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日本や台湾の都市部の夜はなぜ「明るい闇」なのか:夜に子どもが歩ける繁華街という世界的異常事態【ひとりごと】

    ※胃腸炎でダウンしていて直近は記事を投稿できてませんでした……ようやく復帰いたします。

    アメリカへ留学していた頃、夜遊び自体はそれなりにしていた。友人と食事へ行ったり、映画を観たり、買い物をしたり。高校生なりに夜の街へ出かける機会は普通にあった。

    ただ、今になって振り返ると、あれは日本でいう「夜遊び」とはかなり違っていた気がする。

    基本的に車移動だったからだ。家から車へ。車から店へ。店から車へ。そして家へ。

    夜の街を歩いていたわけではない。
    街を面として移動するのではなく、安全な箱に入ったまま、目的地から目的地へワープしていた。

    暮らしていたのがニューヨークやロサンゼルスのような大都会ではなく、中西部の地方都市だったことも大きいだろう。治安は比較的よかった。

    それでも、日本へ帰って長く暮らしたあとで思う。日本人にとっての「夜」は、世界的に見ると、かなり不思議なものなのではないか。

    日本では夜になっても、街が生活空間であり続ける。そして、時には子どもまで歩いている。

    ---

    ■ 日本の夜には「普通の生活者」が残っている

    東京の繁華街を夜に歩いていると、実にさまざまな人がいる。酔っ払った会社員。客引き。夜の仕事をしている人。外国人観光客。

    だが、それだけではない。

    仕事帰りの女性もいる。
    塾帰りらしき中高生もいる。
    コンビニでアイスを買っている小学生もいる。
    時には、ベビーカーを押した家族連れすらいる。

    これを日本人は、特に異常だとは思っていない。

    まあ、さすがに深夜の歌舞伎町を小学生が一人で歩いていれば心配にはなるだろう。しかし、夜の繁華街に「子ども連れの家族が存在すること」自体には、そこまで驚かない。

    さらに言えば、外国人観光客が小学生くらいの子どもを連れて、夜の歌舞伎町を歩いている光景も珍しくなくなった。

    よく考えると、これはかなり世界的異常事態だ。

    歌舞伎町といえば、日本で最も有名、かつ世界的にも有数の規模を誇る歓楽街。性産業・酔客・客引き。ぼったくり店だってある。裏社会の気配も完全に消えたわけではない。決して「何も警戒しなくていい街」ではない。

    それなのに、夜職ではない一般の女性が、一人で普通に歩くという選択肢すら持てる。

    映画を観るために行く。
    食事をするために行く。
    待ち合わせ場所として使う。
    外国人観光客が家族でゴジラヘッドを見に行く。

    危険な要素はあるのに、街そのものが一般人の生活圏から切り離されていない。やはり冷静に考えると世界的異常事態だろ、これ。

    ---

    ■ 歌舞伎町は「闇」なのに、明るすぎる

    歌舞伎町の夜は、とにかく明るい。

    巨大な看板が光っている。店が開いている。コンビニがある。ホテルがある。映画館がある。警察がいる。観光客がいる。飲食店が深夜まで営業している。人が多すぎる。

    危険がないわけではない。というか「危険そうなもの」がかなり分かりやすく可視化されている。

    その危険は人のいない暗闇に潜んでいるのではない。ネオンの下にある。商売の顔をしている。観光客や会社員や家族連れの中に混ざっている。

    つまり歌舞伎町は「危険がゼロだから歩ける街」ではない。むしろ、「危険が可視化され、商業化され、大量の人通りの中に埋め込まれているからこそ歩けてしまう街」なのではないか。

    これを何と呼べばいいのだろう。
    私には歌舞伎町が「明るい闇」に見える。

    闇ではある。だが、暗くはない。
    危険はある。だが、生活もある。
    歓楽街である。だが、観光地でもある。
    大人の街である。だが、時には子どももいる。

    本来ならこれらの両立しにくいはずのものが、人工的な光量の中で全て同居している。

    ---

    ■ 台北の夜市では幼児が走り回っていた

    台湾へ旅行した時にも、似た感覚を覚えた。

    一度しか訪れたことはないので台湾全体について大きなことを言うつもりはない。ただ、少なくとも台北の夜市を歩いた時、妙な親近感を覚えた。

    夜なのに、子どもがいる。
    しかも、幼児が普通に走り回っている。
    家族連れが食事をしている。
    若者が買い物をしている。
    観光客も地元の人もいる。
    屋台から湯気が上がっている。

    夜の街なのに、その中心にあるのは酒だけではない。飯。買い物。遊び。家族の日常。

    夜の街が酒・性産業・酔客・騒音・トラブルだけで構成されるなら、日中の生活圏とは別の場所になる。用事のない人は近づかない。女性一人では避ける。子どもを連れて行くなど考えられない。

    しかし、日本や台湾の都市部では、夜の歓楽と日常生活が完全には分離していない。

    居酒屋の隣にラーメン屋。バーの近くにコンビニ。夜市に屋台とゲームと家族連れ。ホテルと映画館とホストクラブが、同じ街区に存在する。

    だから夜が「特定の大人だけの特殊な時間」になりきらない。昼の生活が、そのまま夜まで薄く引き伸ばされている。

    ---

    ■ 夜に人がいるから安全なのか、安全だから人がいるのか

    日本や台湾は治安がいいから、夜に人が出歩ける。これはおそらく間違っていない。が、話はその一方向ではない気がする。

    治安がいいから人が夜に出る。同時に、普通の人が夜にも街にいるからこそ治安が保たれやすい。

    店が開いている。
    店員がいる。
    食事をする人がいる。
    駅へ向かう人がいる。
    家族連れがいる。
    コンビニがある。
    街路には常に誰かの目がある。

    都市論では、ジェイン・ジェイコブズの「街路の目」という有名な考え方がある。

    専門的な説明はさておき、要するに、街を安全にするのは警察や防犯カメラだけではない。

    普通の生活者がいること。
    誰かが店番をしていること。
    誰かが食事をしていること。
    誰かが帰宅していること。
    誰かが子どもの手を引いていること。

    そうした無数の他人の存在が、街を完全な無法地帯にしない。夜に人がいるから安全になる。安全だから、さらに人が夜に出てくる。

    日本や台湾の夜型生活は、この相互強化によって成立しているのかもしれない。

    ---

    ■ ただし「夜型の街なら安全」という話ではない

    もちろん、夜まで人がいる街なら何でも安全、という単純な話ではない。酒場やクラブだけが集中した地区では、酔客同士のトラブルや暴力、騒音も増えやすい。夜の経済活動そのものが、治安を良くしてくれるわけではない。

    繰り返すが、重要なのは「夜の街に何が混ざっているか」だと思う。酒と歓楽だけの夜。食事と買い物と交通と家族が混ざった夜。このふたつは、同じ「夜型都市」でもかなり異なる。

    日本や台湾の都市部の特徴は、夜の繁華街から日常消費が消えないことにある。人々は酒を飲むためだけに夜の街へ出ているのではない。

    牛丼を食べる。
    ラーメンを食べる。
    コンビニへ行く。
    映画を観る。
    塾から帰る。
    夜市で家族と食事をする。

    夜に出歩く理由が極端に特殊化されていない。だから夜の街が一部の人間だけの領域にならない。

    ---

    ■ アメリカの夜は、車が公共空間を飛び越える

    ここでアメリカ留学時代の話に戻る。
    私は当時、夜に出歩くことをそこまで怖いとは感じていなかった。

    だが、それはアメリカの街路が日本と同じように安全だったからではない。
    単純に、車に乗っていたからだ。

    家から目的地まで、徒歩で夜道を進む必要がない。車の中は、小さな私有空間である。
    ドアを閉めれば、街路から切り離される。音楽も聴ける。荷物も置ける。危険を感じたら、そのまま車で離れられる。

    つまりアメリカの郊外や地方都市では、車が「移動する安全圏」として機能する。

    人は夜に活動していても、必ずしも夜の街路に存在しているわけではない。駐車場に車が百台あっても、歩道には誰もいないことがある。

    店の中には人がいる。車の中にも人がいる。しかし、店と店のあいだの公共空間は空白になる。

    日本や台湾の夜型都市生活が「人が徒歩で街に残る夜」だとすれば、アメリカ郊外の夜型生活は「人が車で安全圏ごとワープする夜」。

    なので、同じように夜まで外出していても、都市文化としてはまったく別物である。

    アメリカでは、車が公共空間を代替する。
    日本では、歩行者が公共空間を維持する。
    この差はかなり大きい。

    ---

    ■ 日本人は「高層ビル街=安全そう」と思っている

    海外を歩いて、もうひとつ気付いたことがある。日本人の多くは高層ビルが多いエリアをあまり危険だと思わない。これは恐らく、日本の常識にして世界の非常識だ。

    高層ビル街といえば、丸の内、大手町、汐留、品川、西新宿あたりを連想するだろう。

    高層ビル街
    =オフィス街
    =ビジネスマンのいる場所
    =歓楽街ではない
    =比較的安全

    という感覚がある。
    しかし、海外では必ずしもそうではない。

    昼間は大量のビジネスマンがいる都心部でも、夕方を過ぎると人が急に消える都市がある。オフィスが閉まる。店も閉まる。歩行者が減る。通りだけが広く残る。高層ビルが立ち並んでいても、夜の街路に生活者がいなければ、そこはむしろ緊張感のある場所になる。

    つまり海外では、高層ビル街が「夜は人が消える場所=危険」の目印になり得る。

    旅行でパリを歩いた時にも、場所によって夜の徒歩感覚がかなり違うと感じた。

    パリの夜は確かに美しい。だが、必ずしも一人で気軽に歩きたい夜ではなかった。

    急に人通りが減る。
    通り一本で雰囲気が変わる。
    地下鉄や駅の周辺ではかなり身構える。
    観光地だろうと警戒心を完全には解けない。凱旋門やルーブル美術館周辺であっても。

    本当に怖いのはネオンではない。
    ネオンのない暗がりだ。

    もちろん東京にも危険な場所はあるし、パリにも安全な地域は当然ある。それでも「夜にどこまで徒歩で街を使えるか」という感覚には、大きな違いがあるように思う。

    日本では、高層ビル街の夜にもコンビニがある。居酒屋がある。牛丼屋がある。終電へ向かう人がいる。鉄道中心の都市だから、夜になっても歩行者が完全には消えない。

    私たちの「高層ビル街は安全そう」という感覚は、あくまで日本のガラパゴス的常識。ここは断言してもいいと思う。海外旅行の際に気に留めておいて損はしないだろう。

    ---

    ■ 外国人観光客にとって、歌舞伎町を歩くこと自体が「ファンタジー」なのでは

    ここまで考えると、外国人観光客が家族で歌舞伎町を歩いている理由も、少し違って見えてくる。

    彼らにとって歌舞伎町は、単なる「でっかい歓楽街」ではないのかもしれない。「歓楽街なのに、普通に歩ける」ということ自体が、ひとつの観光体験になっている可能性がある。

    母国なら彼らは絶対に、歓楽街に子どもを連れて近付かないだろう。だが、東京歌舞伎町ではベビーカーを押しながら歩いている。

    ホストクラブ。酔客。客引き。巨大なゴジラ。
    同時に、コンビニで高校生がアイスを買っている。外国人家族が記念写真を撮っている。

    全部が同じ空間にいる。
    これはもう、充分にファンタジーである。

    観光とは、名所を見ることだけではない。
    自分の常識が裏切られる体験でもある。

    「ここが日本で最も有名な歓楽街なのか?」
    「なのに、なぜ家族で歩けるのか?」

    この矛盾そのものが、歌舞伎町の観光資源になっているのかもしれない。

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    ■ 日本人は、夜ですら日常を失わない

    というわけで、この話を単に「日本や台湾は治安がいい」で終わらせるのは少し物足りない。

    私が面白いと思うのは、もっと別の部分だ。
    日本や台湾の都市部では、夜という時間帯が一般的な社会から放棄されていない。

    多くの街では、夜になると昼の秩序が弱まる。公共空間から日常生活が消え、残るのは、歓楽・犯罪・移動・警戒といった昼とは別の機能である。

    しかし日本や台湾では、夜にも生活の延長が残っている。普通の人が街を使い続けている。
    だから、夜が完全な異界にならない。
    暗くなっても、社会が終わらない。

    日本や台湾の都市部の夜が「明るい闇」に見える理由は、ネオンの光量だけではないのだと思う。

    闇の中に、昼の生活が残っているからだ。
    夜に子どもが歩ける街。それは単に、犯罪が少ない街というだけではない。夜が歓楽だけの時間ではなく、普通の人間が生きる「もうひとつの生活時間」として設計されている街なのだ。

    世界中に夜はある。だが、その夜をどこまで日常の中へ組み込むかは、文化によって違う。

    そして私たち日本人は、自分たちが思っている以上に、夜ですら日常を手放さない。

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    ポップカルチャー × 文化論 × 言語を「居酒屋サブカル談義」的に語るディレクター兼ライター。 アメリカ高校留学→芸術系大学→広告ディレクター。 文化批評、留学体験、言語論などを展開。 初めての方は固定記事「自己紹介」へ。 コンサル・ライティングなどの仕事依頼はDMよりどうぞ!

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