマキを締めた先生の写真が出てきて、そもそもムリな気がする。
殿ちゃんがムリではない。
そもそも、麻耶がムリだった。
ないわ、これは。
こんな暑苦しいの嫌いだ。
もっと温度の低そうな塾の先生っていないのか。
家庭教師?
個別指導?
しかし、費用面が高いのか?
正直、勉強内容自体は適当でいいのだ。
情報だけくれる場所が欲しい。
校風。
学内の雰囲気。
教師の性格。
学費。
過去問。
何より部活。
帰宅部でいいのか。
あとは、どうにでもなる気がする。
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塾も良いが、まずは麻耶なりに学校の情報を集めてみた。
麻耶のイチオシ
関西の中高一貫校。
まずはA校。
男子校。
自由な校風。
枠に嵌めない教育。
などと書かれている。
しかし。
学校のHPを見ると、やたらと行事が多い。
こんなに、行事をやるものなのか。
めんどくさい。
少なくとも思春期の麻耶は、やりたくない派だった。
これって、行事関係も帰宅部許されるんだろうか。
そう言えば、昔、体育祭嫌すぎて、当日サボった覚えがある。
イベント行事を楽しめるようになったのは、もう少し大人になってからだった。
とりあえず、行事が多すぎる。
イチオシだっただけに残念である。
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B校。
A校よりも少し偏差値が高い。
進学校の割に部活動が盛んな印象があるが、さて。
服装規定が厳しい。
バリカンで3mm以下に刈り上げ。
先生ガチャあり。
中学は部活熱心。
何一つ良い事が無さそうだ。
だいたい、偏差値高くてめんどくさい上にバリカンで3mmって。
今時ダサ過ぎである。
ウチのイケメンに何してくれとんじゃ。
母は断固として認めない。
オマケに中等部部活ガチ勢って。
公立に行った方がマシやん。
アホくさい。
却下。
28
C校。
立地がやや遠いが、これは!!
あり。
あり寄りのあり。
校則が無い!
つまりは拘束が無いのと同義である。
中世の婦人がコルセットをせずに歩き回っているような自由度だろう。
だからこそ、その体型を維持するために本人の努力が要求されるのか。
ただし。
偏差値が高い。
微妙立地のクセに小癪な。
しかし、ちょっと勉強頑張っても、受かるなら。
麻耶の職場の最寄駅まで一緒に車で出れば、多少楽かもしれない。
こここそイチオシかもしれない。
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他も色々見てみたが、基本的に立地が遠すぎる。
通えない。
熱血でイヤすぎる。
などの理由で却下である。
結局、C校第一志望。
A校滑り止めが妥当な線か。
しかし、C校に合っているのは殿ちゃんよりも、子供の頃の麻耶のような気がする。
校則が死ぬほど嫌いだったし、偏差値高いとその山に登ってみたくなるタイプだった。
殿ちゃんが、受験競争が好きなのかどうかは、まだ分からない。
今のところ、A校辺りを狙って、ゆるゆる勉強するぐらいが楽しそうだ。
行事が多いのが気になるが。
麻耶は行事が嫌いな高校生だった。
殿ちゃんは違うかもしれない。
緩い行事なら楽しめるのかも。
試してみる価値はある。
30
どこかの進学校に通う頃、殿ちゃんはどんな子になっているのだろう。
先日、おばあちゃんがやって来た。
殿ちゃんの生活が崩れすぎて、パパのおかあさんに来てもらう事にした。
麻耶の母は、微妙に殿ちゃんと相性が悪い。
殿ちゃんは、おばあちゃんを見て興奮していた。
「おばあちゃん、あいたかったよ」
ナンパ師のような挨拶だ。
「どうして。
どうして、ここにいた?」
「電車で会いに来たからよ」
「おばあちゃん、にかいでいっしょにねんねしたらどう?」
完全なナンパである。
中学校で、女の子相手に同じセリフを言っていたらどうしよう。
女子にモテてしまうかもしれない。
31
だいたい殿ちゃんはめんどくさい男なのだ。
こだわりが強い。
ラーメンに入っているネギやゴマの粒ですら嫌なこだわりの強さなのだ。
デートでもめんどくさいに違いない。
「ネギが入ってた。
僕、ネギ食べられないんだ」
「じゃあ、私が食べてあげるね」
こうして、二人の愛は深まっていく。
そして、想像力の強い殿ちゃんは、ちょっとアンニュイな文学少年になるだろう。
きっと、太宰治のような危うい魅力に溢れるに違いない。
自殺未遂を繰り返した挙句、多摩川で心中でもしたら!!
そんなのは許せない。
やはり、好き嫌いは良くないのだ。
とりあえず、ネギが食べられるようになれば、二人だけの世界を邪魔出来るだろう。
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殿ちゃんの偏食は、しかし治るのか。
今は、うどん、そうめん、ラーメン全て麺のみ。
しゃけご飯、
ハンバーグ、
バター付き全粒粉トースト。
この程度しか食べられない。
他は、お菓子。
ホームパイ、
じゃがりこ、
ピノ、
リーフチョコ。
これ以外は、これまたお菓子ですらほぼ食べない。
しかし。
それこそ、クッキングパパ並みの料理の腕を誇る女性が現れて、殿ちゃんの胃袋を鷲掴みにしたら!!
やはり、偏食は治すべきである。
料理の腕だけが女性の価値ではない。
けど、本当にシェフ顔負けの料理の腕の女性が嫁に来たら。
むしろ、私のご飯を作ってもらえないだろうか。
やはり、山本家に料理人嫁求む。
33
とは言え、殿ちゃんには、そもそも女性の好みが直感的に備わっていそうな気もする。
先日、小児科医の友人のゆきちゃんが家に遊びに来てくれた時。
「ままー!
まま、ふたりになってる!」
麻耶は、スライムではない。
二人に分裂したりしない。
片方は、ゆきちゃんである。
しかし、懐いた。
めちゃくちゃ懐いて、めちゃくちゃな遊びをしている。
殿ちゃんは、家で洋服を着ない。
オムツ一丁で、裸族を謳歌している。
ゆきちゃんは、不思議がっている。
「両親が裸族じゃないのに、子供だけ裸族って珍しいね」
そうなのか。
気づかない所で、私は、裸族になっているのだろうか。
オムツ一丁の殿ちゃんはゆきちゃんに飛びかかる。
オムツ一丁の男が、女性を押し倒して胸部を踏みつける。
ちょっとこれ、まあまあヤバい絵じゃないのか。
麻耶は戦慄する。
二人は笑いながらふざけている。
大丈夫なんか、これ。
殿ちゃんを嗜めた方がいいのか、よく分からない。
こんな時、マトモな親なら子供を叱りつけて、平謝りするんだろうか。
まあいいか。
さっき、お昼ご飯は奢っておいたし。
その代わりにゆきちゃんは殿ちゃんへのお土産にケーキを買ってくれた。
しかし、わざわざ休日にまあまあの遠方からきてくれて、相談にのってくれた。
せめてものお礼に、と思ってお昼ご飯を奢ったのだ。
激しい、小児科医の診察風景と思っておこう。
それよりも二十年後の殿ちゃんも、素敵な女性の胸部をオムツ一丁で踏みつけていたりするのだろうか。
最早、二人でよろしくやってくれ、という世界の領域だ。
34
色々と考えてみたが、中学校から私立に行くという方法もあれば、支援学校に通う、という選択肢もあるのだろうか。
殿ちゃんのような症状の子が、どんな支援学校を選ぶのかは知らない。
麻耶は健康診断のバイトで障害者施設での健康診断に行った事しかない。
個人的に興味深い経験だった。
しかし、一緒に仕事をしていたバイトの看護師は
「私、この環境はムリ。
急に部屋に無言で入って来られるとか怖い」
とこぼしていた。
急に部屋に入って来て、物の位置を直す人がいた。
確かに、独特の刺激が多い。
私は、慣れるとこんなもんかな、と思った。
向き不向きが、かなりあるように思う。
まあ、支援学校と障害者施設もまた雰囲気は違うのかもしれない。
結局、その時になってみないと何も分からないが。
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ちなみに、麻耶自身は障害者施設そのものは職場として見た場合、結構アリな方だ。
思った事を素直に言ってもらえる。
率直に褒めてもらえる事がある。
「先生、お肌スベスベ」
そう言って、施設の利用者の女性はいきなり私の手を撫でた。
びっくりしたけど、少し嬉しかった。
そんなに率直に褒められる事は少ない。
子供の頃、幼稚園にいた自閉症の女の子を思い出した。
急に抱きつかれた。
その時もびっくりして
「なにすんの!」
って言ったら、幼稚園の先生が
「麻耶ちゃんの事が好きなんだよ」
と言ってくれた。
今なら、
「適当な事言うな」
って思うかもしれないが、当時は麻耶も素直だったので、
「好きなのか」
と思うと、満更ではなく、少し嬉しくなった。
それから、時々その女の子と一緒にいた。
麻耶は、そんな感じで一緒にいても平気だった。
けど、急に抱きつかれたら、やっぱり嫌だ、と思う子供もいるかもな、とは思う。
相手に好かれていても、そういう問題ではない、という子供もいるかもしれない。
その辺は適材適所だろう。
殿ちゃんに合う環境とは、結局、なんだろうか。
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色々、考えている事を整理すると、
自由な校風の学校を選ぶ
出席日数にこだわらない学校を選ぶ
この辺りが妥当だと思った。
シンドイ時にサボれる。
これが、一番重要な気がする。
麻耶も、よく理由も無く学校をサボった。
出席日数さえ、気にしておけば良い。
受験は、その分勉強を頑張るしかあるまい。
成績さえ良ければ、受験は割と自由な気がする。
そして、願わくば気の合う友達がいるといい。
麻耶は、地元の進学校で出会った、中学高校時代の友人は、今でも二人は付き合いがある。
この二人は、医者と歯医者なのだ。
結局、同じような進路の人間との付き合いが残るだけなのかもしれないが。
殿ちゃんにも、長く続く友人が出来るのだろうか。
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今日も、色々考えながら一日を終える。
仕事から帰って。
夕飯を食べる。
夕飯は、元調理師のじーじが作ってくれている。
明日は、小児神経の専門医を受診出来る事になった。
小児科医のゆきちゃんが紹介してくれた。
電話して、すぐに受診の調整をしてくれた。
ゆきちゃんが何と言って、連絡してくれたのかは知らない。
たかが生活リズムの崩れた子。
しかし、すぐに対応してくれた。
なんとなく、何がしんどいのかを理解してくれている気がする。
それだけでも息をつける気がした。
私の将来妄想も、真剣に相談出来る気がする。
そんな事をぼんやり考えていると、何やら騒がしい声が聞こえてくる。
「今から姫ちゃん、ご飯や。お前あっち行け」
じーじの声だ。
殿ちゃんは、殿ちゃんで、自分の居場所を取られたと思ったのか泣き叫んでいる。
じーじも、あれで自分のルーチンを崩される事に弱い。
予定外のタスクなど、ものすごくイライラするタイプなのだ。
突然の来客。
急な出発。
全て、じーじイライラMAXになる。
じーじもじーじで、なんか特徴あるよな。
そう思う。
しかし、あの言い方はない。
殿ちゃんは、泣いている。
そして、
「あっちいけ」
これは、殿ちゃんの口癖にもなっている。
じーじも殿ちゃんに余計な事を教えてくれたものである。
全く。
とにかく、殿ちゃんを宥めるしかない。
「殿ちゃん。
こっちおいで。
ママの所、おいで」
まだ、顔をくしゃくしゃにして泣いている。
仕方がないので、席を立って移動して、殿ちゃんを抱っこしに行く。
麻耶も食事中だったんだが。
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姫ちゃんの食事が始まる。
「殿ちゃんも、あれたべたかった」
「え?姫ちゃんのご飯よ?殿ちゃんも食べたいの?」
ここがまた、じーじのよく分からないところである。
こんな時は、姫ちゃんよりも殿ちゃんを優先する。
姫ちゃんのご飯を殿ちゃんに与えるのだ。
黙っていないのは、姫ちゃんである。
当然、今度は姫ちゃんが泣き叫ぶ。
当たり前である。
特にご飯への執着の強い子である。
そして、じーじはまた姫ちゃんの分のご飯を作り始める。
「殿ちゃん、姫ちゃんのごはんたべたかった」
一応、姫ちゃんに申し訳無いと思っているのだろうか。
なんか、しおらしい事を言いながら本来は姫ちゃんのためのうどんを食べている。
とにかく、山本家の食卓はカオスである。
あちらを立てれば、こちらが立たず。
そんな感じで機嫌を取りながら、殿ちゃんを膝に乗せて、麻耶は自分のご飯を食べる。
夕食に一本の缶ビール。
麻耶のささやかな楽しみなんだが、最早楽しみもへったくれもない。
気が休まらない。
さりとて、やるせなさを叫ぶ場所もない。
ビールと共に流し込むしかないのだ。
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ようやく、専門医受診までこぎつけた。
その日は夫婦で半休をとった。
後から思い返すと、受診前にどんな気持ちだったのか、最早思い出せない。
一年程前に、姫ちゃんの里帰り出産で麻耶の実家に帰った時。
殿ちゃんは実家の近所の小児科を受診した。
発熱したり、足が痛い、と言ってみたり。
母子分離をして大泣きして走る殿ちゃんをみて、そこの小児科医は言った。
「足はなんともありません。
泣き方が普通やない。
少なくともウチの診療所で三本の指、いや一番の泣き方かも」
「発達になんかあると思います。
僕は専門家ちゃうから、詳しい事は分からんけど、いっぺん専門家に診てもろた方がええ」
この時の衝撃に比べたら、なんて事無かった。
産後一週間の妊産婦に忌憚の無い言動をしたものである。
しかし、今から思うと一番良い先生だったんじゃないか、と思う。
専門家に診てもらえ。
後にも先にも、それをハッキリ勧めてくれたのはこの先生だけだった。
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その後、何の関係もない、いつものかかりつけの先生に、たまたま姫ちゃんも殿ちゃんも健康診断で受診した時に紹介状を書いてもらった。
「市の発達相談支援センターには結局行ったの?」
「いや、巡回相談が来てくれるので、こちらからは行ってないです」
発達相談支援センターに行けるのは四歳になる年の四月以降であった。その時、まだ二月だった。
二ヶ月もどうすんだよ。
内心、そう思っていた。
そして現在に至る。
スマンけど、先生、紹介状書いてくれ。
とりあえず、紹介状を書いてくれたのでなんでも良かった。
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「とにかく今は嫌な事を我慢させないこと、負荷をかけないこと」
専門医の発言だ。
専門医は初老のおじいちゃんだった。
立つと小柄に見えるのに、診察室の椅子に収まると妙に大きく見える。
診断名は検査もしてないし、ハッキリとはよく分からない。
けど、ASDではあるのか、それに限りなく近い何か、なのか。
おじいちゃんは、教科書に書いてあるようなASDの特徴を述べているように感じた。
殿ちゃんは、最初、診察室に入る事を拒否していた。
看護師さんが途中で、上手に連れて来てくれた。
先生は、遊ぶ殿ちゃんを遠目に眺めている。
時々、殿ちゃんにも話しかける。
「お薬、飲んでくれる?」
「んー、いやだ、かな」
「飲むと、浣腸しなくてようなるで」
「うん…のむ」
とりあえず、ホッとした。
甘やかしている、と言われなくてすむ。
専門医のお墨付きである。
この紋所が目に入らぬか。
控えおろー!!
躾、なんてクソ喰らえだ。
そして、夜、殿ちゃんは結局、内服をボイコットした。
言うまでもない。
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保育園に関しては、環境を変える、という選択肢が提示された。
「本人が完全に今の環境が嫌になってるんやったら、別の所探した方が早いかもしれん」
なるほど。
そして、殿ちゃんは保育園に全く行かなくなった。
麻耶の方も行かせる理由が無くなった。
元々、特別行かせたい訳でもなかった。
共働き夫婦が子育てで負担を減らすための施設だと思っていた。
今は負担が増えている気がする。
追加で必要になる面談。
行けば行く程悪化する不眠。
たまたま、ウチにはじーじがいる。
専門医にも言われたのだ。
休んだらいい。
中受の前に、保育園すら選定のし直しなのかもしれない。
もっとも、理想的な環境の保育園が近所にあれば、の話だが。
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何処の保育園に行くのか。
療育施設寄りの所を、おじいちゃん先生には紹介された。
少し遠い。
そもそも、対象年齢なのかもよく分からない。
おばあちゃんからはモン・テッソーリ系の保育園や幼稚園は、との提案があった。
これまた遠い。
保育園は、中受で通う進学校とも週に一回しか行かない療育施設とも異なる。
毎朝通う。
これが本当は前提なのだ。
物理的に通いやすいに越した事はない。
しかし、その環境は?
とある育児本に書かれていた。
『子供にとって生きやすい環境とは、その子供に関わる大人全員が、<中略>その子がかかえている障害をすみずみまで理解しているような環境である』
無理やろ。
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眠剤と抗精神病薬をお茶に一服盛って、飲み始めて数日。
何か改善しているのか、よく分からない。
癇癪は減ったのだろうか。
睡眠時間は増えたかもしれない。
しかし、風呂に入らなくなった。
外出時に服を着ない事もあった。
何事も劇的には変わらない。
しかし、専門医を受診して、麻耶は少し気が楽になった。
そして、これからも殿ちゃんが楽に呼吸出来る環境を探し続ける。
受験も、保育園探しも、その手段の一つに過ぎないのだ。
我々の戦いは続く。