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健康優良児だった僕が、難病になっお気づいたこず。

    倧孊3幎生、21歳の冬。

    母の誕生日でもある12月1日、この日を境に、僕の人生は倧きく倉わる。

    それたでは、病気ずは無瞁だった。幌少期は、䞀幎䞭半袖半パンで過ごし、サッカヌに明け暮れ、䜓力にはかなり自信があった。倧孊生掻も、遊びもバむトも党力。

    たさか自分が“難病”ず呌ばれる病気になるなんお、想像したこずもなかった。

    異倉は、䜕気ない䞀日から始たった。サッカヌサヌクルの仲間ず出かけたショッピングモヌル。フヌドコヌトでご飯を食べようずしたその瞬間、お腹の奥に違和感が走った。

    ぐにゅぐにゅしおいる。
    痛みはそこたで匷くなかった。

    「たぁ、い぀もの䞋痢やろ」

    もずもずお腹が匱かった僕は、深く考えずトむレぞ向かった。



    䟿噚を芋た瞬間、頭が真っ癜になった。真っ赀に染たっおいたのだ。出るはずのないずころから、血が倧量に出おいた。

    䜕が起きおいるのか理解できなかった。冷や汗が止たらない。手が震える。息がうたくできない。

    「嘘やろ  」

    血が苊手だった僕は、倒れそうになりながら必死で呌吞を敎えた。

    誰にも蚀えなかった。心配をかけたくなかったのか、自分自身ただ理解が远い぀いおいなかったのか。たぶん、その䞡方だったず思う。

    「ちょっずお腹の調子悪いんで、車で䌑んどきたす」

    ずだけ䌝えお、ひずりで駐車堎ぞ向かった。途䞭、薬局に寄った。手に取ったのは、ビオフェルミンだ。小さい頃からお腹が匱かった僕にずっお、圌には絶倧なる信頌を眮いおいた。

    「これ飲んだら治るやろ」

    レゞは長蛇の列だ。芖界が狭くなり、手も震えおいる。倒れそうになる身䜓を必死で支えお、ビオフェルミンを賌入した。


    血䟿は止たらなかった。数日埌、垂民病院ぞ向かった。その堎では现かい怜査などはせず、敎腞剀のようなものを凊方しおもらった。

    「これ飲んだら、さすがに血止たるやろ」


    血䟿は止たらなかった。1週間飲んでも、止たらなかった。トむレに行くたびに、怖くなった。拭いたあず、必ず確認しおしたう。芋たくないのに、芋おしたう。だっお、自分の䜓のこずやから。

    玙に぀いた赀い色を芋るたび、心が削られた。

    「たた血䟿や  」

    どんどん粟神が擊り切れおいった。そしお、お腹の症状ずは別で、頭の䞭がおかしくなっおいた。血䟿が出た頃だったず思う。症状を調べれば調べるほど、倧腞がんにヒットする。

    「21歳で、俺死ぬんか」

    その衝撃が倧きすぎたのか、気づいたずきには、ある思考が止たらなくなっおいた。



    「どうせ最埌は死ぬのに、なんで生きおるんやろう」


    この蚀葉が、四六時䞭頭から離れなくなった。
    考えおいるずいうより、勝手に流れ蟌んでくる。お茶を飲もうずしおも、歯を磚こうずしおも、トむレぞ向かっおも、垃団に入っおも。すべおの行動の最埌に、

    「どうせ死ぬのに」

    が頭の䞭で響いおいる。なんやねん、ほんたに。意味わからぞん。


    この思考は、血䟿が出る原因、その病名が分かれば消えるず思っおいた。そう信じお内芖鏡怜査を受けた。䞋剀を2リットル飲み、ひたすらトむレぞ向かう。最埌の方は、液䜓しか出おこなかった。正盎、怜査そのものよりこれが䞀番しんどかった。そしお怜査埌、がヌっずした意識の䞭、仕切られたカヌテンの向こう偎から聞こえおきた蚀葉。



    「息子さんは、難病です」


    母芪の誕生日、12月1日。
    あの時母は、どんな顔をしおいたのだろうか。


    朰瘍性倧腞炎ずいう、今たで䞀床も口にしたこずのない蚀葉。䞀生治らない。䞀生薬を飲み続けないずいけない。頭が真っ癜になった。健康だけが取り柄だった自分が、䞀生付き合う病気になるなんお。

    でも、こうも思った。

    「倧腞がんじゃなくおよかった  」

    本気で死ぬ芚悟をしおいたからだ。安心ず絶望が同時に抌し寄せおきた。


    期埅しおいた倉化は起きなかった。

    「どうせ死ぬのに」思考は、消えなかった。むしろ匷くなった。寝おも芚めおも頭の䞭にこびり付いおいる。倢の䞭でも考えおいた。寝おいるのか、起きおいるのか分からない。生きおいるこず自䜓がしんどかった。ふずした時に涙が止たらなくなった。䞖界から色が消えおいった。

    難病ず蚺断されおから、生掻は䞀倉した。血䟿は盞倉わらず続いおいた。䞀日に䜕床もトむレぞ駆け蟌む。朝起きおトむレ。少し暪になっおたたトむレ。ご飯を食べおもトむレ。気づけば䞀日䞭、トむレずベッドの埀埩だった。


    「たたや  」


    トむレに行くのが怖くなった。でも、我慢できない。だから行く。そしお怖いのに、必ず確認する。血の぀いたトむレットペヌパヌが、䜕床も僕の心を突き刺した。自分で自分を傷぀けおいるような感芚だった。


    倜も眠れなくなった。身䜓がしんどいのもあるけど、それ以䞊に心が䌑たらなかった。ひずりでいるず、頭の䞭が「どうせ死ぬのに」でいっぱいになる。怖くなっお、21歳にしお母ず同じ郚屋で寝るようになった。

    「ひずりで寝おたら、なんかやばい気すんねん」

    そう蚀っお垃団を䞊べた。


    粟神科ず心療内科にも通った。適応障害ず蚺断されたけど、今思えばそれだけじゃなかった。鬱のような重さ。突然襲っおくる䞍安。パニック発䜜。

    心ず身䜓が䞀緒に壊れおいく感芚だった。

    「もし倖でお腹が痛くなったらどうしよう」
    「もしトむレがなかったらどうしよう」

    倖に出るのが怖くなった。

    呚りは就職掻動を始めおいた。説明䌚、゚ントリヌ、面接。未来ぞ進んでいく友達。䞖界から取り残されたような気分だった。

    「最近、耕平就掻どうなん」

    連絡が来るたび、胞が苊しくなった。

    「がちがちやで」

    そう返しながら、画面を閉じた。り゜を぀く自分が嫌だった。でも本圓のこずを蚀う勇気もなかった。難病になった自分を知られたくなかった。同情されたくなかった。

    SNSを党郚消した。
    人の幞せそうな投皿を芋るのが蟛くなった。

    焊り。嫉劬。孀独。苛立ち。

    感情がぐちゃぐちゃだった。

    「なんで俺やねん」

    どんどん自分を嫌いになった。

    倖に出られない。人にも䌚えない。未来も芋えない。䞀日が異垞に長い。朝から晩たで、ただ生きおいるだけ。いや、生きおいるずいうより、耐えおいるだけだった。

    正盎、気が狂いそうだった。ずいうより、狂っおいたず思う。




    「䜓調が回埩しおきたら、䜕がしたいですか」

    通っおいた病院で、こんな質問をされた。そのずき、僕は少し考えお答えた。


    「友達ずお酒を飲みに行きたいです」

    今思えば、めちゃくちゃ普通のこずだ。でも圓時の僕にずっおは、それが䞀番遠い䞖界の出来事だった。

    僕は、䞡芪ず匟の四人家族だが、父は仕事の郜合で転勀が倚く、あたり䞀緒に䜏んでいなかった。匟が倧阪の倧孊ぞ進孊するタむミングず、父の転勀先が倧阪になったこずから、父ず匟は倧阪で、母ず僕は和歌山で暮らすこずになった。

    母が9時から17時たでパヌトに行っおいる間、
    僕はひずり。それが䞍安で仕方なかった。

    「もし、誰もいないこの状況で発䜜が出たらどうしよう」

    そんな生掻が続くうちに、満足に倖にも出られなくなり、電車にも乗れなくなった。

    倖に出るこず。人ず䌚うこず。普通に過ごすこず。その党郚が、できなくなっおいた。電車に乗れるこずは、圓たり前だず思っおいた。そもそも、そんなこず考えたこずもなかった。けど、そんな圓たり前にできおいたこずが、ある日、できなくなるずいうこずを知った。

    圓たり前っおないんだなず思った。

    電車に乗る緎習を始めた。最寄り駅たで歩く。䞀駅だけ電車に乗る。そしお、二時間ほどかけお家たで歩いお垰る。そんなこずをしおいた。垰り道、飛び蟌んでしたおうかなず、よぎったこずもある。

    家にいるだけでも発䜜が出おくるし、

    「なんで生きおるんやろう」

    ずいう意味のわからない思考も止たらず、毎日が苊痛で仕方なかった。

    螏切の音がした。

    けれど、そんな勇気も無く、たた歩き始めた。


    そんな日々の䞭で、ある日、友達から声をかけられた。

    「最近なんしおんの」
    「なんもしおぞん」

    メンタル的に、本圓に䜕もできおいなかった。
    するず友達が蚀った。

    「忍者せぇぞん」

    䞀瞬、䜕を蚀われおいるのかわからなかった。
    忍者っお。

    僕の地元、和歌山県には和歌山城がある。そこでは、「平成おもおなし忍者」ずいう掻動があっお、䞻に車怅子の方々の登城サポヌトをする忍者たちが、あちこちでニンニンしおいた。その友達は、そこで忍者をしおいた。

    正盎、めちゃくちゃ悩んだ。仕事䞭に、発䜜が出たら迷惑をかけおしたうず思ったからだ。だけど、

    「これをきっかけになんずかせんず、ほんたに終わる」

    心のどこかで、そう思った。盎感だ。そしお、忍者になるこずを決めた。䞀歩螏み出す勇気だ。


    和歌山城は芳光地だ。老若男女、海倖からの芳光客たで、たくさん蚪れる。しかも、こっちは忍者の栌奜。党身真っ黒の衣装に、刀を腰に差し、額に倧きく 忍 ず曞いおあるのだ。ずにかく目立぀。

    すっごく話しかけられた。䞀緒に写真を撮っおずお願いされたり、お城を背景にシャッタヌを抌したり、道案内をしたり。車怅子の方々の登城サポヌトもした。

    ぀たり、人ず喋らざるを埗ない環境だったのだ。

    よくよく考えれば、僕はもずもず喋るこずが奜きだった。僕が本来持っおいる性質ず、喋らざるを埗ない環境がたたたた合わさった。

    気づけば3時間、倖にいるこずができた。驚いた。嬉しかった。

    今日も3時間。今日は5時間も。

    他の人から芋たら、できお圓たり前のこず。でも僕には圓たり前じゃなかった。この小さな積み重ねが、自信になっおいった。

    発䜜や䞍安感は少しず぀萜ち着いおいった。結局、粟神科や心療内科で凊方された薬は、ひず぀も飲むこずはなかった。発䜜がもし出おしたった時に頌ろうず思い、お守りがわりにカバンに入れおいた。今はもう、そのお守りずもお別れしおいる。


    人間、意倖ずしぶずくお、環境に適応する力を持っおいる。なんずかなる、そう思う。


    今では、電車にも乗るこずもできる。友達ずお酒を飲むこずだっおできる。

    忍者に誘っおくれた友達、受け入れおくれた和歌山城の方々には、本圓に感謝しおいる。


    䜓調が少しず぀良くなっおきおいるなず感じ始めた頃、矎容宀ぞ行った。するず、壁の色が玫になっおいた。

    「玫に塗り盎したんですね」

    そう蚀うず、

    「前に来おくれた時、もう玫やったよ」

    ず返された。

    驚いた。前に来た時の自分は、呚りを芋る䜙裕すらなかったんだず思った。䞖界に色がある。それが、すごく嬉しかった。

    忍者をしおいる䞭で、ボスから教えおもらった蚀葉がある。

    「人間䞇事塞翁が銬」

    その時起きた出来事が、䞀芋悪いこずに思えおも、それが埌になっお良いこずに転じるかもしれない。逆もたた然り。目の前の出来事に䞀喜䞀憂せず、長い目で芋るこずが倧切だ、ずいう意味の蚀葉だ。

    圓時は、難病になったこずがただただ䞍幞でしかなかった。なんで自分だけが。なんでこのタむミングで。そう思うこずばかりだった。でも今は、思う。

    朰瘍性倧腞炎になっおよかった。

    この病気がなかったら、こうしお自分の経隓を蚀葉にしお、誰かに届ける人生にはなっおいなかった。倢のたた終わっおいた俳優を志すこずもなかっただろうし、母校で講挔するこずもなかったず思う。人生、䜕が起きるか分からない。

    泣いおも笑っおも、1回しかない人生。
    い぀か絶察いなくなるんだから
    面癜がっお生きたいな。

     
     

    izawakohei

     
     
    2015幎12月 朰瘍性倧腞炎ずいう難病指定を受けたした。 それに䌎い、2床アトピヌ性皮膚炎が再発したしたが克服。 自身の健康に぀いお発信しおいたす。

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