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髪を切った日、剃った日

    ある日曜日、夫は仕事で私は娘と2人だった。その日はちょっとしたイベントを予定していて朝からどこか緊張して過ごしていた。9ヶ月の娘のイトちゃんが生まれて初めて美容室に行くのだ。ファーストカットというらしい。

    イトちゃんは生まれた時から割と頭に毛が生えていた。そして8ヶ月になった頃から長くなった髪の毛が爆発してきた。爆発と言っても赤ちゃんの毛は細くて可愛い。西陽が当たると髪の毛がメラメラ燃えている炎のように見えたのでハウルの動く城のカルシファみたい!と言って夫と愛でた。9ヶ月になると、いよいよ絡まるようになってきて、保育園に行く時は左右の側頭部の髪だけそれぞれ束ねるようにしていた。それはそれでとても似合っており、モンスターズインクのブーみたい!と言ってまたまた夫と愛でた。 ただ、親が我子可愛さからパヤパヤ爆発頭を愛でているだけで、他人から見たらどうなのか、髪を手入れしてもらえない可哀想な子になってはしないかという不安はうっすらと常にあった。
    そして先週、夫の実家に遊びに行った時、義母が孫のパヤパヤ頭を撫でながら「この子の髪の毛はどうにかならんのかね」と笑いながら話していたのを聞いて、切ってあげたほうがいいかもしれないという思いが強くなってきた。そうして、どうせならこの可愛い毛束を永久に残したいと胎毛筆を作れる美容室を探して予約したのである。

    初めて行く美容室は家から徒歩数分だった。ベレー帽を被って白いエプロンをつけた小洒落た女性が1人で待っていて「こんにちわ〜」と優しい笑顔で迎えてくれた。赤ちゃん連れで慣れないことをしにきた身としては、優しい笑顔と小さい子供に慣れている対応は非常に有難かった。まず初めに胎毛筆のパンフレットを見て、どのタイプの筆を作るか選んだ。娘の機嫌を損ねないうちにカットを始めたかったのでお薦めされるがまま即決し、筆の上にパールが着いた小さくて可愛らしい筆にした。この先端にパヤパヤの毛束がつけられるのか、絶対に可愛いに決まっている。完成したらこの筆の感触を自分の頬で確かめたい。というかまず匂いを嗅ぎたいかも・・・。
    「せっかくなのでまずはお母さんが切っている様子の写真を撮りましょう」ベレー帽姉さんがびっくりな提案をする。イトちゃんは抱っこじゃなくても椅子に座れるのか?と考える間もなく、あれよあれよという間にいとちゃんにはガウンが着せられ、椅子に座った状態に準備された。「ここに親指を入れてください」ベレー帽姉さんから髪切り用のハサミを渡される。指穴に親指を入れた瞬間、普段手術で使っているメッチェンを思い出した。持ち方は同じなのに、こちらの方が何倍も重く、妙に緊張する。
    「切るふりでいいですから」言われるがままに私はブーの毛束を切り落とすふりをして笑顔で写真に収まった。 写真撮影が終わってイトちゃんを膝の上に座らせなおし、本番のカットが始まった。まず、左右の毛束をチョキン、チョキンと切り落とし、断端が他の髪に馴染むようにサッサッサッとカットされていった。ベレー帽姉さんはおっとりした見た目に反して手際よく、あっという間にイトちゃんの髪を切り揃えていった。イトちゃんは鏡やガウン、ハサミの動きに興味津々といった様子で、目だけキョロキョロと動かし、泣くこともモゾモゾすることもなかった。あっという間にカットが進んでいく。ちょっとさっぱりしすぎか……。
    最後にバリカンを取り出し耳周りの髪を整えながら「さっぱりしましたね、でも今は色々ありますからね、髪飾りとかヘアバンドとか、そういうの付けられてみても可愛いかもですね」「お子さん本当に可愛いですね、まつげがぱっちりで、眉毛もすごく綺麗です。」とベレー帽姉さんはやたらと娘を褒める。
    ガウンをとったイトちゃんを見て、私の不安は確信に変わった。鏡には、やけにこざっぱりした少年のような見た目のイトちゃんが映っていた。そこにはもうカルシファの面影も、ブーの面影もなかった。さっぱりしすぎている……!!!途中で髪飾りの提案をされたのも、やけに娘の容姿を褒め始めたのも、ベレー帽姉さんに切りすぎている自覚があったからなのかと理解した。 そこにベレー帽姉さんは追い討ちをかける。「1ヶ月に1cm伸びるので6ヶ月もしたらまた結べると思います。七五三には間に合いますよ。」 私はその発言にハッとした。「七五三だと!遠すぎやしないか!?というか、世の中のお母さんは七五三まで考えて逆算して娘の髪を切るのか。イトちゃんは本当に間に合うのか。その前に、ただただ今ベストで可愛いイトちゃんでいて欲しかった……。」
    そこからはこの髪型が切りすぎなのか、切りすぎではないのかとぐるぐる頭の中で考えが巡り、どうやって店から家に帰ってきたかよく覚えていない。

    家に帰ると既にイトちゃんの夕ごはんの時間になっていた。急いで前日作って冷凍しておいた離乳食とタイマーで炊いておいたお粥を準備して、腹ペコ怪獣と化した短髪イトちゃんの口に運ぶ。溢れたご飯粒とひきわり納豆を手で叩き潰し、ワイパーのように机に擦り付けるのに夢中になっているイトちゃんの写真を撮り、実家の家族LINEに送りつける。すぐに既読1がつき「可愛くなりましたね」と父親から返信がきた。無条件に可愛いといってくれる孫バカじいじはこう言う時にありがたい。でもまだ気持ちは落ち着かない。

    思わず私はスマホの写真フォルダを遡った。昔、ショートカットが好きな美容師に通う度にどんどん髪を短くされ、人生で一番短いベリーショートになっていた時期がある。当時の写真を開いてみる。旅先の神社の鳥居の前で、耳がほとんど見えている自分が笑っていた。そこから数ヶ月後の写真も探してみる。
    ……全然伸びていない。
    いや、でも途中で美容室に行って整えたのかもしれない。そうであってほしい。
私は半ば祈るような気持ちで、自分の短髪時代の写真を何枚もスワイプした。

    娘の食欲は日に日に増している。炊き立てのお粥は美味しかったのか、4食分のつもりで準備したお粥の半分を食い尽くしたイトちゃんは満足げな顔でミルクまで飲み干した。「たくさん食べて、毛根にも栄養がいきますように」と願いを込めながら頭皮を撫ででいたら眠たくなってきたようで、イトちゃんは目を擦り始める。私は慌ててイトちゃんの手と口を拭き、お風呂を沸かして入浴準備を始めた。
    慣れないところに行ってイトちゃんも疲れたのであろう。イトちゃんは入浴をすませて程なく眠たいモードになり、授乳を終えると倒れるように寝た。

    娘の髪の毛を切りすぎたかどうか相談できる相手なんて夫しかいないというのに、こんな日に限って夫は仕事終わりに会食に行き、遅めの帰宅だった。おもちゃを片付け、茶碗を洗い、明日の保育園の準備をしてると、やっと夫が帰宅した。
    「で、イトちゃんのファーストカットはどうだった?」「写真とかないの?」夫に尋ねられ、私は美容室で撮ってもらった写真のことを思い出し、恐る恐る写真を見せる。 笑顔で娘の髪を切ろうとする私と、不安そうな顔でカメラを覗く娘が、可愛いを奪い取ろうとする悪い魔女と、抵抗できない可哀想な赤ちゃんに見えてくる。私にはもうこの写真を微笑ましく見ることはできなかった。 髪を切った後悔を夫に報告しながら、気がついたらポロポロと泣いていた。自分でもびっくりするくらいしょうもない、髪はまた生えてくる、そんなことは分かっていたが、想像以上の喪失感があった。


    翌朝、前日メソメソと泣いて夜更かしをしたことで余裕のない朝を迎えた。娘を保育園に送ってから出勤する朝の慌ただしさは、産後復帰して半年経っても変わらない。
    手術が始まる!私は急いで階段を駆け上がり、更衣室で手術着に着替える。
    今日はO-C固定術の助手だ。O-C固定術とは簡単に言うとグラグラになった頸の骨を頭蓋骨と金属で繋げてしまう手術だ。リウマチだったり、腫瘍だったり、外傷だったり、理由は様々だが、放っておけば痛みだけでなく麻痺や呼吸障害につながることもある。つまり、ちょっとした手術ではない。だから遅れるわけにはいかなかった。着替え終わったら帽子を被り、マスクの紐を結びながら階段を駆け降りて手術室に向かう。 急いで手術室に入ると秋山先生がにっこり笑顔で声をかけてきた。「いしちゃん、ちょうど良かった!今から髪剃るところ」。私は急いで近くにあったテープを握りしめ頭もとに駆け寄る。頚椎の手術の前には、術野に髪の毛が絶対に入らないように剃毛が行われる。すでに麻酔がかかり、うつ伏せになった患者さんの後頭部に視線を落とす。まっすぐ切り揃えられた襟足を眺めながら思わず尋ねる。「このワカメちゃんは病棟で剃ってもらったんですか?」ワカメちゃんというのは誰もが知るサザエさんの妹のワカメちゃんである。現在ではほとんど絶滅しているであろうあの髪型が頚椎手術前の人の理想の髪型であり、病院によっては院内に美容室があって事前に剃ってくれたり、病棟で看護師さんが剃ってくれたりする。しかしながら大抵の場合、事前にワカメちゃんにしてもらっていても、手術台の上で追加で術者が剃毛し、さらに襟足が短い究極のワカメちゃんになる。 「いや、この人は自前だよ。元々この髪型」秋山先生はいう。なるほど、もうすぐ80歳になろうかという高齢者にしては髪がしっかり生えていてしかも綺麗に整えられている。感心したのも束の間、「じゃ、剃りますか」そう言って秋山先生は電動カミソリでウイーンと後頭部を剃り上げる。そう、今日はただの頚椎手術ではないのだ。頚椎のみならず後頭骨まで術野に入れるのだ。カミソリは頭の半分以上、耳の上くらいまでに到達する。もはやワカメちゃんですらない。ああ、無常。私はテープに張り付く白髪を見ながら、昨日の床に散らばったイトちゃんの細い髪の毛を思い出していた。

    昨日の私は、たった数センチの髪を失っただけで泣いていた。髪なんてまた生える。命に関わるものじゃない。そんなことは分かっていた。分かっていたのに悲しかった。ではこの患者さんはどうだったのだろう。もちろん、この手術には髪を剃る必要がある。感染を防ぎ、安全に手術を行うためだ。首が不安定になったままでは、歩けなくなるかもしれないし、転倒一つで命に関わる可能性もある。髪どころの話ではない。
    それでも、麻酔がかかる前、この人は鏡を見たのだろうか。
長年整えてきた襟足が、今日なくなることを少しは惜しんだのだろうか。
    そんなことを気にする自分を「こんな時に」と打ち消したのだろうか。
    あるいは、惜しむ余裕もなかっただろうか。

    私は今まで考えたことがなかった。整形外科医として働いていると、「機能を守ること」が最優先になる。歩けるようにする。痛みを減らす。麻痺を防ぐ。骨をつける。もちろんそれは正しい。でも人は、機能だけで生きているわけではない。
    たかが髪。
されど髪。
    昨日の夕、私は短くなった娘の頭を撫でながら、失われた“整っていない可愛さ”を惜しんで泣いた。そして今日は患者さんの剃った髪をテープで回収している。後者の方が元々は私の日常だった。でも昨日を経験した私は、ほんの少しだけ違う景色を見ていた。

    手術は予定通り終わった。
後頭骨から頚椎にかけて並んだスクリューを確認し、レントゲンを見届け、私は急いで手術室を出た。時計を見る。保育園のお迎えに間に合うかギリギリだ。
    更衣室で帽子を脱ぐと、ぺちゃんこになった自分の髪が鏡に映る。昨日までなら気
にも留めなかったのに、今日はなんだか妙に目に入った。

    保育園の扉を開けると、イトちゃんがこちらに気づいて「ァ!」と声を上げる。
短くなった髪は相変わらず少年みたいで、正直まだ見慣れない。
でも、私を見るなり嬉しそうに笑う顔は、どうしようもなく可愛かった。
    結局髪型なんてどうでもいいのかもしれない、と一瞬思う。
    いや、違う。
どうでもよくはないのだ。
    私は昨日、あのパヤパヤの髪を失ったことが悲しくて泣いた。
    あの髪だから可愛かったのではない。どんな髪型でもこの子は可愛い。
    それでも、もうあの髪には戻らない。
    その喪失感は確かに私の中にあった。

    私はこれからも、手術の時は術野に入る患者さんの髪を剃る。
    手術において必要だから剃る。迷うことはない。
    でもその時、ほんの少しだけ想像できる気がする。
その髪を、誰かが毎朝整えていたかもしれないということを
。誰かが「似合ってるね」と笑っていたかもしれないということを。
    命を守るためには、切らなければならないものがある。でも、必要だからといって、その人が失うものまで「大したものではない」と思わずにいたい。

    保育園からの帰り道、私は娘の頭をそっと撫でた。指先に触れる髪は短くても、その温もりは今までと何ひとつ変わらなかった。

     
     
    整形外科医として働いています。幼い娘を育てる母でもあります。 忙しい毎日の中で、ふと立ち止まった瞬間をエッセイとして綴っています。

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