🪞*わたしを壊したあとで* 第6話:“自由”って、実はクソ不自由なんよ。支援と責任の話
第6話:“自由”って、実はクソ不自由なんよ。支援と責任の話
「自由になりたい」って、よく聞く言葉。
でも、その“自由”って、本当に良いものなんやろか?
自由には、コストがかかる
私が高校生だったとき、週に一度だけ私服登校がOKな日があった。
でも、みんな結局は制服で来てた。
なんでかっていうと、
「何を着るか考えるのが面倒」
「変に見られたくない」
「浮きたくない」
そう、“選べる自由”には、選ぶ責任やリスクがついてくる。
制服って、実はめっちゃ楽なんよ。
小学校のときなんか、バザーや知り合いから譲ってもらえたりして、経済的負担も少ない。
その日着る服に悩まなくていいって、すごく大きい。
制服の“便利さ”って、自由よりずっとありがたかったりする。
自由って言った瞬間、“自己責任”が降ってくる
支援を受ければ「甘えてる」って言われて、
制度を使えば「自立してない」って見なされて、
じゃあ全部自分でやろうとすると「全部自己責任でね?」って返ってくる。
どうしろと?
自由って、結局「誰も助けてくれない状態」やし、
支援は「自分で選べない・動けない」こともある。
だから私は、「自由=ええもん」って幻想は、
とっくの昔に捨てたわ。
そもそも、人間って“自由すぎる”と生きていけないんよ
hideも言ってたよな。「ever free」って。
人間は本来、生まれたときから自由。
でもね、今の社会は違う。
秩序、ルール、公共性。
これがあるから、現代社会はまわってる。
支援や制度って、“自由を少し手放してもらう代わりに、機能させる仕組み”なんよ。
完全な自由じゃ、もう回らへんねん。
社会に合わせて“生きさせてもらう”ためのルール
そもそもやで?
人間って昔はもっとプリミティブに生きとったんや。
自由やったし、縛られとらんかった。
でもな、現代はそうはいかん。
秩序、公共性、制度――
人が“群れ”で機能するには、自由すぎたらアカンのよ。
自由でいたいなら、制度の外で生きる覚悟せなあかん。
でも今の社会でそれやったら、“非定型”とか“障害者”ってラベリングされる。
自由って、結局「今の時代にそぐわん生き方」ってだけなんかもしれへん。
支援を受けると、自由はちょっと減る。でもゼロじゃない
支援を受けると、できなくなることもある。
引っ越しに制限が出たり、働ける範囲が狭まったり。
ネットの使い方や、人間関係にまで口出されることもある。
でも、それって「全部失う」よりはマシ。
選択肢が“ゼロ”じゃなければ、それはもう“自由”の一部なんよ。
本当の自由って、“手が届くミニマムな居場所”を持つことかも
自由って、なにかを否定してでも得るもんじゃなくて、
誰かに説明したり、証明したりするもんでもなくて、
「ここなら、私らしくいてもいい」って思える場所があることじゃないかな。
私は、朝ちゃんと納豆混ぜてごはん食べられたら、
それだけで「今日もなんとかなるかも」って思える。
それって、すごく“自由”なことやと思うんよ。
あなたが今「自由」やと思ってるそれ、
ほんまに“自由”なん?
それとも、“不自由の上に立ってるだけ”なんやろか?
#タグ
#わたしを壊したあとで
#自由と不自由
#自己責任論
#支援と制度
#精神障害と社会
#note連載
#千明の語り
いいなと思ったら応援しよう!
エッセイ中心でノンフィクションの創作を中心に書いていきたいと思います。
昭和58年生まれなので、時代的に古いかもしれませんがご興味あれば!
機能不全家庭・暴力被害・LGBT・恋愛・インターネット・いじめなどなどetc
もしよろしければ、拙文ご一読頂ければ嬉しいです。