
(違和感の構造 #8)気づいたあと、人はどう生きるのか
── 戻れないときの、選び方
観察を続けていると、
あるところで少し困ることが起きる。
分かってしまう。
どこで違和感が出ているのか
どこで合わせているのか
どこで止まっているのか
前よりも、はっきり見える。
ただ、それで何かがすぐに変わるかというと、
そうでもない。
分かっているのに、変えられない。
進めないまま、時間だけが過ぎることもある。
ここで、多くの人はもう一度整えようとする。
ちゃんと決めようとする
すぐに動こうとする
正しい方向に戻そうとする
ただ、うまくいかないこともある。
なぜなら、
分かることと、動けることは別だからだ。
観察によって見えてきたものは、
すぐに扱えるとは限らない。
むしろ、
見えたことで、
簡単には選べなくなることもある。
前なら気にせず選べたことも、
どこかで引っかかる。
その結果、
進むことも、戻ることも、
少し難しくなる。
ここで、ひとつだけ変わっていることがある。
前と同じようには、選べない。
そして多くの場合、
「前の状態」に完全に戻ることはない。
戻ろうとしても、どこかで分かってしまう。
あのとき、違和感があったこと。
見ないようにしていたこと。
止まっていた場所。
観察したあとに、
戻ることは、基本的にできない。
進むべきか、戻るべきか。
はっきり決められないまま、
ただ見えている状態が続くこともある。
それでも、
見えたものを、なかったことにはしない。
うまくいくかどうかは分からない。
何が正しいかも、はっきりしない。
ただ、
見ないまま進むことは、もうできなくなる。
たぶん、それだけで
選び方は変わる。
大きく変える必要はない。
少しだけ選び方を変える
少しだけ無理を減らす
少しだけ違和感を無視しない
そのくらいのことが、現実的なことが多い。
それでも、変化は出る。
小さいが、確実に。
この話は、ここで一度終わる。
ただ、
観察そのものは、終わらない。
そしてもう一つだけ。
次に何を選ぶかは、
「分かってしまった自分」で決めることになる。
その選び方は、
もう前とは同じにはならない。