
手放した、理想の休日。
日曜日、友人のSNSを閉じたあと子どもの寝顔を見つめていた。
キャンプ、習い事、体験教室。
画面の中の休日は、どれも充実して見えた。
それに比べて、わが家の今日。
朝起きてくることもなく、夕方までパジャマ日。
仕事を終えた私の目に飛び込んでくるのは、YouTubeを見ていたであろう私のパソコンと食べ散らかしたお菓子の包みが散乱しているリビングの床だった。
今日も、特別な予定を作ってあげることもできず過ぎていった。
「だらけさせているのは、私の環境のせい?」
サービス業の私は週末のほとんどが仕事。
十分にかまってあげられていない気がして、せめて規則正しく。
せめて有意義に。
理想ばかりが膨らんで、画面の中のくらしに焦り
“せめて”が、胸の中に積もっていった。
でも、ある日の日曜日。。
子どもは退屈そうにしながら、部屋の隅で本を広げたり、大好きな映画を見ながら何か作っている。
突然思いついたように、
「お部屋の壁に絵を描きたい」
と言い出した。
もちろんためらったし、
「壁に??」
フリーズしつつも興味の種を積んでしまいたくないと、
「わかった、自分のお部屋でやろう」
と約束をして見守ることにした。
特別なことは何もしていないし、あげられない。
むしろひとりにさせてしまう時間が多く、
自分で見つけたやりたいことはやらせてあげたかった。
絵の具を準備するその顔はどこか自由で嬉しそうだった。
退屈は、空白じゃなかった。
自分で何かを見つけるための、余白。
私はその日、やっと気づいた。
与える休日も大切かもしれない。
でも、何も与えない休日も、悪くない。
今思うと、あの頃はコロナ禍で、
友達とも自由に遊べない時間だった。
退屈だったはずだ。
寂しい日もあったはずだ。
それでも、家の中で自分の時間を見つけながら過ごしていた。
退屈だけど、自由だったあの日。
私はまた、静かに信じる方を選んだ。

