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【一氣読み】小説「LOVERS」外伝

    いろうたの小説「LOVERS」外伝・全六話(いろうた自身の福岡旅を元にした物語)を、多くの人に読んで頂けるよう整え、改めてお届けいたします! 福岡の魅力も堪能できる、芸術家たちの “愛の物語” です。


    こんなお話:
    ライブペイント画家のさくらと、即興ピアニストのリオンは、東京での活動に区切りをつけて新たなアトリエ探しの旅に出た。訪れたのは博多。この街は、東京にはない芸術性に溢れている……。そう感じた二人は、“ここに「アトリエONEワン」を作ろう” と決めて動き始める。

    (読了時間は約10分です)


    第1話:アトリエ探し


    <さくら>

     時代のうねりは確実に私たちの暮らしを変化させている。

     私たちの絵と音楽をもっと多くの人に伝えたい――。

     その思いでユニット「サクライロ」を組み、二人で歩んできたけれど、東京圏での活動には限界を感じ始めている。なぜならここでは、私たちの思いがまっすぐ届かないからだ。もちろん、一部の人にはちゃんと届いている。しかし、私たちの理想とはだいぶかけ離れてしまっているのが現状だ。

    「私、ワライバみたいな場所を自分でも創ってみたい。私たちに共鳴してくれる人が氣軽に集い、共鳴できる “第二のアトリエ” のような場所を」
     私の悩みを聞いたリオンくんは、まるでピアノを奏でるかのように語る。

    「ならいっそ、二人でその場所を探す旅に出るってのはどう?」

     こうして私たちの理想郷探しが始まった。


    ◇◇◇


     最初に訪れたのは、福岡県の博多。

     なぜ一番目がここなのか。それは、リオンくん曰く、ここには特別な力が集まっているのを感じるから、らしい。

     半信半疑で訪れた私だったが、街に降り立ってみてその意味がすぐに分かった。街の空氣が東京とは明らかに違うのだ。

     大きな街でありながら、東京のようにギスギスしていない。空は明るく澄んでいて、歩道も広く歩きやすい。そしてなにより、街全体が芸術で溢れかえっている。誰もがいつでも芸術にふれあえる環境が整っているのだ。

    (ここなら、共鳴してくれる人が見つかるかも……。)
     そんな期待に胸が膨らむ。

     大都会にもかかわらず、心を静かに保てる場所が身近にあるのも魅力の一つだ。人々は自然とそこに足を向け、日々の疲れを癒やしている。そこで私たちが即興ライブをすれば、たちまち「癒やしのアトリエ」が出来上がるに違いない。


    ***


     福岡市内の美術館や博物館では魅力的な作品を日々展示している。いずれも博多駅から電車で数十分圏内。観光で訪れた私たちでも一日で巡ることができた。この、アクセスのしやすさは重要だ。

     福岡市美術館を出て大濠公園に向かう途中、唐突に閃く。

    「そうか……! 東京の人たちに私たちの想いが届かないのは、芸術に触れる余裕すらない環境だからなんだわ!」

     言わずもがな、東京にも様々な美術館や博物館はある。けれどもそれらは生活圏から少し切り離された場所にある。だからだろう、東京の人たちは、歩いていても常に下を向き、空を見上げる余裕すらない。けれどもこの街の人たちは違う。空を見上げる余裕もあるし、前を向いて歩いてもいる。少なくとも私の目にはそう映る。

     決意が、固まる。

    「リオンくん、私、この街で試してみたい。私たちの想いが届くかどうかを……」
     彼の目を見つめながら熱心に語った。彼も私の目をのぞき込んで答える。

    「よし。それじゃあここに創ろう。サクライロの最初の『アトリエONEワン』を」

    「ワン……?」

    「そう。ここに芸術家をはじめとする共鳴者を集めて、一つに統合するんだ。そうすればここにものすごい力が集中する。このエネルギーは必ず、周囲にも影響を与える。おれたちのアトリエから、それこそ世界中に芸術の波が広がって、最後には下を向いて生きてる人をも虜にできるんだ。……そんなこと、できっこないって思う?」

    「いいえ。とても面白そう!」

    「だろう?」

    「だけど、拠点がそう簡単に見つかるかな?」

    「大丈夫。おれたちなら何でもできるさ」
     リオンくんがそう言うと、本当に何でもできる氣がしてくるから不思議だ。

    「うん。そうだね。私たちならきっとできるよね」

     私たちの新しい試みが今、ここから始まろうとしている――。




    第2話:光の旋律が巡る街


    <リオン>

     おれもさくらも、福岡の地を訪れるのは初めてだった。けれど、ちょっと街を歩いてみれば、おれたちは導かれてやってきたのだと思うような環境が既に整っていて驚く。

     街中にあるストリートピアノは、ひっきりなしに誰かが演奏する。それによって観光客や買い物客は必然的に生のピアノ演奏を耳にすることになる。

     ただそれだけのこと、と軽んじてはいけない。ピアノの生演奏は、演奏者と聴衆の心を強くシンクロさせる効果を持つ。つまり、おれのようなプロのピアニストが演奏することで、聴いた人をたちまち癒やすことができると言うわけだ。

    (おれとさくらがこの街に入り、即興演奏とライブペイントが日常的に行われる環境を作る。それを見たほかのアーティストが参画し、芸術家の輪が広がる。そして街の人々が元氣になる……。そんな循環を生み出すことができれば……。)

     その瞬間に、『アトリエONEワン』の構想が降りてくる。まるで何者かがおれの身体を通して大いなる計画を推し進めようとしているかのようだ。

     そんなおれの横で、さくらもやる氣を出している。
    「この澄んだ空をキャンバスに思い切り描きたい。リオンくんのピアノ演奏も、この空の下で響かせたいよね」

    「良いじゃん。やろうよ! そしたらおれ、公園の真ん中で電子鍵盤キーボードを弾くよ。電源? どうとにでもなるって。さくらは隣でイーゼル立てて絵を描けばいい。そしたらそこがもう、おれたちのアトリエ兼ライブ会場さ」

    「素敵ね。さっきは拠点が必要だと言ったけど、それならどこでも拠点にできるね」

    「そうさ。おれたちのいる場所こそが『アトリエONEワン』なんだ」




    第3話:街の神様に導かれて


    <さくら>

     私たちが翌日に訪れたのは香椎宮かしいぐう。博多駅から電車で20分ほどの場所にある、歴史ある神社だ。

     ご祭神は仲哀ちゅうあい天皇と神功じんぐう皇后。国家安寧や世界平和、子授け、芸能上達などの御利益がある。また、724年に建立された本殿は香椎造かしいづくりと呼ばれ、日本唯一の建築様式だという。

     石造りの鳥居をくぐるとアーチ状の石橋がある。それを越えて境内に向かうと、瞬時に空氣が入れ替わり、静けさに包まれる。神の氣配をひしひしと感じる。

    「あぁ……。この、風が渡る音、ホントに心地良いなぁ。おれ、こういう場所好き」

     リオンくんはうっとりしながら風に耳をすませた。すると、石段を上がったあたりから太鼓の音が聞こえ始めた。祈祷のための太鼓だろうか。

    「おっ、太鼓か。このリズムも好き」

     言うが早いか、リオンくんは石段を駆け上がり、音のする方に行ってしまった。私はその後ろからゆっくりついて行き、本殿に参拝する。

     本殿や社務所は木陰になっていてひんやりしていた。正月は過ぎていたからそこまで人は多くなく、おみくじやお守りも比較的ゆとりを持って受け取ることができた。

     リオンくんの姿を探すと、彼はいつの間にか階段下におり、ご神木と対面していた。合流し、私も彼と同じくご神木を見上げる。

    「大きいね。樹齢何年だろう?」

    「さぁ……。でも、ずっとこの場所にいて、人々を見守ってきたんだろうね。その息づかいを感じるよ。……あっちの木は囲いがない。行ってみよう」

     ご神木の綾杉は近寄れないよう柵がしてあったが、すぐ近くの木にはそれが無く、直じかに触れることができた。

     木は、雷に打たれたのか、はたまた病氣にかかったことがあるのか、幹が空洞になっていた。それでもそこに根を張り、しっかりと立っていた。

     二人でその木に触れ、息吹を感じる。

    「こんな姿になってしまっても、ちゃんと息をしている。生を全うしようとしているんだね」

    「うん。おれにはこの木の鼓動が聞こえる。力強いよ」

    「私も感じる。……ちょっとだけ、時間をくれる? スケッチしたいの」

     せっかくだからと、旅の思い出にこの木をスケッチしようと決める。ほんの、十分ほど。私は木から離れた場所に腰を下ろして描画した。それをのぞき込んだリオンくんは嬉しそうだ。

    「うん、木の生命力が乗り移ってるような絵だ。さっすが、さくら」

    「ありがとう」

     そこから一通り境内を見て回った私たちは、満足感を胸に抱き、最寄り駅に足を向けた。

     のどかな駅の日だまりは暖かく、無言でいても苦にならなかった。はじめ、待っているのは私たちだけだったが、少し経って一人の女性がやってきて私たちの横に立った。

    「……もしかしてあなた、さっき香椎宮でスケッチをしていた方?」
     声を掛けられた私はびっくりして、思わずリュックの肩紐を握った。

    「はい、そうですが……」

    「失礼と思いながらも、描いている絵を後ろから見せてもらったんだけど、迷いのない運筆には思わず唸ってしまったわ。……あ、ごめんなさい。実は私も絵描きで。市内にアトリエを持ってるの」

    「あぁ、そうなんですか……」
     一体何者だろうかと警戒したが、同業者と聞いて急に肩の力が抜ける。それが分かったのか、女性も笑みを浮かべ、話を続ける。

    「博多には、旅行で?」

    「観光も兼ねていますが、一番の目的は……」

    「おれたちのアトリエを探すこと!」

    「アトリエ探しをここで……?」
     横からリオンくんが口を挟むと、女性は少し怪訝な顔をした。

    「……あなたたち、どこから来たの?」

    「おれたち、東京から。あ、ちなみにおれは、画家じゃなくてピアニストだけどね。おれたち、即興で演奏と絵を描くユニットを組んでんだ」

    「まあ……!」
     女性は、今度は目を丸くした。

    「どうして東京でやらないの? 東京の方がずっと人が集まるし、長くそこで活動してきたなら、愛着もあるんじゃない? なぜ、博多なの?」

    「東京という地は慣れ親しんだ場所ですが、心の居場所じゃないんです」

    「そう……」
     私の口から思いを語ると、女性は静かに頷いた。

    「東京も魅力的な場所だと思うけど、あなたたちの心が満たされないのなら、そこで活動していてもきっと苦しいだけでしょうね。分かるわ。あたしも一度、東京で名を上げようと上京したけど、結局ここの空氣が恋しくなって戻ってきちゃった人間だから。……ごめんね、試すようなことを言って。あなたたちがどこまで本氣か知りたかったから、つい。……ねぇ、さっき描いていた絵、見せてくれない?」

    「あ、はい……」
     言われるがままにスケッチブックを開いてみせる。女性は「やっぱりうまいわ」と言って何度も頷いた。

    「あなたたちのこと、氣に入ったわ。良かったら、あたしのアトリエに遊びに来ない?」

    「え、良いんですか?」

    「もちろん。あたし、こう見えて、自分の氣に入った人にはすぐ声を掛けてアトリエに招待する質たちなの。仲間も紹介してあげる。きっとすぐに仲良くなれると思うわ」


    ***


     女性の名前は広田美絵ひろたみえさん。50代で、アトリエ兼自宅に一人で住んでいるという。アトリエは、博多駅から徒歩20分ほどのところ、櫛田くしだ神社のすぐ近くにあった。

    「この神社は、博多の総鎮守なのよ。近くだからあたし、毎日お参りしてるんだ。そのお陰か、今日もこうして良い出会いに恵まれちゃった。後でお礼参りに行かないとね」

     美絵さんはそう言いながらも既に手を合わせていた。アトリエの鍵が開けられる。

    「どうぞ」

     金のドアノブに空色の扉と言うだけでもアトリエ感があるが、中に入ると一層それを感じた。壁一面、いや、床にすらも絵が描かれ、どこに目を遣って良いか分からない空間。にもかかわらずなぜかホッとする空氣感は、喫茶「ワライバ」に通ずるものがあった。

    「おっ、ピアノが置いてあるじゃん! 弾いても良い?」
     リオンくんがめざとく見つけた。

    「もちろん、いいわよ。ここに来るピアニストは必ず弾いていくわ」

     許可を得るなり早速ピアノの蓋を開け、鍵盤の前に腰掛けたリオンくんは、お氣に入りの曲を3曲ほど、氣持ちよさそうに演奏した。すると、開け放たれたドアから次々、常連とおぼしき人が数名入ってきて、ピアノを囲み始めた。その中の一人が、美絵さんに声を掛ける。

    「なになに、美絵ちゃん。また新顔? 人を掴まえるのが本当に上手なんだから。それも、そんじょそこらの芸術家じゃなくて、ガチな人ね。……お兄ちゃん、プロのピアニストっしょ? 自分はピアノを弾かないけど、いつもここに出入りしてるから分かるよ」

    「おれたち、『サクライロ』ってユニット組んでんだ。即興演奏とライブペイントっていう、異色の表現方法でやってる。で、今はおれたちの第二のアトリエ探しをしてる最中」

    「へぇ! 面白いじゃん。博多でアトリエ探しなんて、お兄ちゃん、いいセンスしてるよ」
     リオンくんと対話した白髪の男性は、彼の説明を聞いて喜んだかと思うと、急にかしこまっていう。

    「実はわたくし、不動産業を営んでおりまして……。アトリエに相応しい物件ならすぐにご提案できるのですが……」

    「…………!!」
     私とリオンくんは顔を見合わせた。

    「……どうする?」

    「話、聞いてみようか」

    「そう来なくっちゃ!」
     私の返事を聞いたリオンくんは嬉しそうに微笑み、私の手を握り返した。




    第4話:夕日の差すアトリエ ― 魂の誓い ―


    <リオン>

     美絵さんのアトリエで出逢った、不動産業を営む白髪の男性の名は、三井順一郎みついじゅんいちろう。アトリエに出入りしていると言うだけあって、芸術家を中心に物件紹介をしているのだという。

    「美絵ちゃんの絵ももちろん素敵なんだけど、あそこに出入りする芸術家と話してると、こっちの心がどんどん洗われていく氣がしてさ。やみつきになるんだよね」

     三井さんは社用車でおれたちを案内しながら言う。

    「でも、芸術家って職業は、何かと肩身が狭いだろう? 今の時代には本当に必要な人たちなのに、企業勤めじゃないとか、遊んでるふうに見えるとかって理由で、下に見られちゃうのはもったいないなあって」

    「だから、アーティスト向けに物件を?」

    「そういうこと。ほら、着いたよ。ここが一つ目の物件」

     最初に案内されたのは、美絵さんのアトリエから車で5分ほど走ったところにある、古民家風の物件だった。

    「このあたりは寺院が多いから静か。だけど、通りに面しているから使い方次第では、美絵ちゃんのアトリエみたいに人を呼び込むこともできるだろう。まぁ、大人数は無理だけど」

     内見させてもらうと、外の喧噪が嘘のように消えた。余計な音が聞こえないというのは、ピアニストにとっては重要なポイントだ。窓は少なく、外からの明かりはあまり採れない間取りだが、居心地はいい。二階もあるというので上がってみると、そこは大広間になっていた。大人数は呼べないと言っていたが、二階になら集まることができそうだ。

    「さくらは、どう? この物件は」
     おれの一存では決められない。むしろ、さくらが氣に入るかどうかの方が重要なので、彼女の意見を伺う。

    「悪くはないと思う。でも、ちょっと暗いかな。絵描きとしては、自然光が入るアトリエの方が……」

    「うん、分かった。それじゃ、ここは無しだな」

    「彼氏くんは決断が早いなぁ。頼もしいね」
     三井さんはニヤニヤして言った。

    「彼氏じゃねえし……」
     揶揄われるのは慣れてるが、誤解されるのだけは嫌なので、ここはきちんと関係を明らかにする。
    「おれたちは芸術で繋がってんだ。それこそ、性別を超えた関係なんだよ……!」

    「オーケー。恋人じゃないってことだろう? 疑って悪かったよ」

     三井さんは耳を塞ぐような仕草をして、おれの力説を拒んだ。こういう話をするとき、たいていの人はこうする。面倒くさい話が始まったぞ、って感じで。

     でもおれたちは、こういう人にこそ自分たちの芸術を響かせたいと思ってる。彼らの耳を開かせ、目を向けさせたい。そして心の底から癒やしてやりたいんだ。


    ***


     次に案内されたのは、博多駅そばビルの一室。

    「ここは良いぞ? 何しろ、ガラス張りの窓からは駅の賑やかさや街並みが見渡せる。日当たり良好、アクセスも抜群に良い。強いて言うなら、賃料が高いくらいかな。でも、兄ちゃんたちほどの腕前ならそれもカバーできると思うよ」

     確かにここは、さくらが懸念していた採光の条件をクリアしている。駅に隣接しているから、人を集めるという点においてもうってつけの場所。室内の防音設備を強化すれば、隣接する企業に迷惑を掛けることなく演奏することもできそうだ。

     しかし、さくらは首を縦に振らなかった。

    (おれとさくら。見ている世界は同じようでいて、感じ方は全然違う。おれは条件に注目してたけど、さくらは……。さくらはやっぱり『二人の思い』を大事にしてるんだな。)

    「分かってるよ、さくらが誰と、どんな環境で絵を描きたいか。そんな理想の場所が見つかるまで、頑張って探そう」

    「そういうことなら、とっておきの場所があるよ」
     おれたちの話を聞いた三井さんは、次の場所に案内する。


    ***


     案内されたのは、昨日訪れた大濠公園に隣接する平屋の物件。奇しくも訪れた時間帯は昨日と同じく夕刻で、辺りはあたたかなオレンジ色に染まりつつあった。

     内見のため中に入ると、オレンジ色の夕日が室内を染めていた。その瞬間に胸が温かくなり、癒やされる。さくらもそう感じたようで、目を閉じて胸に手を当てている。

    「ここは空きが出たばかりで、案内するのはお兄ちゃんたちが第一号だよ。難点は、狭さと賃料の高さだけど、ここは訪れる人にとってもビジネスをする人にとっても理想の場所だからね。ちょっとでもピンときたらすぐに決めることをお勧めするよ」

     その言葉を聞くまでもなく、おれの心は既に決まっていた。なぜなら、ここに一歩足を踏み入れた瞬間に、昨日街を巡る途中で生まれた旋律がよみがえってきたからだ。

    「さくらは……」

    「リオンくん、私、ここがいい。この、オレンジ色の夕日がまさに、今の私の心の色」

     そういうなり、さくらはスケッチブックを取り出すと、夕日色の水彩色鉛筆で絵を描き始めた。そして、持っていた水筒から少し水を取って筆に含ませ、鉛筆の線をなでた。すると、あっという間に窓の外の景色が完成した。

    「へぇ。お姉ちゃんの絵、めちゃくちゃ温度が載ってて良いな。なるほど、お兄ちゃんが一緒にやりたがる理由はここにあるわけだな」
     絵をのぞき込んだ三井さんが感心したように言った。

    「良いだろう、さくらの絵。ここにおれのピアノ演奏が乗っかったらもっとすげえんだから」

    「あはは……。ホントに二人は不思議だなぁ」
     三井さんは笑いながら言った。
    「で、どうする? 決めちゃう?」

    「どうするもなにも……」
     おれは改めてさくらと目を交わす。
    「ええ。ここに決めます」

     決意表明をしたのはさくらの方だった。



    第5話:街を包み込む『愛の旋律』


    <さくら>

     ここを私たちのアトリエにする――。

     そう宣言したのは、驚くべきことに私自身だった。

     ほんの少し前の私だったら絶対にこんなことは言わなかったし、行動も起こせなかった。でも、リオンくんの存在が、私の背中をそっと押してくれた。

    (ありがとう、リオンくん。いつもそばで支えてくれて……。あなたがいてくれるから私、ちょっとずつだけど前に進んでいける……。)


    ◇◇◇


     アトリエを紹介してくれた三井さんに、私たちが互いのプライバシーを守ったまま暮らせるシェアハウスも見つけてもらった。そこに生活の場を移しつつ、アトリエにも画材やピアノを運び込む準備が進む。


    ◇◇◇


     季節は、まだ朝の空氣がひんやりする初春。この地で過ごすとどんな一日になるのか、事前に体験する目的もあり、今日は朝から空っぽのアトリエを訪れている。

     私とリオンくんは別行動だ。アトリエからすぐの大濠公園に赴くと、朝早くにもかかわらず多くのランナーが園路を走っていた。また、観光客らしき人々もどんどん集まってきて公園は早朝から賑やか。

     私はその様子を写生しようと、スケッチブックを取りだした。道の脇に腰掛けて鉛筆を動かしていると、犬の散歩で通りすがった地元の人から「絵、上手ですね」とか「画家さんですか?」などと声を掛けられ、そのたびにはにかむ。

     東京では、こんなふうに描いていても横目で見られるだけで声は掛けられないことがほとんど。だから描き始めて数分で何人もの人に話しかけられてもらえることが、恥ずかしくもあり新鮮でもあった。

     しかしこの、慣れない「声かけ」のシャワーを浴びた私は、次第に胸のざわつきを覚え始める。

    (所詮、私はよそ者。彼らは物珍しさから声を掛けてくれただけで、本当は歓迎などしていないのでは……? この地で活動するために居を移そうとしているけれど、この街の人たちが東京から来た私を温かく迎え入れてくれるという保証はどこにもない……。)

     勢いでここまで来てしまったが、このまま流されていったら大波に呑まれ、自分を見失ってしまうような氣がして怖かった。

     急ぎアトリエに戻り、リオンくんを探す。けれども彼の姿はなかった。代わりに、メモを見つける。

    『ストリートピアノを弾いてきます』

     アトリエにはまだピアノがない。それは、リオンくんにとっては辛いことに違いなかった。しかし幸いなことに、街に出れば、ある。

     私は、アトリエとシェアハウスの往復用に購入しておいた自転車に乗って、ストリートピアノのある商業施設に向かった。


    ***


     リオンくんは、ピアノが利用できる時間になるまで待っていた。私が合流するとホッとした様子で手を挙げ、微笑んだ。

    「リオンくんはピアノがないとホントに生きていけない人なんだね」
     私が言うと、彼は力強く頷く。

    「おれ、拠点を移すことを決めてから改めて知ったよ。すぐにピアノが弾ける環境がどれだけ有り難いか、ってことを。そして、ここに惹かれた理由も分かった。……そう。たとえおれのピアノが手元になくても、ちょっと街に出ればピアノがある。この環境って、実はすごいことなんだよ」

    「そうだね」

    「つまりさ、ここは芸術家を歓迎する街ってことなんだよな。おれみたいな、よそからちょっときたような人間にも開かれてるわけだからさ」

    「あっ、そうか……!」

     リオンくんの言葉にハッとさせられる。

     私は、よそ者の自分が受け容れられるかどうか、不安に感じていた。けれど、そんな心配は不要だった。考えてみれば、芸術家はもちろんのこと、この街は世界中の人をまるごと受け容れる懐の深さを最初から持ち合わせているのだから。


    ***


     おしゃべりをしている間に、ストリートピアノが利用できる時間を迎えた。リオンくんは待ってましたとばかりにピアノの元に向かい、一番乗りで弾き始める。

     プロの即興演奏者であるリオンくんは楽譜を使わない。何も見ず、時には目を瞑って指だけを華麗に動かし、音を奏でる。

     その姿があまりにも絵になるので、私は演奏に耳を傾けつつも、普段はやらない「リオンくんのスケッチ」を始めた。

     左手の技巧、なめらかに動く右手の美しさ。それ自体が芸術だった。絵ではそれを写し取ることはできないが、できるだけ美しく描こうと努める。

     そうしているうちに、波立っていた心がどんどん穏やかになっていくのが分かった。それは、リオンくんの演奏が心に沁みたせいでもあるだろうし、彼と私を取り囲み始めた街の人々の、温かい眼差しのお陰でもあったとも思う。

     演奏が終わると、拍手があちこちから聞こえた。リオンくんは氣持ちよさそうに一礼し、もう一曲弾こうとしたが、順番を待っている人のために席を譲った。

    「……今日の曲、すごく良かった。思わず見とれてしまって、スケッチしちゃったくらい」
     店をあとにしながら言うと、リオンくんは少し照れた様子で言う。

    「ありがとう。実はあれは、この街に来たときからずっと頭の中で鳴ってる曲なんだ。でもずっと忙しかったから形にできてなくて。今日ようやくちゃんと弾くことが出来て良かったよ」

    「タイトルは決まってる……?」

    「まだ……。さくらが決めてよ」

    「え、私が……?」

    「うん。ここは一つ、さくらのセンスで」
     大役を任された私は唸ってしまった。

    「すぐには思いつかないよ。少し、考えさせて」

    「もちろん。ゆっくり考えて」
     そう言ったリオンくんは優しく微笑んだ。


    ***


     私たちはその後、福岡タワーに向かった。鏡面のタワーは空と雲とを映し出し、また太陽を反射させてキラキラと輝く。

     自転車を置き、タワーの裏手に回る。そこはビーチになっていて、大人も子供もはしゃいでいる。結婚式場もあって、ちょうど新郎新婦がビーチで写真撮影をしていた。

     のどかな日常の風景。それを見ていたら急にイメージが降ってくる。

    「愛の旋律……」

    「ん?」

    「さっきリオンくんが弾いた曲のタイトルに良さそうな言葉が浮かんできたの」

    「愛の旋律、か。うん、いいじゃんそれ。採用!」

     リオンくんはそう言うと、少し照れくさそうに鼻歌を歌った。その旋律はまさに、さっき彼が弾いていたものだった。


    ***


     アトリエに戻った私は、今は空っぽの室内をぐるりと見回した。

    「ねえ、ここにピアノが置かれたら『愛の旋律』を弾いて欲しいな。そうしたら私、即興で絵を描く。そしてそれをアトリエの一番目立つところに置くの」

    「おっ、それいいな! ……こことか、どう?」
     リオンくんは、玄関ドアを開けた正面の壁を指さした。

    「私もそこが良いと思った!」

    「じゃあ、決まり! ……うん、さくら。いい顔してる。朝とは別人だ」

    「ほんと? もしそうだとしたらそれは、リオンくんのお陰だよ」

    「おれは何もしてないって。……そうだ。きっとこの街が持つ芸術の力が、さくらを元氣にしたんだ。さくらは受け容れられたんだよ。この街に」

    「あぁ……。それ、すっごく嬉しい」
     彼の言葉に胸が熱くなり、思わず涙が込み上げる。

     あたたかな陽光がアトリエに差し込み、木の床に置いたスケッチブックに当たる。鉛筆で描いた、ピアノを弾くリオンくんの横顔が微笑んで見えた。




    第6話:アトリエに響く愛の調べ


    <リオン>

     アトリエにようやくおれのピアノが搬入された。長年使ってきた相棒を連れてくる案もあったが、ここは心機一転、新アトリエには新ピアノを入れることに決めた。

     早速、響きを確認するため、即興演奏する。弾くのはもちろん『愛の旋律』だ。

     さくらが傍らで筆を動かす中、鍵盤の上を滑るように指を動かす。次第に氣持ちが乗ってきて、今日だけの『愛の旋律』が空間を満たす。

     さくらの想いとおれのピアノが交錯し、混じり合い、アトリエを包み込むのが分かった。ここはもう、ただの “箱” じゃない。訪れる人々に愛を与えるための神聖な場所だ。

     演奏を終え、さくらの描いた絵を見る。

     筆筋は普段の何倍も繊細で美しく、また使われている、桜色とも橙色とも言えない絶妙な色彩で描かれた線は、これまた今にも動き出しそうなほど生き生きとして見えた。

    「今日は最後に金粉を散らしたいな」

     この頃のさくらが好んでいる仕上げのスタイル。描画で終わらず、絵の具以外の素材をキャンバスに乗せる。そうすることによって、より作品としての完成度が高まるとさくらは言う。

     床に置き直したキャンバスの上からそっと金粉を振りかける。窓から差し込む日の光に照らされたそれは、まるで物語の世界にいる妖精の鱗粉みたいに輝きながら、まだ濡れているキャンバスの上に落ちた。

     しばらくしてサインを入れたさくらは、その絵をイーゼルに立ててピアノの脇に置いた。

    「うん。すごくいい絵が描けた。今日の絵は我ながら上出来!」
     彼女はいつになく上機嫌だ。

    「さくらの絵はいつだって最高の出来だよ。でも、さくらが言うように今日の絵は普段の何倍も輝いて見えるね」

    「ずっと楽しみにしていた『愛の旋律』を、このアトリエで聴きながら描いたんだもの。それに今日は、みんな、、、が集まる日だしね。さすがの私もちょっとは氣合いが入るよ」

     そう。アトリエにピアノが搬入され、いよいよ稼働するというこの日を祝い、おれの兄貴ユージンと、双子の姉セナ、そして東京で一緒にバンド活動していた仲間やここで知り合ったアーティストたちが集まることになっている。


    ***


     昼を過ぎた辺りから少しずつ人が集まり始める。おれのきょうだいたちも到着すると、彼らは持参したギターをかき鳴らし、アトリエ一杯に歌声を響かせる。

    「セッションしようぜ!」

     じっとしていられなくなったおれも、兄さんたちのギター演奏に合わせて即興で割り込む。ここに、最初にさくらと話していた、“おれたちのいる場所がアトリエ兼ライブ会場” が自然と再現される。



    <さくら>

     ひとしきり大騒ぎし、夜を迎えた。

     皆が帰ったあとのアトリエは、朝の静謐さを取り戻している。二人だけのアトリエで、リオンくんは自分の内面を整えるかのように静かにピアノと向き合う。

     リオンくんの脇でピアノを聴くとき、私の心も洗われる。そしてその音は全身に刻まれる。

    「普段、リオンくんが弾く即興演奏ももちろん素敵だけど、作った曲の即興アレンジもまた味わい深いよね。私、『愛の旋律』の即興アレンジが好きだな」

    「うわ、それ嬉しいなぁ」
     リオンくんは歓びを表すかのように、早速『愛の旋律』を即興で弾き始めた。

     その旋律は、朝聴いたものとは全く違う、静かで優しい調べだった。それは彼の心が穏やかである証だった。

    「ありがとう、リオンくん。あなたの指から生まれる美しい音で世界がこんなにも輝いてる。私の心も、喜んでいる……」

    「……おれ一人じゃ、ここまで来れなかった。それにこの旋律は、さくらが一緒にいてくれたから生まれたんだよ。こっちこそ、ありがとう」

     ピアノを弾き終えたリオンくんは私の方に向き直り、右手を差し出した。その手は大きくて温かく、美しかった。

     その手を握り返しながら誓う。この場所から、私たちの絵と音で世界を美しく描き直し、調律していく、と。

     夜の帳がゆっくりと降りていく。宵闇の中にリオンくんのピアノの音が溶けていくのをいつまでも聴いていた。


    ――完――




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