
短編小説『げってる』
「これは“げってる”」
畑の脇に生えた草を指差して叔父が口にした。その草は朝顔だというのは、小学校で育てていたのですぐにわかった。しかし、花や種がある場所には見たこともないほどに鮮やかに輝く丸い実がぶら下がっていた。
“げってる”の意味が分からず、私はただ外国語みたいだなぁと思っていた。
後に母から、草や野菜が勝手に交配していることを「げってる」と言うのだと教えられた。
「昔の人は“げってる”ものを嫌ったもんよ」
「なんで?」
母は少しだけ言葉を選びながら「混ざっちゃいけないもんまで混ざるからよ」とだけ言った。
その時は、迷信の類だと思った。
実家には庭とは別に畑があった。登記簿上は宅地と畑にわかれているが、実際のところ境はあいまいだった。その土地を母が死んだあともずっと、叔父は一人で守っていた。
畑に農薬は最低限しか使わず、種も何十年も自分で採り続けていた。
「土地には土地の記憶がある」
それが叔父の口癖だった。
叔父が亡くなったのは、秋だった。
死因は心不全。畑で倒れ、鍬を握ったまま息絶えていた。
葬式の後、畑は放置された。地方の、しかも奥まったところにある売っても二束三文の土地を誰も欲しがらなかった。
一年後、私は相続の手続きで実家へ戻った。久々に叔父の畑を訪れると、緑の野原が広がっていた。
そこに生えている異様な植物には見覚えがあった。
稲の穂をつけた茄子。
大根の葉から咲く百合。
葡萄の房のようにぶら下がる落花生。
アンバランスな植物達が静かに揺れていた。
「……げってる」思い出した叔父の言葉が自然と口から零れた。
エアコンもない実家は蒸し暑く寝苦しくて、真夜中に目が覚めた。庭から鍬でカッ、カッ、と規則正しい音が聞こえた。障子を少しだけ開けると月明かりの中、叔父が庭を鍬で耕していた。倒れた日と同じ作業着。同じ麦わら帽子。
掘り返した土の中から白いものが覗いている。
骨だ。はっきりと見えたわけではないが、そう思えた。
叔父は一本一本、丁寧に鍬で土をならしながらそれらを埋め直す。すると、そこから芽が出て花が開き、赤くて丸い実が膨らみ、やがて落ちる。叔父はそれを満足げに頬張った。
翌朝、私は村の年寄りから昔話を聞かされた。
「昔、この土地には飢饉があってな。痩せた土地をなんとかしようと人を肥やしにした。すると育った作物はみな赤い実をつけた。それを食って村人は生き延びたんよ」老人は悲しい目をしていた。きっと、この老婆も実を食べたのだろう。
「土は全部覚えちょる」
老婆は私を見据えた。
叔父も似たようなことを言っていた。
「土から育って土へ還る、人間もおんなじ。長い時間のなかで、境目はなくなる」
帰りがけ老婆の家の花壇を見ると、小さな木にトマトのような実がぶら下がり枝をしならせていた。
実家は畑ごと手放すことにしたが、反対する親戚はいなかった。もしも買い手がつけば代金は全て地元の親戚に払われるように手続きを済ませた。もう帰ることはない実家を離れる前、最後に畑を見に行った。
緑一面の畑を撫でるように風が吹いた。
作物が一斉にこちらを向いた。
葉が擦れる音は何十人もの囁き声だった。
その瞬間、足首を何かが掴んだ。土の中から伸びた白い骨になった指だった。私は足捻り、脱げた靴もそのままで必死に逃げた。
振り返ると、叔父が立っていた。泣いているようにも見えた。唇だけが静かに動いたが声はきこえない。叔父の顔は植物の蔓や根、葉が入り交じり人の顔の形を成しているだけだった。
「……げってる」
実家は解体され、畑と一緒に重機で更地にされたらしい。その場所には雑草一本生えなかったとも聞いた。
最近、私の身体の中に腫瘍が見つかった。丸い腫瘍がまるで根を張るように、私の身体を蝕んでいる。
〈了〉