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3日前に別れた徳島の秘境ホテルから「もう一度働きに来ないか」と言われた

    6月26日。

    「もしよければ、帰ってきませんか」

    女将おかみさんから連絡が来た。

    いや、帰ってきたけど。

    こっちはつい3日前に、徳島の山奥にあるホテルでの三週間の住み込みバイトを終え、社員さんたちに「また来いよ」なんて言われ、「へへっ……紅葉の時期とか良いッスねぇ……」みたいなことを言いながら、家に帰ってきたばかりである。荷ほどきすら終わっていない。

    どうやら新しく来る予定だったアルバイトの人が、働けなくなってしまったらしい。

    「もう1か月働きませんか」

    早い。あまりにも早い。

    もちろん迷った。声をかけてもらえるのはありがたい。仕事もイチから覚え直さなくていい。でも、俺にも生活がある。荷ほどきがある。荷ほどきは予定に入れていいのか分からないが、とにかくある。

    そんな俺の迷いに、女将さんから追撃が来た。

    「夏のBBQ大会にも参加できます」

    行きます。BBQに参加できるなら行くしかない。俺は負けた。BBQに。いや、たぶん、BBQだけではない。
    俺はもう一度、あの場所に戻りたかったんだと思う。


    3日前まで俺は、「おてつたび」というサービスを使って、徳島県の山奥、秘境・祖谷いやにあるホテルで働いていた。旅先でちょっと仕事を手伝いながら、その土地の暮らしや人に触れちゃおうぜ、というサービスである。

    勤務期間は、5月31日から6月23日まで。まるっと三週間。

    仕事内容は仲居さん。お客様を席へ案内し、料理を出し、飲み物を出し、お皿を下げる。つまり食事会場のあれこれを担当する人である。こちとら観光業も旅館業も飲食接客も経験がない。何をすればいいのか。ご飯を出して「おあがりよ!!」と叫べばいいのか。たぶん違う。絶対違う。

    でも募集要項やホテルの雰囲気を見た瞬間、直感が「行け!」と命じてきた。採用されてからは、女将さんとメッセージのやりとりが始まった。文面は柔らかくて、返事は丁寧で、しかも早い。こちらの不安をひとつずつほどいてくれるような感じだった。

    で、当日。
    特急に乗った。車窓に山が増え、気づけば最寄りの大歩危駅。駅の周りにはでかい川が流れ、あちこちから水の音がしていた。

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    大歩危駅のホーム

    そこからバスに乗り換える。右に左に山道をくねくね進んでいく。「これ、下界に戻れるのか?」「こんなところに本当にホテルあるのか?」そんな不安と疑念を抱きつつ、最後はもう任せたぞ運転手、という気持ちで身を預けること20分。

    ホテルの目の前に着いた。ドアがぷしゅーっと開く。降りる。目の前に、スーツの男が立っている。ピシッとしている。ピカピカしている。「おや、これは宿泊客を待つホテルの人だな」でも俺も今日からここで働く人間である。念のため挨拶をした。すると、その人は言った。

    「お待ちしておりました」
    なーんと、俺のためだった。

    ホテルの中に案内され、女将さんにもご挨拶。メッセージの文面そのままの、柔らかくて澄んだ空気の人だった。こちらも自然と背筋が伸びる。

    同じ期間に働くおてつたびの同期もやってきた。同期。友にもなれば敵にもなる。仕事では励まし合い、夜は枕投げで友情を深めるかもしれない。だが相性が悪ければ、廊下ですれ違うたびに無言の圧が発生する諸刃の剣。話してみると、めちゃくちゃいい人だった。空気を乱さない、やさしい感じ。もうそれだけで、三週間やっていける気がした。

    ちなみに他におてつたびの先輩が6人もいた。

    そこから施設案内が始まった。まずは社員寮。普通に客室だった。というか、当たりの客室だった。旅にはいろんな楽しみがあるが、俺にとってのピークのひとつは「宿の部屋に足を踏み入れた瞬間」である。あの一歩で、旅の勝敗がだいたい決まる。今回は圧勝である。

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    次に案内されたのはお風呂。大浴場。露天風呂。サウナ。水風呂。足湯。使い放題。「ちょっと暇だから温泉でも浸かるか~」が許される世界。誰が想像した、そんな働き方。

    まかないは三食付き。待遇だけ聞くと、もはや労働なのか保養なのかわからない。

    まだ仕事は何もしていない。誰の役にも立っていない。それなのに、だいぶ居心地が良い。もちろん働きます。働かせていただきます。


    初出勤の日。仕事は16時から。
    俺は朝のまかないを食べて、露天風呂に浸かったあと、昼のまかないを食べに来ていた。今日はカレー。皿を手に取ったところで、後ろから声がした。

    「黒毛和牛が入ってるので、ルーをよそうときは狙ってすくった方がいいですよ」

    おてつたびのN先輩である。この人がすごかった。世界をまわる旅人で、このホテルで働くのは三回目。言葉遣いは丁寧なのに、全身から勢いが燃えている。姿勢のいい竜巻みたいな人だった。近づくと巻き込まれる。

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    カレーのときはだいたい食べ過ぎて休憩室で動けなくなる。

    16時。ついに労働の時間が来た。
    まず覚えるのはドリンク。とにかくグラスが多い。生ビールはこのグラス。サイダー割りはあのグラス。ソーダ割りはこっち。日本酒はお猪口とお銚子。焼酎の水割りとお湯割りでは入れる順番が違う。ワインは注ぎすぎると品がない。もう、てんやわんや。「アルコールを必要としているのはお客様より俺の方では?」と逆ギレしながら、ひたすらグラスと向き合っていた。

    それでも、この職場は一度も急かさなかった。「ゆっくりでいいよ」「落ち着いてで大丈夫」「できることだけやってくれれば助かるから」初日だから優しいのかと思った。違った。ここはずっとそうだった。効率より丁寧さ。スピードより安心感。そんな世界線が存在していた。

    仕事が終わったのは21時ごろ。
    俺には予定があった。歓迎会である。会場はN先輩の部屋。お昼のカレーを食べながら誘ってもらっていた。N先輩がたくさん声をかけてくれたらしく、おてつたびの人たち、仲居の社員さん、社長、女将さん、調理場の方々が集まり、気づけば10人くらいの盛大な宴になっていた。

    社長の差し入れで、高級シャンパンも登場した。なぜか開封の儀を任された。失敗した。ボンッ、と天井が鳴った。穴を開けかけた。俺は初日にして、お客様へのシャンパン提供を禁止された。でも、ここは和風のホテルである。シャンパンなんて、そうそう出ないだろう。そう思っていたら、翌日、N先輩がお客様からシャンパンの注文を取っていて戦慄した。油断ならない職場である。

    歓迎会は深夜まで続いた。途中、別のおてつたびの先輩が、祖谷の民謡を歌ってくれた。さっきまでガヤガヤしていた部屋が、すっと静かになった。お酒も笑い声も、いったん全部止まる。あの瞬間の空気を、今でも覚えている。ベランダに出ると、天の川が見えた。部屋の電気はついている。酔いも回っている。目もだいぶぼやけている。それでも、はっきり見えた。とんでもない田舎に来てしまった。でも、とんでもなく楽しい職場に来られたのかもしれない。

    翌朝、まかないを食べに調理場へ行くと、いつも戦場のような顔をしている調理場の方々が、明らかに疲れ切った顔をしていた。本当にありがとうございました。

    祖谷に来て、すでにいろんなものをもらった。

    ご飯。温泉。地元の話。夜空。笑い声。

    それから、インスタント食品。

    歓迎会の翌々日、N先輩が帰る日、部屋の片づけを手伝った。すると洗剤や日用品、買いだめしていたインスタント食品を譲ってくれた。「これ余ったやつ。こっちは前にいたおてつたびの人からもらったやつ」そんなことを言っていた。受け継がれる差し入れ。

    そのあとも、祖谷での生活はどんどん濃くなっていった。おてつたびのメンバーで近場の観光地をまわった。仕事終わりにホタルを見に行った。修学旅行生の団体が来た日には、水のおかわり係として、人生で一番水を注いだ。人って、水を注ぐだけでも汗をかくんですね。

    社員さんがおてつたびの4人を引き連れて、四国ツアーに出かけたこともあった。本当は、勤務開始の16時には帰ってくる弾丸ツアーの予定だった。ところが女将さんが、参加者を全員休みにしてくれた。短期バイトで来た人間が、観光のために休みになることがあるのか。あるのだ。祖谷には。

    祖谷では、地図が人の口から広がっていった。

    「ここ行ったほうがいいよ」
    「あそこのうどん屋、うまいよ」
    「徳島に来てあそこに行かないのは嘘だ」
    「今からふもとの駐車場で寝て、朝イチで三嶺みうね山のぼりませんか?」

    そうやって連れ出されるたびに、知っている場所が増えていった。地域の人に挨拶をしたら、裏の水路に飾られた130匹の鯉のぼりを見せてもらった。道中でヒッチハイカーを拾ったら、徒歩圏内の別の宿で働くおてつたびの人だった。

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    1匹ずつ100均で買ってコツコツ増やしていったらしい。

    ホテルの外にも、人の縁は伸びていた。祖谷という場所が、観光地の名前ではなく、少しずつ人の顔になっていった。

    そして、6月23日。

    一周目の最終日が来た。


    部屋を掃除して、N先輩から受け継いだものを、今度は別のおてつたびの人へ渡した。俺が余らせたものも入れておいた。知らない誰かから、知らない誰かへ。少しだけ俺を通って、次の人へ。

    女将さんと社長が、最寄り駅まで送ってくれた。電車まで時間があったので、近くのお土産屋さんに寄った。

    社長が言う。
    「これは買った方がいい」
    「これがないと祖谷を語れない」
    「これはホテルで使っている七味だから記念に」
    ここにきて、経営者の手腕を見せてきた。

    荷物がどんどん重くなった。でかい豆腐。でかいこんにゃく。でかい油揚げ。酒。七味。祖谷の味が、腕にずしりとのしかかる。でも、その重さが嬉しい。

    またこの祖谷に帰ってこよう。でも、さすがにすぐではない。

    社員さんにも「また来いよ」と言ってもらった。「へへっ……紅葉の時期とか良いッスねぇ……」みたいなことを言った。握手もした。別れた。いい感じに終わった。感動的だった。

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    ほかにも番茶、味付け海苔、ぼけあげ(30cm越えの油揚げ)など。


    そして3日後、あのメッセージが届く。

    「もしよければ、帰ってきませんか」


    早い。

    あまりにも早い。

    そして俺は、7月1日、また祖谷に向かった。

    大歩危駅に着くと、女将さんと社長が迎えに来てくれた。二周目、しかもピンチヒッターとなると扱いが違う。一周目で行けずじまいだった徳島ラーメンのお店にも連れて行ってもらった。

    一周目でやり残した「次こそ」を、冷めないうちに回収できた。

    ホテルに着く。
    前回と違って、開始説明も館内案内もない。部屋の鍵だけ渡される。一週間前まで、ここにいたから。「お世話になります」というより「ただいま」。

    二周目の祖谷は、少しだけ知っている顔をしていた。まかないを食べる場所も知っている。仲居として立つ位置も、露天風呂へ向かう道も、マッサージチェアは昼過ぎに空いていることも知っている。ばっちり堪能した。長くやりすぎると逆に身体が痛くなることも知った。

    そして翌日、例のBBQがあった。
    炭火。肉。おにぎり。直前に釣ってきた鰻。カラオケ。ビールサーバー。福利厚生というより、祭りである。女将さんの誕生日ケーキが出て、最後には手作りの豚骨ラーメンまで出てきた。幸福が多すぎる。

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    締めの豚骨ラーメン

    BBQに釣られて戻ってきた短期バイトが、気づけば輪の中に座らせてもらっていた。人は、受け入れられると順応してしまう。肉があればなおさら早い。

    こうして二周目は、かなり順調に始まった。

    順調すぎるくらいだった。

    こういうとき、だいたい車が止まる。

    ある休日、社用車を借りてススキの絶景が見られる塩塚高原へ向かった。険しすぎる山道を突き進み、山頂の駐車場まであと600メートル。

    そこで車がスーッと意識を失ったように止まった。

    うんともすんとも言わない。エンジンがかからない。途切れ途切れの電波を頼りに、まずは女将さんに電話した。「馴染みの車屋さんに確認してみる」と折り返しを待つことになった。待っている間、本当に絶望していた。山の中で車が止まると、人間は急に弱くなる。スマホの電波が薄いだけで、文明から見放された気持ちになる。

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    山頂まであと600メートル。ここで車が意識を失った。

    そこへ、一台の車が通った。おっちゃんが降りてきた。「困ったらここに連絡してみぃ」知り合いの整備屋さんを紹介してくれた。ありがたい。心が少し人間の形を取り戻す。

    さらに数分後、また車が一台来た。あとで聞いたが、この道で何度も車が通るのは奇跡的らしい。おっちゃんが降りてきた。

    「どうした?」
    「車が止まっちゃって……」
    「見してみぃ、ワシ、整備士や」

    そんなことある?本当にある?おっちゃんは運転席まわりをガシャガシャ見てくれた。どうやらエンジンを酷使しすぎたらしい。上り坂が長かったもんね。車も俺も頑張った。しばらくすると、エンジンがかかった。連絡先を聞こうとしたが、おっちゃんは「えーえー!気を付けて帰り」と言って去っていった。格好よすぎる。

    別の日の、ラフティング帰り。落差2メートルの激流に飲まれ、命のありがたみを全身で感じたあと、駐車場を出てしばらく走ったところで、車体がガタガタと変な揺れ方をし始めた。車のタイヤがバーストした。ホテルの社用車は二台ある。そのうち一台を、5日前に動かなくしたばかりだった。そして今、もう一台のタイヤを破壊した。

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    激流にのまれる俺

    情けなさで、心もぺちゃんこになった。女将さんに電話すると、馴染みの車屋さんが15分ほどで来てくれた。ササッとタイヤを交換してくれた。ホテルに戻ってからも、俺は落ち込んでいた。するとフロントの方が言った。

    「何もなくてよかった。キミならトラブルを乗り越えられると神様がこのタイミングにしたんだよ」

    救われた。本当に救われた。

    旅先でトラブルが起きると、普通はその土地が少し怖くなる。でも祖谷では逆だった。困るたびに、人の顔が増えていった。車が止まれば、知らない整備士のおっちゃんが現れる。タイヤが裂ければ、女将さんが車屋さんに繋いでくれる。落ち込んで帰れば、誰かが言葉をくれる。

    迷惑をかけたと思った。でも、怒られるより先に心配された。良くしてもらうことが、たくさんあった。

    でもある夜、俺は「良くしてもらう側」ではなく、「良くする側」の大人を見てしまった。高知に行った日の夜のことだ。その日、俺はおてつたびの同期と室戸岬で海を見ていた。山奥で過ごす日々が続いていたので、空以外の青を久しぶりに見た気がした。

    そこから、いろいろあって高知市内で女将さんと社長と合流した。旅には「いろいろあって」でしか説明できない移動がある。夜、カツオのタタキを食べ、餃子屋へ行った。相席になった県外からのご家族と、わいわい話した。その人たちは、旅行中にトラブルがあって、急遽高知へ来たらしい。旅はいろいろある。あるよねえ、なんて話しながら楽しく飲んだ。

    先に店を出たあと、相席していたお兄さんが走って追いかけてきた。「ありがとうございます!」なんのこっちゃ。どうやら、社長と女将さんが、その人たちの分までお代をまとめて払っていたらしい。俺は横にいたのに、全然気づいていなかった。とてつもなく格好よかった。

    人に見せるためではない。お礼を言わせるためでもない。ただ、誰かの旅が少し良くなるように、さりげなく払っていた。俺は、あのとき本気で思った。こんな大人になりたい。誰かの旅を、本人が気づかないところで少し良くできる人になりたい。

    祖谷で俺は、食べさせてもらった。連れ出してもらった。助けてもらった。受け取ってばかりだった。

    そして受け取ったものが多すぎると、渡す側になりたくなる。

    余ったインスタント食品でも、迷ってる人に教える店の名前でも、誰かの一杯でもいい。受け取ったものを、どこかで少し返す。たぶん、そうやって場所は続いていく。

    7月26日。二周目の最後の勤務日が来た。

    夕食会場で女将さんが宿泊客に挨拶をして、祖谷の民謡を歌った。このホテルの夕食には、そういう時間がある。お客様は食事の手を止めて、女将さんの話と歌を聞く。俺たち仲居は、その間も部屋の隅から目を光らせている。どの卓がどこまで食べたか。次は何を出すか。お皿を下げるか。ご飯のおかわりを聞くか。あの人、そろそろお茶かな。

    女将さんの挨拶が終わると、仲居も合わせて締めのお礼を言う。その日、社員さんの一人が言った。

    「最後だし、どっちがデカい声でお礼を言えるか勝負しましょう」

    勝負の皮をかぶった儀式だった。粋なことをする男である。

    「ありがとうございました!!!!」


    声を出した。本当は、お客様に向けてのお礼だった。もちろん、県外から、あるいは海の向こうから来てくれたお客様へのお礼だった。でもあの日だけは、ホテルに向けて言っていた気がする。

    翌日、帰り支度を終えて表に出ると、女将さんや社長、フロントの方、社員さん、おてつたびの人たちが見送りに来てくれた。最後まで、ひとりで帰らせてくれないホテルだった。駅までは社員さんが送ってくれた。途中で味噌ラーメンまでごちそうになった。見送られて、送られて、食べさせてもらっている。俺は本当に、帰る瞬間まで受け取りっぱなしだった。

    電車に乗った。

    祖谷が遠ざかっていく。

    いや、正確には、遠ざかっているのは俺の方だった。

    帰りの電車で、持たせてもらった弁当を開いた。

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    今朝まで食べていた味だった。

    でも、もう懐かしかった。

    働きに行ったはずだった。
    呼び戻されて、もう一度戻っただけのはずだった。
    なのに帰るころには、帰る場所がひとつ増えていた。





    ※この滞在中の出来事をまとめた「おてつたび徳島編」の記事一覧はこちら。

     
     
    ご飯と旅のライターに憧れて、ご飯と旅だけしていたら何もできないおじさんになっていました。/笠岡しまたびアンバサダー🏝️(2026年度)/東京→岡山

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