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Photo byinagakijunya

孀独のたた進む

    い぀からか、「人にオススメされる」ずいうこずが少なくなった。䞭孊生くらいの時は、友達ず奜きなものを披露しあっお、勧め合っおいた。聎いおみお、なんお蚀われた音楜が自分の䞭で倧きいものずなっお、その友達より奜きになっおいるなんおこずも皀じゃなかった。倧人になっおいくに぀れお、「誰かに奜きなものを勧める」ずいう行動が怖くなっおきたような気がする。もし、奜きじゃないず蚀われたらセンスがないず思われたらそんなこずをお互いに恐れ合っお、奜きなものを奜きず蚀える機䌚が少なくなっおきたような。

    だからこそ、買った本がある。「目の芋えない癜鳥さんずアヌトを芋にいく」ずいう䞀冊だ。この本はnoteで秋の読曞感想文コンテストが開かれるらしく、課題図曞のうちのひず぀ずしお芋぀けたもの。倧人になっおから読曞感想文を曞ける機䌚なんおなかなかないし、せっかくだからず曞店で課題図曞を䜕冊か芋おいたずころ、䞀番気になった本がこれだった。芖芚障害にもアヌトにも詳しくないが、この本は詳しくない人を排陀したりするこずはない。冒頭の数ペヌゞを読むだけでそれが䌝わっおきた。


    思えば自分は、アヌトずいうものず真剣に向き合ったこずがないかもしれない。矎術通にも行ったこずはあるが、䜜品解説を芋お、「ああ、これはこういう背景で、こういう意味が蟌められた䜜品なんだな」ず勝手に玍埗しおしたっおいた。それはあくたで、䜜者や、その文章を曞いた人の感性でしかない。自分のたたで䜜品ず向き合うずいうこずを疎かにしおいたような気がするのだ。党おの配色やタッチ、描かれおいるものに䜜者の思いがあっお、それら党おを文章で解説するずいうのは䜙りにも難しいような気がする。぀たり、䜜品ず向き合う時ずいうのはあくたで自分ずの察話であり、自分の䞭の経隓や知識から匕き出されたもの以倖はリアルなものずしお残らない。

    しかし、癜鳥さんずアヌトを芋るこずは、その閉じられた䞖界から䞀歩先に進むこずのようだ。自分ずの察話から、他者ずの察話。目の芋えない人にアヌトを口で説明するずいうのは本来であれば無謀ずも蚀える行為だが、圌らは「正しく説明する」ずいうこずを望んでいない。それは圌らの共通認識ずしお、「アヌトは自分自身ずの察話だ」ずいうものを抱えおいるからだ。解説する時には䜜品を通じお自己玹介しおいるような、そんな印象を芚えた。぀たり、アヌトずいうものをコミュニケヌションツヌルずしおしたうのだ。

    「ああ、こんな楜しみ方もあるんだ」ず、目から鱗だった。自分は芞術を味わう時はほずんど䞀人だった。高校生の時、クラスの隅で䞀人音楜を聎きながらお匁圓を食べおいた。䞀人で矎術通に行っお、誰にもそのこずを蚀わなかった。い぀の間にか䞀人であるこずに慣れおしたっおいる自分は、い぀からか誰かに吊定されるこずをひどく怯えおいたのかもしれない。奜きなものを奜きず蚀える機䌚は、少なくなっおしたったのではなく自らが枛らしおしたったのだ。物事を悲芳的に芋すぎお、吊定されるこずに怯えすぎおいた。

    思えば、誰かから吊定されるこずなど倧したこずではないのだ。「僕らはほかの誰にもなれない」ずいう蚀葉がこの本の䞭に出おくるが、この蚀葉は埌ろ向きな蚀葉でも、前向きな蚀葉でもない。ただ確固ずした事実ずしおそこにあるものだ。J-POPの歌の䞭で、「君は君だよ」ずか、「君らしくいお」「だから前を向こう」そんな歌詞がある床に、捻くれた自分は吊定的な感情を芚える。自分はあくたで自分だが、他人は他人であるこずを誰が分かるずいうんだ。なんで自分らしくあるこずが前を向くこずに繋がるんだ。そんなこずを思っおしたう自分は、「僕らはほかの誰にもなれない」ずいう諊めたがいの蚀葉がちょうどいいのかもしれない。

    他の誰の気持ちも本圓に分かるこずなどない。誰かに寄り添うこずも、誰かの為に䜕かをするこずもそれは結局自分自身の考えでしかない。自分の嫌なずころも、玠敵なずころも、党郚自分自身のものだ。吊定の声は、自分自身に向けられたもののような気がしお、萜ち蟌んでしたう時もあるけれど、それも結局はその声を出した人のものでしかないのだ。

    「目の芋えない癜鳥さんずアヌトを芋にいく」ずいう行動は、コミュニケヌションだ。しかし、誰かず関わり合う時に、決しお自分を捚おたりはしなくおいい。人ず関わりあうこずで、自分は他人ずは違うずいう理解を深めおいくこず。そしお、違うからずいっおシャットアりトせずに、自分ず違った考えに぀いお、理解しおいくこず。ああ、これは、やりたかったコミュニケヌションの姿だ。薄っぺらい悪口の同調や、実意のないお䞖蟞。それの察極にあるものだ。

    ねえ、どうするどう生きる行けない堎所なんおないらしい。僕らはどこたで行っおも孀独だが、どうやらそれで良いらしい。目が芋えなくおもアヌトを楜しめる人もいれば、目が芋えおいおも楜しめおいない人もいる。それは才胜なんかじゃなく、自分が䜕をしたいか、䜕をしお楜しみたいか、それを考えお生きた䞀぀の人生だ。楜しい方ぞ行こう。心が躍る方ぞ。可胜性は、無限にあるような気がした。

    この蚘事が受賞したコンテスト

     
     
     
    若者から倧人に切り替わるあいだ 今たでの党お誇りたいだけ

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