
新聞受けの返却物
夜明け前、寝ていると玄関の新聞受けがカタンと乾いた音を立てた。俺は物音に気付き目を覚した。のそりと玄関へ向かう。昨日、失くしたハンカチが玄関の三和土に落ちていた。
「またか……」
一ヶ月前から、奇妙な現象が続いていた。昨日に失くしたはずのものが、翌朝には必ず新聞受けから放り込まれているのだ。これまでもビニール傘、名刺入れ、予備のキーケース……。俺は屈んでハンカチを手に持った。誰の仕業かは、目星がついている。別れた恋人に違いない。俺の脳裏に会社の同僚の深雪の顔が浮かぶ。髪のきれいな女だ。別れてからというもの、俺は彼女の執着が常軌を逸していると感じていた。社内ですれ違うたびに上目遣いで刺すような視線で俺を見てくる。彼女が隙を見て俺の私物を盗み出し、翌朝に返却しに来ていると推理していた。
「いい加減にしろよ、本当に」
俺は決意した。今日一日、一歩も外に出ない。何も盗まれなければ、この不気味な連鎖は断ち切れるはずだ。俺は会社に体調不良の連絡を入れ、安アパートの自室に鍵をかけ、万全の態勢で引きこもった。寝起きのままパジャマも着替えず、テレビもつけず、ただじっと部屋の真ん中で座って過ごした。これなら何も盗まれようがない。深雪が何を仕掛けてこようと、盗まれさえしなければ返却は成立しないのだ。この日は何もないまま過ぎた。俺は万年床になっている硬い布団で横になった。寒かったせいか掛け布団をかけると、俺はそのまま眠ってしまった。
俺は目を覚ました。夜明け前になっていた。いつもなら新聞受けから返却される時間だ。俺は息をひそめて新聞受けに視線を固定させる。新聞受けがゆっくりと開いた。息を吞む。折りたたまれた紙が、ぬるっと入ってきて、弧を描くように玄関の三和土に落ちた。俺は音を闇に吸い込ませながら、人がたに膨らんだ万年床の横をゆっくりと玄関のほうへ進んだ。そこには一枚の紙が、二つに折られて落ちていた。
「今度は何を盗んだつもりだ」
俺は紙を拾い上げて広げる。『死亡届』の文字が目に飛び込んできた。死亡時刻は昨日の午後の時間とある。氏名の欄には俺の名前が丁寧な文字で書かれていた。深雪の悪趣味な悪戯に怒りで体が震える。
「ふざけるな」
吐き捨てた声が狭い部屋の壁にぶつかって戻ってきた。その返り音が消えるより先に、背後で布団が「す」と沈んだ。
俺は息を止めて振り返る。
布団の中には、青白い顔で、呼吸を止め、昨日と同じパジャマを着た自分が横たわっていた。