人生を変えてくれたのは、中学校の先生だった
わたしは学校という社会で人間関係を築く前に、家庭でつまずいた。まず両親の仲が良くなかった。母はケンカがヒートアップすると、イスを振りかぶったり父の顔にお茶をかけたりした。
それを見て2歳年下の妹が泣き出した時、わたしもテーブルコショーのフタを開けてビンを振りかぶりながら、家ではこうして戦っていかなければならないことを知った。
だから中学校ではいつも気が抜けていた。ハイソックスを買うお金がなくて外見をいじられたり、メガネにコンプレックスがあって裸眼で過ごしていたら周りの会話についていけなくなったり、他にも色々あったけどとにかく疲れていて暗い生徒だったので、新しい友達がほとんどできなかった。
それでもわたしは中学校を休むことはなかった。サボりが親にバレたら怒られるのは分かっていたので行かざるを得なかったというのはあるけれど、今思うと、先生たちがわたしと学校を、さりげなくつないでくれていたのだ。
親が成績に厳しかったので、わたしは真面目に勉強をしていた。急に成績が上がった時、「カンニングしたんじゃないの?」と数学科の先生に茶化されたけれど、理科の先生が「この子はそんなことしない」と言い返してくれた。
茶化されたことは別に嫌ではなくて、わたしはこの時「自分を含む3人以上」での笑ってもいいやり取りが生まれたことに驚いていて、そして嬉しかった。小さな社会がそこにあった。
先生にとっては他愛ない会話だったかもしれない。けれど両親は2人そろってもわたしのことではケンカばかりだった。大人が2人いて、わたしの話題で和やかな会話が発生するなんて、中学生になってから初めてだったから、ようやく自分も社会に生きているのだと、生きていていいのだと実感した。
真面目に勉強していたといっても授業を聞くのがあまり得意でなかったわたしは、社会科の授業ではずっと資料集を眺めていた。テストの問題で「アラビア海」(たぶん)の場所を問われた時、わたしはその名前を思い出すことができず、資料集で読んだ記憶を頼りに「アデン湾」と書いた。
社会科の先生は「アデン湾っていうのが本当にあるんだよ……」と言いながら、真面目な顔で「マル」の答案用紙を返してくれた。先生はこのことを職員室で話したらしく、以前「カンニングしたんじゃないの?」とわたしを茶化した数学科の先生は、わたしを「アデン湾」と呼ぶようになった。
中学3年生になる時、校舎が新校舎に移転した。小学校からの友人や、2年生の時に知り合った友人のおかげで仲良しグループを作ることができていたわたしは、ピカピカの校舎に夢中になって、休み時間に職員室へ行くことはほとんどなくなった。
結果的に、中学校で一番仲が良かった2人の友人とは、今も連絡を取り合っていて、家族みんなで地元のイベントに遊びにいったり、家にお邪魔したりしている。中学校に行くことをどこかで諦めていたら、たぶんあり得なかった未来だ。
いかんせん親が成績に厳しかったので高校生活は受験勉強に明け暮れたし、大学生活は一生の思い出になったけれど、今でも、暗い顔で通学していたわたしの人生を変えてくれたのは、中学校の先生だと思っている。
Saka.先生の記事を読んで、中学時代のことを思い出したので書きました。Saka.先生、素敵な記事をありがとうございました。
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