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Photo byold_house

【#創作大賞2026 #オールカテゴリ部門  #児童文学】羽音(はおと)

    (あらすじ)

    小学校高学年以降向けを対象とした、児童文学小説。
    語り手である、とあるところの少年ミヤは父がおらず、母は病気で寝込んでいる。貧しい暮らしのため、姉の薦めで学校の傍ら働くことになったその場所は郵便局だった。
    郵便局では様々な人間模様やおやつの差し入れがある。その中でワカさんという男性がミヤの側で優しく関わっていた。ある日、ミヤが配達を任されて自転車を走らせていると……
    「銀河鉄道の夜」オマージュ。少年の孤独な心象風景と、父親という存在への憧れと葛藤を描く。


    (本文)

    羽音(はおと)


     冬になってから、母さんは病気で寝込みっぱなしだ。
     僕の着ているオーバーオールもそろそろ膝とお尻がすり切れてきた。

    「ね、ミヤ。お前にとってもいいことだから」

    と、姉さんは僕を隣の町の郵便局の仕事に申し込ませた。学校の帰りに通る大きな道を、家と反対のずっと先へ行ったところにある郵便屋さんだった。
     姉さんは最近、毎日のように母さんを見舞って洗濯やいくつも料理をして世話を焼いてくれて、長く母さんと話をしては帰っていった。姉さん、本当は旦那さんと上手くいってないんじゃないかねえ、と母さんはしきりに心配していた。

     僕は学校が嫌いだ。なぜって、表紙が灰色の教科書だから。
     みんなは授業が始まるといっせいに緑色の教科書を開く。僕はみんなより少し早起きして学校に着き、職員室の先生のところへ行かなくてはならない。お茶を飲む先生の横へ行くと、先生は黙って僕に灰色の教科書を渡す。
     僕は、教科書はお金で買うものだということをずっと前から知っていた。そしてそれを買うお金がうちには今、ないことも。最初はみんな、珍しく特別な感じがしてうらやましがった。それからしばらくすると笑われて、やがて誰も何も言わなくなった。
     みんなが黙っていても、僕は椅子の上にふわふわしているような、いたたまれない気持ちがしていた。
     それでも僕は、灰色の教科書を毎日借りに行って帰りには返さないといけない。灰色の教科書は、まるで僕が使うだけ端がめくれて丸くなり、文字や写真のインクが擦れて汚れていった。

     もし、父さんがいたら、僕の教科書はちゃんと緑色で、きっと早起きもしなくてよかったはずだけど、顔ももう覚えていないからそんなことはそれほど考えることもなかった。


     
     「郵便局の人に、逆に迷惑かけてないのかい。ちゃんと気が付く仕事するんだよ」

     母さんは毎日のようにそう言って僕に声をかけた。僕はそそくさと家を出た。言わなかったけれど、学校より、家より、郵便局が一番居心地が良かった。

     郵便局は三か月もするとすっかり慣れて通うことができた。
     「第三集配課 菜の花番地」と書かれた板の下が僕の座る机だった。机の上には、番地が書いてある小さな箱が集まった棚がある。渡された手紙やハガキの山からその箱に振り分けて入れていくのが僕の仕事だった。

     机に座っていると、高い箱は届かないから、立ち上がって手紙を入れて、また座る。
     誰かが歩く度にギシギシッガタガタッという床の向こうで、事務の人たちや配達をしている人たちの話す声や、バイクの音が聞こえたりする。
     一通、一通と手に取って箱へ入れていくいくうちに、親指と人差し指がインクでつるつるしてきて、うまく手紙が掴めなくなる。繰り返していくうちに今日も箱は手紙でいっぱいになる。僕の指が真っ黒になって一日が終わる。

     だんだん、インクは洗っても落ちなくて僕の指の色になっていったけれど、僕はちょっと大人になった気がしていた。郵便局の人たちはそうだったから。母さんと姉さんはそのことに気づかないと思う。それで全然良かった。


     
     いつもの通りに、僕は座りながら手紙を振り分けていた。
     
     スルリ

    と、手から一枚のハガキが零れ落ちた。家族の写真が貼ってある。

    「引っ越ししました、遊びに来てくださいね」という文字と、

     抱きしめられている小さな赤ちゃん。お母さんと、お父さん。

     僕はしばらくじっとそのハガキを見ていた。その時、コホム、と咳払いが棚の箱に響いた。課長さんが後ろに立っていた。

    「人の、ハガキに興味を持つ、のは、ううん、関心しない」

    と、独り言のように呟き、キシッキシッと床を鳴らしてそのまま通り過ぎていった。僕はホコリを払うようにそのハガキをササッと撫でて、裏返しにして宛名が見えるようきちんと揃えて棚に置いた。

     コトテン、コトカン、コトテン、コトカン。

     僕の背中で楽しいリズムが響いた。

     コトテン、コトカン、コトテン、コトカン。

     熊のように体が大きくて髭をぼさぼさとさせているワカさんが、配達から帰ってきていて棚に手紙を分けている音だった。
     僕と同じ、菜の花番地を担当しているワカさんは、十年以上もこの仕事を続けているらしい。
     だから、ほら、

     コトテン、コトカン、コトテン、コトカン、コトテン、コトカン、コトテン、コトカン。

     こんなふうに、素敵な音を響かせて手紙を分けていく。まるで何かを作っている工場か印刷の機械みたいだ。同じ仕事をしている人は他に2人いたけど、ワカさんははどの人よりもいい音と速さで手紙を鳴らしていた。
     誰かの名前が書かれた白いハガキや封筒は、ワカさんの大きな背中の向こうでかっこいい模型飛行機の羽のように鋭く飛んで箱へ吸い込まれていった。
     大きな背中の向こうのこの音が聞こえると、僕はなんだか肩が軽くなって安心した。この音をずっと聞いていたいと思った。



     「局長から、連絡です。お菓子の差し入れです。いつも通り色々な種類がありまして、ええ、いつも通り一人一つ配ります」

     ここの局長さんはいろんな町の偉い人たちと知り合いらしく、よくお菓子やパンの会社から郵便局に差し入れを運んでくれていた。
     僕はこんな時は、仕事をしながらもうドキドキしていて、周りの人に配られるお菓子まで気になって仕方なかった。

     この前は甘いパン、その前はキャラメル。僕があの奇跡のようにとろけて花のような香りのホワイト・チョコレートを口にしてから随分経った気がする。僕はそれを、母さんと姉さんの分を分けて、残りはカバンにしまい少しづつ何日も何日もかけて食べた。食べるたびに、僕の周りがパアッと明るくなって、いつもの道も木々の緑が日に透けて、隠れてた草花はひとつひとつが輝いてみえた。

     ああ、また食べたいなあ。あの目の前が明るくなる時間。
     
     僕は少し緊張した。手紙を持つ手に微かに力が入った。そこへ、籠を抱えた課長さんの手が伸びた。

    「はい。……ミヤくん」

     机に置かれたのは、キャンディーだった。
     透明な袋に、いくつも入ってとてもきれいだ。すぐにありがとう、と言ったけれど、自分でも気づいたくらい声が小さかったと思う。力が抜けて、僕はまた少しだけがっかりしているのを感じた。これだってきれいだし、美味しそうじゃないかと自分にいいきかせるのに、全然気持ちがいうことを利かなかった。

     キャンディーの袋を撫でていると、向こうで課長さんはすっかり配り終えて籠をトンと裏返し部屋の片隅に置き、またどこかへ行ってしまった。僕はまた手紙を持ち上げて、仕事を始めた。

     すると、僕の机の横の方にヌッと大きな手がのびて、キャンディーに覆いかぶさった。カバンにすぐ入れなかったから、怒って取られてしまうのかと思わず、

    「ああっ」

    と声を出してしまった。

    その手は、ワカさんだった。焼きたての丸いパンのような日焼けした手の下に、黒い包み紙が現れた。ワカさんはそれをキャンディーの横に置いた。

    「俺、チョコレート駄目なんだ、苦手」

    黒い包み紙には美術の本のような天使の絵が描いてあり、チョコレートと書いてあった。僕は飛び上がって、ワカさんを見た。僕はアヒルのように口をパクパクしてすぐに言葉が出てこない。ワカさんの顔は頬がパンのようにふっくらして赤く、小さな目がきらりと見えた。ちゃんと顔を見たのは初めてかも知れない。
     僕はとっさにキャンディーをつかんで、

    「これ、これで。と、とりかえっこです」

    と差し出した。僕の顔も体も、カアッと熱くなっていたのを感じた。
     ワカさんは、いいよと言わんばかりに首を振って背中を向けようとしたが、僕はさらに強く突き出した。するとワカさんは空を見つめて、もう一度僕の顔を見ながらニッと笑った。

    「とりかえっこというのは、なんかいいね」

     そう言って、ワカさんはキャンディーを受け取って、

    「課長には内緒だ」

    とこしょこしょと言った。僕は思わずニッと同じように笑った。

     何事もなかったように、すぐにまたあの演奏が始まった。

     コトテン、コトカン、コトテン、コトカン。

     このチョコレートは、ほとんど母さんと姉さんにあげてもいいと思うくらいに、僕は気分が良かった。頭の中では、天使がラッパを吹いて飛び回っていた。

     ワカさんとはその後も、そっとお菓子をとりかえっこすることが度々あった。時にはもっと気いらないお菓子に変わったけれど、それは結構どうでもよかった。
     


     
     春が来て、母さんは良く起きるようになっていた。姉さんは旦那さんと仲直りしたみたいで、家に来るのはずっと少なくなっていた。ある日の夜、郵便局から帰ると、母さんが僕に青いカーディガンをくれた。

    「父さんのカーディガンを、姉さんが引っ張り出してきてね。まだ捨てないで仕舞ってあったのよ。でも穴が開いていたでしょう、少しほどいて作り直してみたのよ。もう春になっちゃったけど、あなた着るでしょう。いい色だし、学校でずっと着られるわよね。」

     僕はそれを、まずは学校じゃなくて郵便局に着ていこうと思った。誰も何も言わなくても、新しい服を着て仕事をする僕になりたかった。


     
     僕は、すぐ近くの番地だけ自転車での配達も任されるようになった。それぞれの家に届けにいくと、声をかけてくれる人たちがいてそれは増えていった。学校の友達にたまたま会うと、青いカーディガンで自転車に乗る僕をかっこいい、と褒めてくれた。

     僕はトンビのように高く素早く、どこまでも自由に行ける気がして空を見上げた。

     ある日、配達で自転車を漕いでいると、黄色く揺れる菜の花の花畑があった。もうすっかり春なんだなあ、と思った。
     そこに、ワカさんが立っていた。ワカさんはその日は交代の休日だった。僕を見つけると、ああやあ、ご苦労さん、とうなずいた。僕は足を高く上げて自転車を降りた。ワカさんの側に行こうとしたが、すぐに立ち止まった。

     その太く大きい腕の中に、とても小さな赤ん坊が眠っていた。

    「やっと生まれてね」

     ワカさんが少し腕を揺らしながら赤ん坊に目をやった。目を細めたワカさんの心が溢れているように、その周りの菜の花は、柔らかく揺れていた。
     僕はそれ以上、近づくことができなかった。


     
     郵便局に戻り、空になった配達カバンを置いた。借り物の皮のカバンはしっかりした造りで何も入っていなくても重たかった。すぐに僕は椅子に座ってフウと息をついた。
     僕の机には、たくさんの手紙やハガキが山になっていた。僕はハガキを手に取り、それを束にして立ち上がった。
     僕は机から一歩下がり、棚に向かって初めてハガキを飛ばしてみた。


     コトッ。

     
     少し曲がってハガキが棚に入ると、音がした。
    胸が一瞬、きゅう、と縮んだ気がした。周りの音がとても遠くに感じ、空気が固まったように感じた。

     コトテッ。

    もう一度、飛ばしてみた。背板に当たり、ハガキは静かに箱の中に落ちた。

     
     コトテン。

     コテッ。

     
     もう一度。

     
     コトテン。

     
     もう一度、二通続けて。


     コトテン、コトカッ。


     続けて、続けて。


     コトテッ、コトカッ。

     コトッ、コトッ。

     コトテン、コトカン。

     コトテン、コトカン、コトテン、コトカン。

     
     澄んだいい音が響いた。ワカさんと同じくらい、いい音だった。
     僕は嬉しくなって、更にハガキを手に取ろうと下の手紙の山を見た。

     ぐわっと、世界が歪んだと思った途端に、僕の目から涙が零れ出た。手探りで手紙の山を探して、まるで海の底へ向かっているようだと思った。

     

     ああ、僕はずっと泣きたかったんだ。
     だって、だって、父さんがいないんだもの。
     なんで死んでしまったんだろう。

     そう思った。
     この涙が止まったら、もう一度、手紙を飛ばしてみよう。
     きっと僕は、いい音を鳴らせるだろう。
     模型飛行機の翼のように、きっと良く飛ぶだろう。







     









     
     
    東京出身、横浜在住。独身更年期のアラフィフ。好きなものことは、絵、食べること、推し活、温泉。若いころに家族を亡くし、氷河期で人生詰んでるけど、結構好きなことをして生きてきた私の経験語り。エッセイ、小説を書いている。

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