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七福町鍼灸日誌/第10話「鍼灸に感謝」

    これまでに、鍼灸師として沢山の「ありがとう」を言われてきた。しかし、どうしても忘れられないのは、自分が不勉強だったせいで泣かせてしまった、数人の患者たちである。

    症状が辛くて悩んでいる患者に「正論」を言って傷つけてしまった。藁にもすがる思いで来院してくれたのに、結果が出せなくて謝ったこともある。「他の鍼灸院では一回で治してくれた!」そう言われて、心の奥で(じゃあそこに行けよ!)と毒づいたこともあった。だが、その醜い感情はすべて自分に返ってきた。

    私は前職を組織になじめないと思い、家庭の事情と言って退職した。大手の鍼灸院は毎年店舗を増やし売上を伸ばす。徹底したマニュアルがあり、スタッフは研修期間に叩き込まれる。新卒はこのマニュアルに感動し、組織に貢献しようと鼓舞する。もちろん技術指導や患者を思う内容には間違いはない。

    だが、これが傲慢な治療家の始まりであった。

    『治せる鍼灸師にならなきゃ駄目だよ』これは先代の七福鍼灸院、院長の言葉である。私は恩師である院長先生のお陰で毎日の腹痛から解放された。

    専門学校を出た私は恩師の鍼灸院ではなく、大手の鍼灸院グループに就職した。恩師の鍼灸院でもお給料は出たかもしれない。しかし、一人親方の鍼灸院と大手鍼灸院の給料では大きな差があった。専門学校の費用で親に借金をした私は、早くお金を稼ごうと恩師に不義理をしてしまった。

    国家試験を前に半年前から恩師と会うことはなく、合格発表からすぐ就職の為に面接を受けていた。挨拶をしに行ったとき、薄々知っていたのだろう。最後まで『何かあれば協力するよ』とほほ笑んでくれた。

    鍼灸業界の新卒は引く手あまたである。逆に年配の中途採用は治療の仕方に”癖”がでるため、組織通りの施術プランに合わせられない場合も多い。

    就職してから毎日が楽しかった。学校でも聞いていたが、流派だったり先生によって鍼の打ち方が違う。徒弟制度なら数年は助手であるが、大手鍼灸院だと技術研修に合格すれば直ぐにでも施術に入れた。

    研修期間中、先行く先輩の施術を見たり聞いたりメモを取りながら雑務に励んだ。

    見たこともない施術で患者は良くなったり、何も変わらなかったりする。スタッフによってベテランでも施術が下手な人もいる。鍼灸師は患者との相性が大切とされており、施術が下手なスタッフでも気難しい患者からの指名率が高い場合もある。

    なるべく施術が上手い先輩に話をきく。そこで国家試験用の解剖学ではなく、臨床現場の運動解剖学と生理学を学びなおす必要があると気付いた。

    どうしてそのツボを使うのか?筋肉を狙っているのか?神経を狙っているのか?毎日の振り返りを怠らなかった。

    私には経験が必要だった。

    多くの施術をするためには、集客をしなければいけない。集客は広告サイト、SNSを駆使して、クーポン付きのポスティングなどで初回の患者を引き込む。あとから気が付いたことだが、就職先は毎月1200件以上の施術をさばく鍼灸院であった。ベッド10床、常駐スタッフ13人~15人。

    新卒の私でも一日3~4人は施術に入っていた。

    就職して半年後、社員契約から個人事業主に契約変更して、施術に入った分のお給料を頂く。

    就職から翌年、パンデミックもあり、最高売上の半分以下の月もあった。国の政策により運よく持続化給付金の対象となり窮地を免れた。私は一度自分のライフプランを見直し、インデックス投資による貯蓄を開始した。

    患者数が回復するも、会社は急な経営マニュアルを打ち出してきた。集客、クチコミ、次回予約の徹底である。そのために技術講習会を増やし自己流の施術は廃止、マニュアル通りの鍼治療をするようになった。社員と業務委託が混在していたが、会社を守るのには社員側に合わせることは仕方がないことだと思った。

    今まで割と自由に施術と通院指導をしていたが、それではダメだと何度もバックヤードに呼び出され注意された。

    マニュアルが腑に落ちないのである。声をかけてもうまく予約に繋がらない。施術でも失敗しなくていいところで失敗を繰り返す。

    例えば、西洋医学でも鍼によるホルモン作用や鎮痛効果をそれっぽく伝え、施術効果がしょぼいと、『これは東洋医学的には何度も施術を行い自己治癒能力を高めていく必要がある』『そのダルさは好転反応ですね!』と、東洋医学といえば何でも解決すると思わせてる節もあった。私は腹落ちしないまま、先輩の見よう見まねで施術をつづけ、患者さんの感想に一喜一憂していた。

    業務委託になって3年目。私は店舗環境が良かったため、スタッフの中でも中堅の指名率にきていた。その年めぐ先輩が退職。翌年はいけ先輩が退職した。二人とも新しくなったマニュアルに合わないと判断しての退職だった。

    上が抜けたことにより、引継ぎの関係もあって私は上位の指名率になってしまった。

    忙しさもあり、慢心していた。

    集客も店舗の立地と代表の培ってきた看板のたまものである。指名率も消去法で跳ね上がっただけである。しかたなく私の施術を受けていた患者もいただろう。立地と価格が合っていれば誰でも良い患者も少なくない。

    売上は正直で、月ごとに目減りして4年目には売上が伸びなくなっていた。

    1人の女性が新患としてやってきた。私が担当になり、マニュアル通り問診をこなし病名を当てはめて何も考えずに、うつ伏せにさせて施術を開始した。鍼が初めての患者に軽く説明をして鍼を打つ。

    「ここのコリは胃腸が悪い。ここの硬さは不眠が原因ですね。生活習慣は大切ですよ」

    何も考えずに流れ作業のように患者を扱ってしまった。うつ伏せの女性からすすり泣く声が聞こえた。

    「……ご、ごめんなさい」

    声を震わせながら女性は施術の中断を申し出た。私は例のごとくバックヤードに呼び出された。患者が泣きながら退出したのである。上司に状況を説明する。上司は『心が不安定な患者にはたまにある』と私を励ましつつも、再発予防として反省文を書かせた。夜の時間に合わせて、泣かせてしまった患者の電話番号に連絡をいれる。留守電になる。予約時のメールアドレスにもお詫びの文章を送信。都合がつけば二度目の来院を促す内容であるが、来るわけがない。全て私の慢心が招いた結果であった。

    その女性の泣き声は、しばらく耳から離れなかった。

    病名を当てはめ、原因を言い当てることが、治療だと思っていた。だが彼女が求めていたのは、正しい評価ではなく、まず自分の話を聞いてもらうことだったのかもしれない。うつ伏せの背中越しに、私は症状だけを見て彼女のことを見ていなかったのだ。

    そのことに気が付けたのは独立開業した後のことで、当時の反省文には、当たり障りのない再発防止策を並べた。本当に書くべきだったのは、「患者を、人として見ていませんでした」のひと言だったのに。

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    恩師の顔を思い出した。恩師は私のくだらない雑談や攻撃的な発言も優しく収めてくれた。肯定されることで恩師を好きになってきた。今思うとあれが中庸なんだろう。ポテンシャルの高い鍼灸師は口角が上がっている。自然と笑顔に見える。

    実家から借りた専門学校の学費もめどがつき、貯金もあったので退職を決意した。代表は『毎日、解剖学、生理学、各論をさらいなさい』と言ってくれた。

    『次いつ来ればいいですか!』と言われる先輩にあこがれていた。それが叶わなかった。ありがとうと言われることが多くなっても、まだまだだと思い知らされながら経験を積んでいる。

    「ご無沙汰しております」

    「やあ、元気だったかい」

    恩師は5年ぶりの私に優しく声をかけてくれた。昨年転倒した際に大腿骨を骨折し、大手術をしたそうだ。

    患者数を減らしながらも恩師は現場に立ち続けている。

    「よかったら、ここを使わないか?」

    「え?」

    鍼灸業界は狭い世界である。恩師は資格取得した私が就職したことも報告前に知っていた。辞めたことも伝わっていた。そういえば辞めたとたん就職斡旋のメールがやたら届いてた時期がある。なんなら辞めた会社の事務員が直接次の鍼灸院を紹介したいといってきた。

    求人広告はお金がかかるそうで、関係者が間に入るほうが雇う側も事情が知れてるし中間手数料だけで済むので良いそうである。

    話を戻すと、恩師はもう引退してこの院を私に譲ってくれる、と言ってきたのである。

    「こんな半端者の私で良ければ」

    「君だからいいんだよ。この町に来たのもご縁。辛いことがあっても私のところに来てくれた。鍼灸師をやめようとはしてないからだろう」

    しばらく下ばかり向いていた。また鍼灸に救われ前を見ることができたのだ。

    「一から、やらせてください」

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    あれから2年目である。前どころか、視線を上にあげたとき、歯茎をむき出しにしてニカッと笑うえびす像が目に入った。その石像に鍼をしたり、ときには雲の上のクリエイターにも、心から鍼灸の良さを伝えることができた。

    どうして鍼灸を選んだのか。それは、人に触れられ、その人の体温を感じることができるからだと思う。会話の尺、手の温かみは、患者だけでなく、術者も癒す。「それはオキシトシンの効果だ」「手当ての語源が……」と、人から聞いたような理屈を並べるマニュアルもあるが、そんな取ってつけたような解説は半分合っていて、半分は間違いだ。

    体験で得た言葉ほど強いものはない!

    鍼灸師は、誰かを助けた数の、倍の苦しみを知らなくてはいけない。勉強不足、技術不足、人間力不足。足りないものばかりだからこそ、私たちは苦心する。「患者を健康にしたい」と願いながら失敗もする。

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    「お主は良い、若いのに鍼灸師じゃ。会計を頼むぞ!」

    「ありがとうございます。恵比寿さん、初回で7,000円になります」

    「ほれ、賽銭のお札だが気にするな。それと別にひとつ願いを叶えてやろうと思う。ほれ、この恵比寿に願うことはあるか?商売繁盛!とか」

    「……当院でなくてよいです。お身体でお悩みの方がいたら、是非、鍼灸を紹介してあげてください。鍼灸の良さを全国に広めてほしいです!」

    「わかった!わしもまた来るからな!」

    「はい!良くなるよう精一杯、施術させていただきます!」

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    夢かもしれないが、本日は神様を施術させてもらった。患者に優劣を付けてはいけないが、2柱とも鍼灸師人生においてベストバウトの症状だった。もちろん神様も一回で良くなるとは思っていないだろう、また来てくれるらしいので、次に来た時の為に勉強をしよう!鍼灸師は生涯勉強である!

    治せる鍼灸師になるため、恩師から譲り受けた七福鍼灸院を守るため、日々勉強しなければならない。

    願わくは、誠実な鍼灸師が活躍する世界になりますように。

    七福町鍼灸日誌/第1部 完

     
     
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